人気ブログランキング | 話題のタグを見る

そして弥太郎は

そして弥太郎は_f0122653_104035.jpgこの写真は 明治10年頃の
三菱幹部の集合写真です
前列左から二番目が弥太郎ですね
42才くらいの写真です
龍馬の死後 王政復古 明治維新と時代は急回転で進み それと共に 長崎にいた外国人たちも 神戸・横浜に移っていきました
弥太郎も まず当時の経済の中心地 大坂に居を移します
そして弥太郎は_f0122653_10492075.jpgそして明治3年 土佐藩の藩営事業だった土佐商会は 民営の九十九(つくも)商会に譲渡されました
これを 買い取ったのが弥太郎です
これには 旧藩士の雇用継続 高知・大坂間の航路確保に加え それまでの債務・債権を全て引き継ぐという条件がついていました
三菱マークの前身は 九十九商会の船信号だったんですね→
弥太郎は この条件をすべてクリアし 明治6年には三菱を名乗り よく7年 その本店を東京に移しました
以降 台湾出兵の軍事輸送や 西南戦争での政府軍の輸送などを引き受け 明治政府とのパイプを確保し 財閥としての財政的基盤を 築いていくのです
そして 念願の海外航路に進出し 東洋の海上王と言われるまでにのし上がります
飛行機のない当時の海運市場を独占するまでになった三菱に対し
15年 三井などのアンチ三菱派の対抗策として生まれたのが共同運輸です
2年半にわたる両者の熾烈な価格引下げ闘争の末 これ以上は国益に関わると政府が介入
18年9月に 両者が合併し 日本郵船が設立されるのですね
しかし その直前の2月 岩崎弥太郎は胃がんのため 50年の人生に幕を引きました
   われ東洋の男児と生まれ 航海・運輸などの事業を創め 
   未だその三分の一だに成し遂げず 今病みて死するは如何にも残念
弥太郎の伝記に書かれている晩年の言葉は 口惜しさに満ちています
しかし 土佐の貧しい鳥かご売りの郷士の子が
維新から数年の内に 東洋の海運王になるというこの時代
弥太郎も 龍馬に劣らぬ一代の英雄であったのだな と思われますね
そして弥太郎は_f0122653_12292718.jpgこれは三菱の店に飾られていた巨大なおかめの面
弥太郎は 常にこの笑顔で接客するよう社員に指導していたそうです
今は 三菱UFJ銀行が所蔵しています

by tukitodoraneko | 2010-12-02 12:34 | 明治・大正・昭和

<< ツアーにご一緒しませんか? その後の海援隊 >>