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平清盛 第一回「ふたりの父」

平清盛 第一回「ふたりの父」_f0122653_1224811.jpg第一回から がっくりしましたが「まえだまえだ」の
兄弟 がんばってましたね
平太役が弟の方です
大河で 歴史の勉強を
なさる方もいるようなので
ここは せめて 少しでも訂正しておきましょう

昨日も事前勉強に書いたように
清盛の祖父の時代には もう本拠地・六波羅に屋敷があり
立派な寺院も建てていました
順調に 出世してきた正盛・清盛親子は 盗賊狩りなどが役目ではなく
地方の荘園に台頭してきた「武士」に対する押さえとして
白河法皇や 他の貴族たちにとって なくてはならない「軍事勢力」だったのです
まして 義親の乱で後退した清和源氏に代わって 一手引き受け状態
本当は この頃 正盛は院の近臣・藤原顕季や 祇園女御に引き立てられ
院庁で 活動していました
その息子・忠盛は あんな野卑な武人ではなく
笛と和歌の名手であり 白河院のもとで 海賊追討使に任命されています
この海賊は カリブの海賊や 麦わらのルフィとは違いますよ
みんな 瀬戸内海沿岸に領地を持つ新興武士のこぜりあい
これを 調停することで 平氏は西国の武士を 支配下においていきました
そして この任務に成功して 判官代という院庁の役人にまで出世しています
まして その嫡子として生まれた清盛は
大河の中では「犬の子」とののしられていた7才の時
すでに宮廷の儀式に参加するほどの栄誉ある立場にあり
12才では 従五位下 左兵衛佐(さひょうえのすけ)になっています
佐兵衛は 宮廷を守る武官で 主に上流貴族の子弟がなるもの
実際 白河法皇の院政のもとで 清盛親子は 順調に出世しているのですね
これは 平家がその後の武士とはちがって あくまで朝廷内での地位を上げて
貴族となることで 権力を握る「武士貴族」であったからです
その異例の出世ぶりから後世に取りざたされたのが
「清盛は院の子」説ですから どう考えても大河のように
さげすまれ うとまれた・・・という解釈は まちがっています
「平家物語」の中では 院が 忠盛の生まれたばかりの赤子が夜泣きすると聞いて
  よなきすと ただもり(忠盛)たてよ 末の代に
              きよ(清)く さか(盛)ふることもこそあれ

という歌を詠み 清盛という名前をつけてくれた、となっています
これが 江戸川柳では 
   いんのこ いんのこ と忠盛は抱き上げる
「犬の子・犬の子」いぬは「いん」と発音します
これは 犬が出産・育児の守り神だったため 子を寝かしつける時
こう言って あやす習慣があったからです

第一回から これほど初期設定に相違のある大河・・・
頭痛いですが あくまで これは「物語」として楽しみましょう
決して 大河で 歴史の勉強しないでくださいね
勉強するなら 歴史の本と注釈付きの古典を読んでください
そして 「これは 物語の嘘だなー」と わかった上で
大河ドラマを 「ドラマ」として 楽しみましょう

    


 

by tukitodoraneko | 2012-01-09 13:32 | 大河ドラマ

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