江戸 花の名所
2011年 10月 22日
桜以外の花の名所のこと 書いておきましょう
「江戸名所図会」
不忍池の蓮ですね
池の周りには料理屋・出会茶屋などが並び
どこでも 蓮の葉で
包んだ蓮飯を出しました
東都歳時記では
6月の項
小暑の後 二十日ごろより、と書いてあります
香りもとてもよく
好む人は明け方から訪れたといいます
当時は 溜池にも随分 蓮があったようですが 東都一は 不忍池だったようです
そして 入谷の牽牛花(あさがお)が続きます
もとは この辺りの土がとてもあっていたらしく
御徒(おかち)の内職として 造ったらしいのですが
文化の末より 変わり咲きなど種々の奇品がもてはやされ 品評会なども 行ったようです
柿色の「団十郎」なんて種類も 造り出されました
七夕の牽牛(けんぎゅう)にちなみ 7月7日前後の三日間
見物に行く人もいたようです
文政になってからは 浅草・深川辺でも 造り始め
「朝顔屋敷」などと名づけて 群集したとか
この朝顔市は 今でも行われていますね
同じ時期に 不忍池で蓮の花の開くのを見
それから下谷に回る人もいたそうですよ
どちらにしても 江戸の人たちは 早起きだったんですね
同じ内職でも こちらは大久保百人町の同心が造った躑躅(つつじ)です
旧暦三月の「立夏」の頃からが 見頃でした
名所図会では
「映山紅」と書いて
「きりしま」と
ふりがながふってあります
「霧島つつじ」が 主だったのでしょうね
この大久保の躑躅は 維新後も益々盛んで 交通が発達すると
人出も倍増したそうですが 明治の末には
新しくできた日比谷公園に移植され 大久保は衰えてしまいました
「さつき」の花は 当時「杜鵑花」と書いてあり
これは躑躅の後 杜鵑(ほととぎす)の鳴く頃に咲くので
こう呼ばれたのでしょうね
どれも当て字のようですが「牽牛花(あさがお)」「映山紅(きりしまつつじ)」
「杜鵑花(さつき)」など ちょっと覚えといてくださいね
「江戸名所図会」
不忍池の蓮ですね
池の周りには料理屋・出会茶屋などが並び
どこでも 蓮の葉で
包んだ蓮飯を出しました
東都歳時記では
6月の項
小暑の後 二十日ごろより、と書いてあります
香りもとてもよく
好む人は明け方から訪れたといいます
当時は 溜池にも随分 蓮があったようですが 東都一は 不忍池だったようです
そして 入谷の牽牛花(あさがお)が続きます
もとは この辺りの土がとてもあっていたらしく
御徒(おかち)の内職として 造ったらしいのですが
文化の末より 変わり咲きなど種々の奇品がもてはやされ 品評会なども 行ったようです
柿色の「団十郎」なんて種類も 造り出されました
七夕の牽牛(けんぎゅう)にちなみ 7月7日前後の三日間
見物に行く人もいたようです
文政になってからは 浅草・深川辺でも 造り始め
「朝顔屋敷」などと名づけて 群集したとか
この朝顔市は 今でも行われていますね
同じ時期に 不忍池で蓮の花の開くのを見
それから下谷に回る人もいたそうですよ
どちらにしても 江戸の人たちは 早起きだったんですね
同じ内職でも こちらは大久保百人町の同心が造った躑躅(つつじ)です
旧暦三月の「立夏」の頃からが 見頃でした
名所図会では
「映山紅」と書いて
「きりしま」と
ふりがながふってあります
「霧島つつじ」が 主だったのでしょうね
この大久保の躑躅は 維新後も益々盛んで 交通が発達すると
人出も倍増したそうですが 明治の末には
新しくできた日比谷公園に移植され 大久保は衰えてしまいました
「さつき」の花は 当時「杜鵑花」と書いてあり
これは躑躅の後 杜鵑(ほととぎす)の鳴く頃に咲くので
こう呼ばれたのでしょうね
どれも当て字のようですが「牽牛花(あさがお)」「映山紅(きりしまつつじ)」
「杜鵑花(さつき)」など ちょっと覚えといてくださいね
by tukitodoraneko | 2011-10-22 17:11 | 江戸文化歴史検定