振袖火事の火元

さて だいぶ間があいてしまいましたが 巣鴨ツアー もっといろんなところに行きました
駅前の福島家さん 染井霊園 その次は本妙寺です
f0122653_14451377.jpgこのお寺はもともとここにあったのではありません
移ってきたのは 明治の末
それまでは 本郷丸山というところにありました
今の東大の西側にあたります
丸山の本妙寺というと そう!あの明暦の大火=振袖火事の火元となったお寺ですね
1557年 火にくべた振袖が舞い上がり 江戸の町の大半を焼き尽くし 10万人の死者を出した
大火事です
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この火事で 江戸城も天守閣ごと燃え落ち
それ以来 天守は再建されませんでした
このお話は 講談や小説にもなっていますので
ご存知の方も多いでしょう
ちょうど今頃の季節 上野へ花見に行った16才のおきくは
そこで 振袖姿の小姓に一目ぼれしてしまうのです
「メルアド交換しませんかー?」なんてことのできるわけもなく
恋わずらいのおきくは お医者様でも草津の湯でも
治せない病で 若い命を散らせてしまいました
せめてあの人と同じ振袖を・・・と あつらえた着物をお棺に
かけて 両親は泣く泣く本妙寺で葬儀を行いました
ところが!この振袖は 古着屋を通じ人手に渡り
あと二人の16才の娘の命も奪ってしまうのです
その葬儀と法事が重なって 娘たちの親は驚きます
見覚えのある振袖・・・さてはこれが悪因縁
と これを焼いて供養しようとしたところ 大火事になってしまったというわけですね
f0122653_15105198.jpgしかし 最近になって本妙寺さんは これと別の説を発表しています
老中・阿部家の火元引き受け説とでもいいましょうか
← ご覧のように丸山では 時の老中・阿部忠秋の中屋敷がご近所さん
実は この阿部家が出火元だったのを
幕府に言い含められて 罪をかぶったというものです
その根拠は 当時 火事を出すのは重罪であったのに
本妙寺は 同じ場所に立派に再建され 存続したこと
そして 今だから言えるのですが 当寺には 以降
260年に及び 阿部家から「供養料」という名目の
金子が奉納され続けた、という事実です
上の写真でも分かるように このお寺の山号は徳栄山
岡崎時代からあり 家康と共に江戸に出てきたお寺ですから
それも当然・・・といったところだったのでしょうか
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今も残る供養塔だけは 真実を知っているのでしょう
本妙寺さん 何もかもおっかぶされてる点では今の東電社長といったところかな
ここには他にも あの遠山の金さん
千葉周作 関宿藩主・久世家
囲碁本因坊歴代の墓
があります
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by tukitodoraneko | 2011-04-15 15:39 | 江戸のあれこれ

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