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人馬に乗ったこびとの殿さま

人馬に乗ったこびとの殿さま_f0122653_1856325.jpgむかし この辺りに「こびとの殿さま」が
おってな
この殿さまは 山のぼりが大好きで
「人馬(ひとうま)」に乗っては 山へ行く
とうとう 高い山の上にお墓をこしらえて
そこで 今でも眠っておられる
それでも 時々この山の上で
人馬に乗った殿さまに 出会うものがあるそうな

こんな不思議な話が伝わるのは
← 大分県 大船山
人馬に乗ったこびとの殿さま_f0122653_1905099.gifまるでおとぎばなしのようなこの伝説
実は本当の話でお殿さまの名前は 豊後 岡藩・三代藩主 
中川(山城守)久清といいます
この人の先祖は 賤ヶ岳で討ち死した中川清秀
最初は織田信長に仕えていたそうです
岡藩初代は この人の息子
三代目の久清は 中興の栄主と呼ばれていますよ
この人 幼少期を京で過ごしたので ちょっと尊王気味
学問も幕府の嫌う「陽明学」がご趣味で
備前岡山の池田光政とも親しく
そのご縁で 熊沢蕃山を招いて「富国強兵策」を学んだりしています
堺から鉄砲鍛冶を呼び 鉄砲隊を作って 軍事訓練もしたんだとか・・
このお殿さまの最大の趣味が「登山」だったのですね
当時 山に登るのは 信仰や修行のため
苦行であって 楽しみではなかったのです
趣味で山登りをしたこの殿さまは 日本初のアルピニストとも言えるでしょう
しかし この殿さま 身長が四尺九寸=148cmと当時でも小柄
その上 足が悪かったというので 自分の足では登らない
しょいこに鞍をつけたような道具をこさえて 人の背中にしょわれて登山しました
これが「人馬」ですよ
背負う人も 村のニ家に決まっていて このために名字帯刀を許されてたんだそうです
人馬で登るのも「登山」か?と言われれば 確かにう~ん・・・と思いますが
この殿さま 背中で煙草を吸っては その灰をポンポンと担ぎ手の頭に落とし 
充分に「人馬登山」を楽しんでたらしいのですね
しかし この登山も幕府からは「山奥で軍事訓練か」と疑われたみたいで
寛文6年(1666)52才で 隠居して「入山」と号します
そして 自分の墓所をこの大船山の中腹 海抜千4百メートルの所に指定します
人馬に乗ったこびとの殿さま_f0122653_2021965.jpg
 
↑ わかりますか? のところですよ
天和元年(1681)67才で亡くなった入山は ここに眠っています
江戸からの船中で発病して 国に着いた時にはもう立てなかったそうです
なんだか加藤清正の最後に似ていますし 盟友・池田光政も帰国後に死んだので
幕府に一服もられたのではないか・・・という噂が立ったそうです
当時は まだ幕府の創建期 そんな噂も多かったのでしょうねー
人馬に乗ったこびとの殿さま_f0122653_20332019.png今に残る画像では ←こんな方
目がぎょろりとして 髭もぼうぼう
ちょっと 異相の方ですね
こんな方に山奥で出合ったら 私はちょっと怖いかも・・・
でも こんな山奥に 墓参りに来なくちゃならなかった子孫や家来は 
それどころじゃなかったでしょうねえ 
本当のアルピニストは この方々なのかもしれませんね

by tukitodoraneko | 2011-09-16 20:40 | 江戸のあれこれ

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