太閤記さまざま

f0122653_12312691.jpg今日は 太閤記のことにしましょう
太閤さんの記録は いろいろありますが 私がよく
使っているものいくつか挙げてみます
この時代の記録というと 宣教師フロイスのかいた「日本史」がありますね
これは外国人が書いたものですが 同時代 奈良・興福寺の塔頭(子院)多聞院の院主が代々書き継いだ「多聞院日記」というものもあります
これは 文明10年(1478)から江戸時代の元和4年(1618)まで とびとびながら残っていて
太閤のことだけでなく この時代の大きなできごとがかなり載っている資料です
この他には 竹中半兵衛(重治)の息子・竹中重門が 寛永8年(1631)ころ
書き上げた「豊鑑」というものもあります
この人は 関が原では 西軍から東軍に鞍替えした一人で 
江戸時代になってからは 「交代寄合」として残っています
「信長公記」を書いた小瀬甫庵も「太閤記」を書いていますし
もう一つ「川角太閤記」というものもあり これは秀吉の甥・秀次に仕えた田中吉政の家臣で 
川角三郎右衛門という人が書いたものなので こう呼ばれます
これは 本能寺の変から始まり 関が原までの記述があります
ここまでが 同時代の記録といっていいものですね
f0122653_12562828.jpgそして この「川角・・・」を元ネタとして書かれたのが「絵本太閤記」でした
初編発行は 江戸も後期に近い寛政9年(1797)
竹内確斎・著 岡田玉山の挿絵で 
大坂で出版され 大ヒット
7編ー84冊が出て 享和2年(1802)に完結しました
これは 徳川政権下で書かれたものなので 家康は出てこないし
織田→小田 島津→志摩図のように書き換え 気を使っているのですが
太閤人気はうなぎのぼりで とうとう刊行から二年後 絶版を命じられてしまいました
浄瑠璃 歌舞伎になっているのは この「絵本太閤記」を 元にしています
記録としてより 通俗小説としてヒットしたのですね
だからこの本の中では 秀吉は 他の史書では出てこない「桶狭間」でも大活躍していますし
茶々のことは 「淀殿」「淀の方」ともいわず 最初から「淀君」よばわりです
江戸時代の人の考えた太閤記 
なかなかおもしろいもんですね



 
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-05-30 13:29 | 大河ドラマ

<< 飼い殺しにして! 台付き時服って? >>