コニカミノルタと テンの皮
2011年 05月 25日
久しぶりに 江戸の小話的なものいってみましょう
この手の話 大好きなんですが 出典が定かでないと なかなか書けません
この話は 岸井良衛さんの書いたもので コニカへの取材済みです
ま、特に試験にも出そうもない分野なんで お耳汚し・・・ってことで
さて 江戸の麹町四丁目北側に 小西六兵衛の薬種店がありました
なかなか繁盛して 裏表ともに土蔵造りでしたが
この当時は とにかく火事が多い
天明年間(1781~)からでも この辺りは五度の大火に 見舞われております
しかし この火災においても 小西六の家は 必ず焼け残ります
文政六年(1823)の火事は まことにひどく 麹町通りの三丁目
北横町の家主の家から出火して 赤坂新店までが灰燼に帰しました
この時の火事で その隣町の小西六の家が焼け残ったのには
ただ 地所が広い 用心がいいだけではなく
じつはここに 先祖伝来のあるものが 役に立ったから・・・というのです
その先祖伝来の重物というのが 小西行長が朝鮮から持ち帰ったというテンの皮
テンというのは いたちの仲間で ネコ目(もく)だそうですね
日本にもおりますそうでなかなか かあいらしいもんです
小西六の家では 火事が近いとなるとそれっ!てもんで
この皮をかつぎ出し 二階の軒下から 雨落ちまで
この大皮で 覆うんだそうです
もともと 皮ってもんは 火がつきにくく 江戸の火消しも 皮羽織を 粋に羽織ったもんです
そのうえ この貂(テン)の皮ってもんは 火にあうと
柔らかになって 露がたれるように なめらかになると
もうします
残念ながら このテンの皮 数十年に渡るお役目を
果たし 天保9年(1838)の回禄(=火事)にかかり
あえなく 燃え落ちてしまいました
その後の小西六のことですが 幕末ころから流行り
だした写真術の薬材も 扱うようになりましてね
御維新ののち ここから写真機材を扱うお店が分かれ
日本橋に 「小西本店」として独立します
これが 今のコニカミノルタの創業で ございます
思えばはるか太閤のむかし 朝鮮より持ちかえったるテンの皮が
子孫末代までを 回禄より守りし功徳のはなし
それでは 今日はこの辺で・・・・
どちらさまも お足元に気をつけて お帰りなさいまし
この手の話 大好きなんですが 出典が定かでないと なかなか書けません
この話は 岸井良衛さんの書いたもので コニカへの取材済みです
ま、特に試験にも出そうもない分野なんで お耳汚し・・・ってことで
さて 江戸の麹町四丁目北側に 小西六兵衛の薬種店がありました
なかなか繁盛して 裏表ともに土蔵造りでしたが
この当時は とにかく火事が多い
天明年間(1781~)からでも この辺りは五度の大火に 見舞われております
しかし この火災においても 小西六の家は 必ず焼け残ります
文政六年(1823)の火事は まことにひどく 麹町通りの三丁目
北横町の家主の家から出火して 赤坂新店までが灰燼に帰しました
この時の火事で その隣町の小西六の家が焼け残ったのには
ただ 地所が広い 用心がいいだけではなく
じつはここに 先祖伝来のあるものが 役に立ったから・・・というのです
その先祖伝来の重物というのが 小西行長が朝鮮から持ち帰ったというテンの皮
テンというのは いたちの仲間で ネコ目(もく)だそうですね
日本にもおりますそうでなかなか かあいらしいもんです
小西六の家では 火事が近いとなるとそれっ!てもんで
この皮をかつぎ出し 二階の軒下から 雨落ちまで
この大皮で 覆うんだそうです
もともと 皮ってもんは 火がつきにくく 江戸の火消しも 皮羽織を 粋に羽織ったもんです
そのうえ この貂(テン)の皮ってもんは 火にあうと
柔らかになって 露がたれるように なめらかになると
もうします
残念ながら このテンの皮 数十年に渡るお役目を
果たし 天保9年(1838)の回禄(=火事)にかかり
あえなく 燃え落ちてしまいました
その後の小西六のことですが 幕末ころから流行り
だした写真術の薬材も 扱うようになりましてね
御維新ののち ここから写真機材を扱うお店が分かれ
日本橋に 「小西本店」として独立します
これが 今のコニカミノルタの創業で ございます
思えばはるか太閤のむかし 朝鮮より持ちかえったるテンの皮が
子孫末代までを 回禄より守りし功徳のはなし
それでは 今日はこの辺で・・・・
どちらさまも お足元に気をつけて お帰りなさいまし
by tukitodoraneko | 2011-05-25 13:41 | 江戸のあれこれ