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大千住!

大千住!_f0122653_1057545.jpg千住大橋を渡り 左手へ行くと橋戸稲荷神社です
千住の船着場・橋戸町の総鎮守で
本殿の内扉には 有名な伊豆長八
鏝絵(こてえ)があります
左右の夫婦狐ですね
鏝絵と言うのは 漆喰と左官の使う鏝(こて)で 
蔵の内外などに浮き彫りを彫る技術です
彩色したものもあり 寺院の装飾や
店の装飾としても使われています

ここを過ぎると もう大千住です
せっかくガイド役のO沢さんが 立派な「分間延絵図」を下さったので 載せてみましょうね
大千住!_f0122653_1111498.jpg

右が南 浅草方面です 橋を渡れば川原町 そのすぐ先がやっちゃ場です
慶長3年(1598)石出掃部亮吉胤が 現在の仲町の辺りを開拓し 掃部(かもん)新田を開き
日光東照宮の造営に伴い 往来が増え 
寛永2年(1625)日光道中の初宿に定められました
天保14年(1843)には 総戸数2370軒 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠屋55軒
人口 9956人という大規模な宿場町として発展しました
千住は 宿場町としてだけでなく 当時は青果・穀物・川魚まで扱ったやっちゃ場
そして 水戸街道に続く町として水戸様御用の飛脚問屋もあり繁栄しました
この「水戸様御用」の人足たちの鼻っ柱の強さと言ったら
水戸の御紋の入った提灯にぶつかった侍たちを 追いかけ回すくらいのもの
大千住!_f0122653_11435676.jpgそして もう一つ千住の発展を担ったのが
飯盛り女と言う名目の女たちを置いた遊女屋です
←「岡場遊郭考」より 当時の遊女屋の名を出してみました
上が千住一丁目で 大橋に近い方(南)です
さて 宿場町といいながら ここ千住は 花の吉原のすぐ近く
どうして ここまで遊女屋が繁盛したかと言うと
実は 吉原の男たちと歌舞伎役者が来たのです
吉原の中には 女ばかりでなく 多くの男衆が働いていました
この人たちは 「夢の国」の暗黙の了解で
自分たちの職場のある吉原では 遊ぶ事ができなかったのですねー
それとともに 庶民よりも一段下と考えられていた役者たちも
吉原では 遊ぶことを禁じられていたといいます
こういう人たちが 浅草田圃から足を伸ばして
千住に遊びに来たってわけです
おもしろいもんですねー

大千住は書くことが一杯で 明日に続きます

by tukitodoraneko | 2010-11-15 12:10 | 江戸のあれこれ

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