江~姫たちの戦国 44回「江戸城騒乱」
2011年 11月 13日
うわー 文句言いながら 大河は今日を含め「あと3回」で終わりです
また1年 速かったですねー
淀は亡くなり とうとう徳川は 敵なしになりますが
江戸城内は まだ問題続出のようです
江の立場にしてみれば 父は伯父・信長に討たれ
母は 後の養父・秀吉に討たれ 今度は姉が 自分の夫に討たれ
戦国の世の習いとはいえ どんな気持ちだったのか察するに余りありますねー
大坂落城の翌年 徳川家康は亡くなり その三週間後 江は京都東山の養源院で 大坂戦没者の供養を 自ら「施主」となって行います
この養源院は 江の唯一の肖像が伝わるところ
もとは 茶々(淀)が 父・浅井長政の
21回忌の文禄3年(1594)秀吉に願って建立したものです
長政のいとこが比叡山の僧侶(成伯法印)であったのを開山とし
長政の院号を そのまま寺の名としています
浅井一族の供養のために建てられたこの寺は 淀が死ぬと
江が受け継ぎ 豊臣の供養のためにも使われるようになるのですね
その後 養源院は火災にあい 元和7年(1621)江が再興しますが
この時 その2年前に廃城と成った伏見城の遺構を移築したのが 今の本堂です
有名な「血天井」のあるところですね
内部は 撮影不可なので 写真はありませんが 有名な俵屋宗達の戸襖に描いた絵でも有名です
この象さんの絵ですねー
以来 養源院は 徳川家の菩提所ともなり
浅井家 豊臣家と並んで 歴代徳川将軍の位牌も祀られています
戦国乱世に 戦い争った因縁の三家が
今こうして並んでいるのも
江・・・という存在がそこにあったから
ということなのかもしれませんね
また1年 速かったですねー
淀は亡くなり とうとう徳川は 敵なしになりますが
江戸城内は まだ問題続出のようです
江の立場にしてみれば 父は伯父・信長に討たれ
母は 後の養父・秀吉に討たれ 今度は姉が 自分の夫に討たれ
戦国の世の習いとはいえ どんな気持ちだったのか察するに余りありますねー
大坂落城の翌年 徳川家康は亡くなり その三週間後 江は京都東山の養源院で 大坂戦没者の供養を 自ら「施主」となって行います
この養源院は 江の唯一の肖像が伝わるところ
もとは 茶々(淀)が 父・浅井長政の
21回忌の文禄3年(1594)秀吉に願って建立したものです
長政のいとこが比叡山の僧侶(成伯法印)であったのを開山とし
長政の院号を そのまま寺の名としています
浅井一族の供養のために建てられたこの寺は 淀が死ぬと
江が受け継ぎ 豊臣の供養のためにも使われるようになるのですね
その後 養源院は火災にあい 元和7年(1621)江が再興しますが
この時 その2年前に廃城と成った伏見城の遺構を移築したのが 今の本堂です
有名な「血天井」のあるところですね
内部は 撮影不可なので 写真はありませんが 有名な俵屋宗達の戸襖に描いた絵でも有名です
この象さんの絵ですねー
以来 養源院は 徳川家の菩提所ともなり
浅井家 豊臣家と並んで 歴代徳川将軍の位牌も祀られています
戦国乱世に 戦い争った因縁の三家が
今こうして並んでいるのも
江・・・という存在がそこにあったから
ということなのかもしれませんね
by tukitodoraneko | 2011-11-13 13:01 | 大河ドラマ