江戸っ子は 家康を知らない

私が 江戸検定の1級に受かった時の 家人の反応
 「すごいじゃないか!!じゃあ 16代将軍 全部 言えるのか?」
あらら・・・一人増えちゃったね
でも 喜んでくれてるみたいだから 気持ちだけ頂いとく
江戸検 受ける人は徳川将軍(15人ね!)の名前 全部言えて当たり前だけど
高校までしか日本史やってなければ こんなもんなんだろうなー
と 逆に納得しました
しかし! 江戸時代には どうだったかと言うと
ほとんどの人は 将軍の名前・・・この場合は「諱(いみな)」
家康とか 慶喜というのを 知らなかったんですよ
というのも 古くから 貴人・死人などの実名を 呼ぶのをはばかる習慣があったからですね
f0122653_12464496.jpg私は 幕末期の川柳で
  朝敵になって 慶喜(けいき)の名がわかる
というのを 読んだ時 ひえー やっぱりそれまでは知らなかったの!と あらためて 愕然としましたよ
今 時代劇・時代小説には 当然のように 将軍の名前が出てきますので つい 勘違いしてしまいますが 江戸時代将軍の実名=諱を知ってるのは一部の人だけ
ましてや 生きてる内に 実名で呼ばれることなんて ほとんどなかったでしょう
これは天皇になると もっと厳格で 生きているうちは 
公文書にも 名前は載せませんでした
f0122653_1345991.jpg幕末の異人嫌い天皇は 孝明天皇と 今の私たちは知っているのに「旧事諮問録」では 外国奉行がパークスに 天皇の名前を聞かれ困った・・・という記述があります
たいてい当代の天皇のことは今上天皇で 通用していたんですね
今上(きんじょう)とは 今の・・・というくらいの意味です
その上 この孝明・・・というのも死後の諡号・追号というもので 
実名ではないのですね
それぐらい厳密に 貴人の実名は 隠されました
将軍も死後の諡号があり 家康→東照宮 秀忠→台徳院なのです
私たちが「徳川実記」と 呼んでいるものも 本当は一代ごとに
「東照宮殿御実記」「台徳院殿御実記」と なっていますね
f0122653_13201084.jpgこの実名を忌む風習 私は 映画の「陰陽師」を 見て へー やっぱり!と思いました
この中で 晴明が「名前は この世で最も短い呪(しゅ)だ」という意味のことを言っています
という字は 「のろい」「まじない」どちらの意味でも この字を使います
人の福を願うなら「まじない」 災いを願うと
「のろい」になるからでしょう
この時に 相手の実名がわからないと 呪術は行えません
名前をつけることで 魂が宿るという「言霊」の思想と 同じ理屈でしょうか
f0122653_13331666.jpg家康の場合を例にとると 源 朝臣(あそん) 徳川 次郎三郎 家康となり
源は 朝臣が(かばね) 徳川が苗字(=名字) 次郎三郎が通称 家康が(=実名)になるのです
しかし 普通呼ぶ場合はどうしたかというと たいていは官職につくと 通称が この官職名に変わるのです
豊臣政権化では 家康は内大臣でしたので 
その唐名で「内府殿」と 呼ばれました
この呼び方は江戸時代になっても踏襲され 
水戸黄門 大岡越前 吉良上野介も そうですね
知り合い同志の手紙では もっと略して 石田三成のことを治部少輔だったからと 
「石治部」などと書いてあります
また 同じ官職名が多いと 何かと大変
美濃守など 一度に5、6人いた時代もあったといいますから めんどくさいですね
古文書など読むときは その時 その官職に就いていたのが誰なのか
わからないと 読み解けなくて これが結構大変な作業
明治になってから 氏姓名字すべて統一することになって だいぶ簡単になりました
「16代」といった家人には とりあえず 「まー あなた江戸っ子みたいね!」と言っときました
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by tukitodoraneko | 2011-05-18 14:03 | 江戸のあれこれ

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