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江戸博覧強記より その2

江戸博覧強記より その2_f0122653_11353689.jpg今日も「江戸博覧強記」からです
参考のため 当時の主な藩の地図を
載せておきます
一日目は 東北地方の地図です
寛政の頃・・・1800年頃には 全国で
264家の大名が存在しました
これらの大名は 大きく二つに分けられ まず10万石以上かどうか
そして官職で侍従以上のものと以下のもの という二つの基準がありました
これで どんな差があるかというと 将軍代替わりの時に出される領地朱印状が
10万石以上&侍従以上だと 
領地判物(花押付き)
10万石以下または侍従以下だと 
領地朱印状(朱印付き)
だったのですね
え?それだけ?と思うかもしれませんが 今のサラリーマンと同じで 武士はこの「格」というのにこだわったのですねー
この身分の違いによって 登城した時の控え室=殿席
将軍に謁見する部屋=礼席が 変わるのです
着る物だって 位階ごとに色や形の規定がありました
平和な江戸期には 戦で武勲を挙げることはできないので
大名達は この位階・官職を上げ 家の格を上げる事に腐心したんですね
殿席のことは 今までも試験に出ていますので ちょっとおさらいしときましょう
「甲子夜話を書いた松浦(まつら)静山の殿席は?」という問題でした
まず 一番格上の方から行きましょう
大廊下 上・・・御三家(尾張・紀伊・水戸)
      下・・・加賀前田・越前松平
溜の間  ・・・・臣下の最高席 重職についているもの 老中・大坂城代・京都所司代・三奉行
         (高松藩主・彦根藩井伊家など)
大広間 ・・・・ 御三家の分家や親藩(高須藩・津山藩・14松平など)
         国持ち大名(仙台伊達家・久保田(秋田)佐竹家・米沢上杉・津藤堂・福岡黒田
                 佐賀鍋島・鳥取池田・岡山池田・広島浅野・萩毛利・徳島蜂須賀
                 伊予宇和島伊達・土佐(高知)山内・対馬宗・熊本細川・
                 薩摩島津・・)
         外様の四品(従四位下)以上(弘前津軽・盛岡南部・柳河立花・二本松丹羽など)
帝鑑の間・・・・古来よりの譜代で侍従以上(宇都宮戸田・壬生鳥居・佐野堀田・結城水野・
                            小田原大久保・高遠諏訪・甲府柳沢など)
柳の間 ・・・・・外様の五位(平戸松浦・大村・長府毛利・丸亀京極・赤穂浅野など)
雁の間 ・・・・・新規の譜代 高家など(勝山三浦・福島板倉・磐城平内藤および安藤・小諸牧野
                        高遠内藤・淀稲葉・福知山朽木など)
菊の間 ・・・・・新規の譜代 従五位下(牛久山口・吹上有馬・足利戸田・伊勢崎酒井・
                        久喜米津など)

全体から見ると 柳の間 外様の小大名というのが 一番多い感じがしますね
時には 縁戚関係で上がることもあります(島津など)ので 一定ではありません
次に 武家の官位のことですが だいたい二位から五位までで正(しょう)と従(じゅ)がつきます
正三位 従三位のように 同じ三位でも二種あり正のほうが上
またそれに上・下があり たとえば従四位下(じゅしいげ)といいます
読み方は 三位=さんみ 四位=しい 七位=しちい です
将軍でも だいたい二位止まりですが(死後に追贈は除く)家光と家斉は生前に一位まで上がっています
位階は 朝廷からいただくのがたてまえなので 朝廷との関係で高くなります
家光の乳母・福が 入内した家光の妹・和子(まさこ)に会いに行ったとき
無官だと宮中に上がれないので 従三位と「春日」の名を賜っていますね
5代・綱吉も 身分の低かった母・桂昌院のため 従一位をもらい
以降 桂昌院は 「一位の尼」と呼ばれてます
とにかく 後世になるほど この位階はいいかげんになり
享保の頃 象が渡来した時 これを見たいと思った天皇は
この象さんに 従四位を与えていますよ
では 今日はこの辺で・・・・





 

         

by tukitodoraneko | 2010-10-22 14:50 | 江戸のあれこれ

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