江戸検定に向けて その1
2010年 10月 12日
三連休も終わり とうとう江戸検まで18日となりました
受験なさる方は すでに追い込みに入ったところでしょうか
私が1級合格してから 早や2年
今年もまた 新たな江戸好きのお友達が増えると思うと ワクワクします
どうぞ 頑張ってくださいね
こちらも 受験サポート体制に入りたいと思います
ところで 江戸検定協会のHPから webサライの過去問のページを見たことありますか?
http://serai.cocolog-nifty.com/edoken/
受験なさる方は 過去問の問題集をお持ちの方が多いと思いますが ここでもある程度読めますので 「江戸検 むずかしそうで・・・」とお思いの方 ここで3級にチャレンジしてみてください
あれ?それほどでもないよ・・・と思われたら 迷わずチャレンジ!
江戸を含め 歴史の勉強は 知れば知るほどおもしろくなっていきます
はまれば きっとあなたの人生を豊かにしてくれるマストアイテムになってくれるでしょう
いくつになっても「勉強」することは 脳神経の刺激となります
では今日もご一緒に ボケ防止に励みましょう!
さてでは 幕末のポイント 最初のペリー来航から 行って見ましょうね
1級受験の方は ここ書き問題に出る場合が多いので 漢字もクリアしてくださいね
私が気になるのは 黒船のこと
ペリーはノーフォークから ミシシッピ号で出航
上海で サスケハナ号に乗り換えて日本に来ています
だから旗艦というトップが乗った船は サスケハナです
そして 浦賀沖に来るまでに 琉球・小笠原諸島に寄っています
この黒船来航を最初に教えてくれたのが
オランダ商館長クルティウスの「別段風説書」
艦隊は嘉永6年(1853)6月3日に姿を現し 9日 浦賀奉行が久里浜で国書を受け取ります
この国書は フィルモア大統領のもの
実際は ぺリ-の航海中のこの年3月 大統領はビアースに代わっています
そして12日には 黒船は立ち去っています
たった10日間で 大騒ぎとなったわけですね
武器・防具の値段が 二倍に跳ね上がっています
この時の将軍は12代・家慶(いえよし)でしたが この月22日に没
翌月 13代・家定が 将軍となります
幕府が すぐに行ったのは 江川英龍にお台場を築造させたこと
年末までに5基が完成 あとの6基は財政難で中止してます
これは突貫工事で 人足の賃金がよかったため
お台場景気をひきおこしました
「品川台場の土運び 先に飯食って二百と五十」と 歌にも残っています
あとは 同じく英龍に 韮山反射炉を造らせたこと
大船建造を解禁したこと この三つ 覚えてください
次にやってきたのは プチャーチン(ロシア) やはり軍艦4隻で長崎へ
後に伊豆・戸田村で 難破した船を作り直していますので その船の名はヘダ号
和親条約は 翌年 米・英・露 その翌年オランダと結んだだけ
この条約では 下田と函館の開港を決めただけ
これは 形式的な内容だったので 細かい内容に関しては
下田・了仙寺で 下田条約を取り交わします
吉田松陰の密航事件が起こり
西周(にしあまね)は 石見国津和野藩の藩医の息子でしたが
蘭学を志し 江戸藩邸から出奔
黒船来航により 蘭学塾の入門者が急増します
緒方洪庵の適々斎塾 伊東玄朴(げんぼく)の象先堂(しょうせんどう)など
覚えておくといいかも・・・
あまり たくさんになっても なんなので 続きは明日に・・・
受験なさる方は すでに追い込みに入ったところでしょうか
私が1級合格してから 早や2年
今年もまた 新たな江戸好きのお友達が増えると思うと ワクワクします
どうぞ 頑張ってくださいね
こちらも 受験サポート体制に入りたいと思います
ところで 江戸検定協会のHPから webサライの過去問のページを見たことありますか?http://serai.cocolog-nifty.com/edoken/
受験なさる方は 過去問の問題集をお持ちの方が多いと思いますが ここでもある程度読めますので 「江戸検 むずかしそうで・・・」とお思いの方 ここで3級にチャレンジしてみてください
あれ?それほどでもないよ・・・と思われたら 迷わずチャレンジ!
江戸を含め 歴史の勉強は 知れば知るほどおもしろくなっていきます
はまれば きっとあなたの人生を豊かにしてくれるマストアイテムになってくれるでしょう
いくつになっても「勉強」することは 脳神経の刺激となります
では今日もご一緒に ボケ防止に励みましょう!
さてでは 幕末のポイント 最初のペリー来航から 行って見ましょうね
1級受験の方は ここ書き問題に出る場合が多いので 漢字もクリアしてくださいね
私が気になるのは 黒船のことペリーはノーフォークから ミシシッピ号で出航
上海で サスケハナ号に乗り換えて日本に来ています
だから旗艦というトップが乗った船は サスケハナです
そして 浦賀沖に来るまでに 琉球・小笠原諸島に寄っています
この黒船来航を最初に教えてくれたのが
オランダ商館長クルティウスの「別段風説書」
艦隊は嘉永6年(1853)6月3日に姿を現し 9日 浦賀奉行が久里浜で国書を受け取ります
この国書は フィルモア大統領のもの
実際は ぺリ-の航海中のこの年3月 大統領はビアースに代わっています
そして12日には 黒船は立ち去っています
たった10日間で 大騒ぎとなったわけですね
武器・防具の値段が 二倍に跳ね上がっています
この時の将軍は12代・家慶(いえよし)でしたが この月22日に没
翌月 13代・家定が 将軍となります
幕府が すぐに行ったのは 江川英龍にお台場を築造させたこと
年末までに5基が完成 あとの6基は財政難で中止してます
これは突貫工事で 人足の賃金がよかったため
お台場景気をひきおこしました
「品川台場の土運び 先に飯食って二百と五十」と 歌にも残っています
あとは 同じく英龍に 韮山反射炉を造らせたこと
大船建造を解禁したこと この三つ 覚えてください
次にやってきたのは プチャーチン(ロシア) やはり軍艦4隻で長崎へ
後に伊豆・戸田村で 難破した船を作り直していますので その船の名はヘダ号
和親条約は 翌年 米・英・露 その翌年オランダと結んだだけ
この条約では 下田と函館の開港を決めただけ
これは 形式的な内容だったので 細かい内容に関しては
下田・了仙寺で 下田条約を取り交わします
吉田松陰の密航事件が起こり
西周(にしあまね)は 石見国津和野藩の藩医の息子でしたが
蘭学を志し 江戸藩邸から出奔
黒船来航により 蘭学塾の入門者が急増します
緒方洪庵の適々斎塾 伊東玄朴(げんぼく)の象先堂(しょうせんどう)など
覚えておくといいかも・・・
あまり たくさんになっても なんなので 続きは明日に・・・
by tukitodoraneko | 2010-10-12 13:12 | 幕末

