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秀勝の死

秀勝の死_f0122653_157242.jpg今日でやっと 秀勝の死のあたりまで
追いつくかな?
さて 大河ドラマでは 小和田さん監修なので その説の通り 二人はわずか数ヶ月の結婚生活ということになっていますが もう1説では 
秀勝がおじ・秀吉の養子になった後ほどなくに
結婚・・・となっています
これですと 二人は二年ほどの新婚生活を
おくっていたのかもしれませんね
どちらにしても 鶴丸の死んだ翌年 天正20年(=文禄元年・1592)には 
朝鮮征討にともない 第9陣として 壱岐・対馬に布陣していた秀勝は 
巨済島で 病没してしまいます
この巨済島(コジュド)韓流好きの奥様なら ご存知ですね
「冬のソナタ」にも出てきた風光明媚の地です
秀勝は享年24才でした 未亡人となった江は20才
命日は 9月9日ですが 月末までその訃報は 日本に届いていなかったようです
この知らせと 完子と生まれたのとどちらが先か 資料ではわからないのですが 
秀勝は生前から江の妊娠は手紙で知っていましたので さぞかし心残りだったことでしょう
遺体は 日本に帰り 秀勝の母・ともが嵯峨・亀山に葬り 善正寺を立てました
後に 京都市街・岡崎に移転しますが 墓は今もこの寺にあるそうですよ
秀勝の遺領・遺臣(岐阜集)は 織田秀信(三法師)が受け継ぎ
江は 聚楽第の秀勝の屋敷から 大坂城に戻ったようです
ここに 名護屋でめでたく妊娠した姉の淀が戻ってくるのですね
ちなみに 鶴丸の死後 淀城は「「縁起が悪い」と破却されていましたので
これ以降 茶々は「淀殿」ではなく 大坂城二の丸に住んだことから
「二の丸殿」 「大坂の御方」と 資料には出てきます
そして翌年の夏 8月3日に 茶々はお拾(後の秀頼)を産みます
これから 三年後 江が秀忠と三度目の結婚をするまで
姉妹は 大坂城で 一つ違いの子供を育てながら また一緒に暮らすことになるのですね

よしよし やっとここまで 追いついたぞ
明日は まさかの世継ぎ誕生で あわや・・・の立場に立った秀次と
次の結婚相手 あの小憎らしい秀忠のことでも 書いてみましょう
では また

by tukitodoraneko | 2011-07-22 16:06 | 大河ドラマ

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