祇園女御は平安でもアイドル?
2012年 01月 10日
さて大河では 清盛は舞子という白拍子の子となっていましたが「平家物語」の中では 祇園女御の子ということになっています
松田聖子ちゃん貫禄でした
祇園女御は 白河法皇のお気に入りで その名の通り「祇園」に住んでいました
ある日 ここに通った帰り道 祇園社(現・祇園八坂神社)の前で 法皇は恐ろしげな化物に出会います
光り物 出で来たり 頭は白銀の針を磨きたてたる
ようにきらめき 両手を挙げ 片手に槌 片手に光る
物を 持ちたりける
院は 鬼かと怖れますが 忠盛が組み付いて見ると 燈篭に灯をともそうとしていた法師でした
油壺と火種を持ち 雨が降っていたので頭に麦わらを
のせていたのが 火に映えて光って見えただけだったのですね
院は 忠盛の勇気に感じて お気に入りの祇園女御を賜り この時 すでに女御は懐妊してたというわけです
八坂神社の境内には今も 忠盛燈篭が残っていますよ→
ただしこれは 後世の創作の感じがしますよね
いかにも「物語」ぽくて よくできています
実際は 祖父・正盛の時から 祇園女御の
庇護を受けてきたので 清盛は当然のごとく
女御の養子扱いとなっていたのです
清盛の実母は 3才で亡くなったと 記録にあるので 別の人だったでしょう
鳥羽天皇の后となった璋子も 藤原家の出ですが
白河法皇と祇園女御の養女となっていました
さて では江戸に戻って
← これは 広重・国芳・豊国(三代)の合作で
小倉擬百人一首 というもの
小倉山みねのもみじば心あらば
いまひとたびの御幸またなん
藤原貞信公の和歌に 描かれているのは
祇園女御です
かきこみの文字は
洛東祇園の片辺に 一人の賤の女あり
天然の美皃 白川院 垣間見たまひて
懸想の余り入て 女御に備たまふ
依て祇園女御と称す
平相国清盛公は 此女性の産所なり
柳下亭種員筆記
平家物語では「~という話もあった」程度の
祇園女御実母説 江戸後期には 定説になってしまったようですね
この「擬百人一首」 他にも仏御前や
祇王などもあって 結構おもしろいですよ
ネットで検索したら 見れますよ
松田聖子ちゃん貫禄でした
祇園女御は 白河法皇のお気に入りで その名の通り「祇園」に住んでいました
ある日 ここに通った帰り道 祇園社(現・祇園八坂神社)の前で 法皇は恐ろしげな化物に出会います
光り物 出で来たり 頭は白銀の針を磨きたてたる
ようにきらめき 両手を挙げ 片手に槌 片手に光る
物を 持ちたりける
院は 鬼かと怖れますが 忠盛が組み付いて見ると 燈篭に灯をともそうとしていた法師でした
油壺と火種を持ち 雨が降っていたので頭に麦わらを
のせていたのが 火に映えて光って見えただけだったのですね
院は 忠盛の勇気に感じて お気に入りの祇園女御を賜り この時 すでに女御は懐妊してたというわけです
八坂神社の境内には今も 忠盛燈篭が残っていますよ→
ただしこれは 後世の創作の感じがしますよね
いかにも「物語」ぽくて よくできています
実際は 祖父・正盛の時から 祇園女御の
庇護を受けてきたので 清盛は当然のごとく
女御の養子扱いとなっていたのです
清盛の実母は 3才で亡くなったと 記録にあるので 別の人だったでしょう
鳥羽天皇の后となった璋子も 藤原家の出ですが
白河法皇と祇園女御の養女となっていました
さて では江戸に戻って
← これは 広重・国芳・豊国(三代)の合作で
小倉擬百人一首 というもの
小倉山みねのもみじば心あらば
いまひとたびの御幸またなん
藤原貞信公の和歌に 描かれているのは
祇園女御です
かきこみの文字は
洛東祇園の片辺に 一人の賤の女あり
天然の美皃 白川院 垣間見たまひて
懸想の余り入て 女御に備たまふ
依て祇園女御と称す
平相国清盛公は 此女性の産所なり
柳下亭種員筆記
平家物語では「~という話もあった」程度の
祇園女御実母説 江戸後期には 定説になってしまったようですね
この「擬百人一首」 他にも仏御前や
祇王などもあって 結構おもしろいですよ
ネットで検索したら 見れますよ
by tukitodoraneko | 2012-01-10 11:51 | 大河ドラマ