浅草寺 消えた茶袋
2010年 12月 22日
広重の「東都名所 金龍山歳の市」です
何気なく「東都歳時記」を読んでいましたら おもしろい記述がありましたので
ご紹介してみましょう
まず たくさんの売り物の中で 蛭子(えびす)・大黒の木像は
田村八太夫という人が これを作って市で売ることを許されていた・・・
と 書いてあります
縁起物ですが やはり許可制だったのですねー
たぶん 結構な礼金をお寺に納めたのでしょうが 一手製造で小売に卸したんですね
儲かったでしょうが 大黒は盗まれるんで 小売商は頭が痛かったでしょう
もう一つ 「茶袋」という 縁起物を売っていたと書いてあります
これは 他のものと違い 本堂の下のみで売ったそうです
財布のように 縦6寸(18cm)×横5寸(15cm)くらいの袋を作り
中に 一文銭と苧(ヲ)が 入っていたそうです
茶袋というのはたぶん 当時 お茶の葉を入れて煮出す袋に似てたからでしょう
苧・・・というのは 繊維を採るための植物のこと
うちの庭にも生えますね これ →
雑草だと思ってましたよ ほっとくと1m位になります
←繊維をとったあとが 苧殻(おがら)
ワラの太いのみたいで お盆の
迎え火などで 焚くやつです
これと一文銭が この茶袋に入っていて ひとつ56文ほど
そば一杯16文の時代に 随分お高めです
これを買い求めると 売る人が左の袂(たもと)に入れてくれるんだそうです
買った人は そのまま家に帰って これを右へ抜き出します
そして この苧と銭をいつも懐に入れておくと 諸厄を逃れるという俗説だったとか
茶袋を買わなくとも 苧だけを袂に入れさせるというバージョンも
あったようです
こっちの方が 少し安かったのかな?
こんな 俗説 私は全然知りませんでした
小さい時から おばあちゃんに連れられ 随分 浅草寺には行きましたが
ついぞ 見たことなし
まだ 残っている地域はあるんでしょうか?
たぶん 江戸時代で終わってしまったんでしょうね
誰もが 着物を着ていた頃の なんだかのんびりとした風習ですね
by tukitodoraneko | 2010-12-22 10:31 | 江戸のあれこれ