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誕生日と法事

誕生日と法事_f0122653_1034391.jpgこんな未曾有の大災害の中 申し訳なくて書けなかったのですが 実は昨日3月21日は私の誕生日でした
ドサクサにまぎれて 今年は年をとるのやめようと思っていたのですが 心やさしい友人たちから メールや電話で祝ってもらいましたので ここでお礼を・・・
年をとって一番うれしいことは 皆さんのようなお友達が増えていくことです
被災地の中で お誕生日を迎えられた方もいるでしょう
その方々にも お誕生日おめでとう!
年をとるってことは 生きているってことです
来年は もっとステキな誕生日になることを 確信し 
頑張りましょう
きっと その時には1年前の何も無かった最悪の誕生日を
笑いながら 思い返せることを祈ります

さて 今日は 「藤岡屋日記」の中から 織田信長の法事のことを書いたものが
みつかりましたので ちょっと書いてみましょう
天保2年(1831) 江戸で 織田信長の「250回忌」が 行われました
250回忌ってすごいですね!
織田の家系は 信雄の家系は天童藩 有楽斎の家系が柳本藩など
いくつも 残っていましたし 庶子では津田・溝口など 他姓を名乗りながらも
結構 続いていたのですね
そして 弘化からこの天保にかけて 徳川家の旗本として続いていた織田家から
大目付の重職に上ったものがいたのです
織田信濃守といい 天保の切絵図では 大名小路の中
水野忠邦の右隣に 屋敷がある人です
この人の祖先は 織田信行(信勝とも)といい 信長の実弟でした
当時 「大うつけ」と言われていた信長とちがい 聡明な武人で
柴田勝家などは 初め この信行を 織田家の当主にと 考えていました
しかし 家臣の冗漫などから 二度目の謀反を告げ口されて
22才の若さで あえなく討たれてしまいます
誕生日と法事_f0122653_11204648.jpgその子 七兵衛信澄は 幼い上 祖母の嘆願もあって 許され
どういうわけか信長にかわいがられて
安土城跡には かなり良い位置に
屋敷跡が残っています
写真 左が「信澄邸跡」  右は 「森蘭丸邸跡」です ↑
この信澄 このままならよかったのですが
秀吉の仲介で 明智光秀の娘をめとったのが 運の尽き
結局 本能寺の変の後のドサクサで 28才で処刑されてしまいます
この末裔が 大目付になった織田信濃守なんですねー
では 「藤岡屋日記」の叙述を 読んでみましょう
 「このたび 信長公の250回忌にあたり 七兵衛信澄の末葉
  当時 大目付 織田信濃守のこと
  七兵衛は 明智光秀の娘婿であり 本能寺の変に加担したとて
  絶縁となっていた
  しかし今回は 重いお役目に着いたことだし ということで
  また付き合うべく 法事を知らせる使者を送った
  しかし 香典を持ってきた代参の者 焼香をするべく
  前に進んだところ 前後 忘却し 途方にくれる様子となる
  これは 亡き信長公の思し召しと気付き 病気として 早々に退散す
  これよりまた お勤めのことばかりで 親戚付き合いは 前のごとく絶えてしまった」
と いうものです
代参の方 今なら 軽い脳梗塞じゃないかと思われますが
当時は 「信長公の思し召し」だったんですね
こんな風に 何かの因縁にすぐ結びつけるところは
どこかの都知事に似ていますね
  

by tukitodoraneko | 2011-03-22 12:22 | 江戸のあれこれ

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