赤坂までも埼玉のうち

さて 一日とんでしまいましたが 本郷の話に戻ります
とてもおもしろい記述が見つかったので 書いてみましょう
ネタになったのは 海保青陵が書いた「東贐」(東のはなむけ)という書物です
江戸後期の経世家・・・けいせいかというのは経済思想家といったところでしょうか
この海保さんは 日本のいろんなところを見て歩いて 進言した人なんですが
この本は 文政2年(1805) 金沢にいる時 これから江戸に出る勤番武士
富永さんのために 江戸での注意を 懇切丁寧に書いたものです
f0122653_11225251.jpgこの中で 海保さんは 「江戸といっても広うござる」と 説いています
「江戸は 武蔵野国のいろんな郡が入り混じり 
できたところ
まず お城のあるのが豊島郡
ここは ご入国の折 千代田村があったところ
郡・村 ともに「めでたき名前」ということで
ここにお城を建てたと聞いています
下町 浅草 行徳 南は芝 築地辺りまで
ここの風儀は 知があって いらいらとし 鋭し
品川 目黒は 橘(樹)郡
ちぢまりて 小さき腹中 
永代(橋)向こうは 葛西郡 ここは昔は下総の国
本所 深川など 風儀は のらつき遊び好き きれいなれども 智かろし
これを 私は「郡違い」と言っています」
もとの郡により その土地の風俗 人の性格に 相違があるといってるわけですね
f0122653_11331190.jpgさあ では本郷はというと・・・
「こなた様の上屋敷あるところ(本郷)は
四谷 赤坂 牛込と共に 埼玉郡なるべし」
げっ! 赤プリも埼玉に建ってるんですね?
「丸の内 下町のことは とかく本郷に流行すること遅し 人物も 本郷の人はぬるし 大やぼ也
うっかりもの多し 不潔なり 智浅し
ああ もう散々・・・!
「郡違いゆえ 何もかもちがうなり
埼玉は 遅鈍なり 武蔵武士ようなり 田舎風なり
衣服 食物に至るまで 下町とちがって
はなはだ悪し」
まあ このあと海保さんは 「だから気をつけて 
恥をかかないようにこうしなさいよ」という 
アドバイスを書いてくれていますが
それにしても 赤坂までが 田舎ものの土地だったとは・・・!
現在では 東京と埼玉の境目では 数メートルの差で
家賃がかなりちがうとか・・・
住所はやはり「東京都」としときたいのが人情なのでしょうか
でも ほら 江戸までさかのぼれば 大丈夫
赤坂の料亭やら ディスコやらで遊んでいたあなた
大やぼで 田舎風だったんですよ!
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by tukitodoraneko | 2011-04-22 12:52 | 江戸のあれこれ

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