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江戸名所 江戸の富士

江戸名所 江戸の富士_f0122653_10462115.jpg今日は富士講と 江戸にいっぱいあった〇〇富士(不二)の話です
江戸で最も有名だったのは
← 駒込富士浅草富士
浅草は六郷さまの脇にあった「砂利場の富士」です
ここは浅草寺の北で吉原も近かったのでよく流行りました
駒込は 高台にある浅間社に6月1日とその前夜 大勢の人が集まりました
もともと山岳信仰としての富士信仰はありましたが
食行 身禄(しょくじき みろく)という行者が 享保18年(1833)
富士の烏帽子岩の石室で入定(にゅうじょう=食を立って死ぬこと)し
その噂が 瓦版で伝わると 江戸でも大流行しました
その教えは 「男女平等 万民平等」というものだったので
幕府は 再三にわたり これを禁止しますが 庶民はただの
富士山好きで 「富士講」は ますます流行ったというわけですね
江戸名所 江戸の富士_f0122653_1175877.jpgやがて 富士の岩石を取り寄せ 擬似富士山を造ることも流行りました
そして山開きの前日 5月の晦日から 女子供でも昇れる富士山として 庶民に大人気でした
男女平等と言いながら 本当の富士は女人禁制
60年に一度の庚申の年だけしか 女性は登れなかったのですね
これは 高田富士→ 安政7年(1860) 水稲荷の境内にできました
江戸名所 江戸の富士_f0122653_11134124.jpg← こちらは鉄砲洲にあった富士です
寛政2年(1790)にできたそうですよ
当日には どこでも麦わら製の蛇を売りました
「江戸塵拾」によると 駒込辺の百姓がこれを売り
求めた家だけは その年の
疫病にかからなかったため
縁起物として 富士講につきものとなったそうです
江戸名所 江戸の富士_f0122653_11225575.jpgこの他にも 団扇や五色の糸で編んだ網袋
真桑瓜・桃・スモモなどの水菓子をこの袋に入れ 持ち帰ったのですね
江戸切絵図を見ると 所々に富士の絵が描かれています
これは 千駄ヶ谷の富士ですねー →
下谷坂本富士と呼ばれたのは 小野照崎明神のもの
こちらは今も残ってますね
江戸名所 江戸の富士_f0122653_11392149.jpg深川は 
永代寺にあった富士
こちらは3月21日から4月15日まで 桜の時期に合わせ「山開き」と称して公開しました
奥に見えるのがそれですね
「寺社書上」では 享保7,8年頃起立と書いてあります
江戸名所 江戸の富士_f0122653_11461233.jpg目黒には 二つの人工富士があり
広重は 二つとも名所百景に描いています
こちらは元富士 →
文化9年(1812)目黒村の富士講中が建てたもので
富士の溶岩を使い 12mの高さでした
江戸名所 江戸の富士_f0122653_11484257.jpg← こちらは新富士で 文政2年(1819)蝦夷から帰った近藤重蔵が造ったので近藤富士ともいわれます
重蔵は 熱心な富士講信者だったようです
しかし 7年後 息子の富蔵が 富士の隣にあった百姓の一家を皆殺しにする事件が起こってしまうのですね
この富士に関わる利権争いが発端と言われています
富蔵は八丈島に流刑になり 後世を八丈の発展のために尽くします
しかし そんな事件の現場とは思えないのどかな
光景ですね
江戸の人たちって 本当にものにこだわらない性格だったんですねー
この絵は 事件からほど遠からぬ安政期に描かれたものです
今日はこの辺で・・・

by tukitodoraneko | 2011-10-18 12:08 | 江戸文化歴史検定

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