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第41回龍馬伝「さらば高杉晋作」

さて 一日大河ドラマにもどります
「龍馬伝」もすでに慶応3年 4月まで進んでいます
龍馬暗殺まで あと半年ちょっと・・・早いですねー
第41回龍馬伝「さらば高杉晋作」_f0122653_883561.jpgそして今回で ちょっとかっこよすぎる感もあった高杉晋作さん お別れです
前年の暮れから 下関の郊外で 療養中でしたが
4月14日 結核のため早世 29才
実際は27年8ヶ月の短い生涯でした
もともと長州のエリート一族の生まれだった彼は 師・吉田松陰と行動を共にしなかったことを責められても
「それは親不孝になるから」と 動かなかった程の親思い
それが 24才で経験した上海留学で 人生観が一変!
このままでは 日本も同じように属国同然になってしまうと 江戸の藩邸から出奔 
この時も 父に宛てた置手紙で 親孝行ができなくなったことを 詫びています
そんな晋作の書いた遺書が 平成6年に 発見されています
これは 文久3年 死の4年前 長州の内乱の時に 死を覚悟して
妻・雅子に宛てて書いたもので 「自分は死んでもお前のことは忘れないから
家を守り 操を立て・・・」と 19才の妻に 俺が死んでも再婚するな、と言ってるんですね
と、言いながら 自分は下関に「おうの」という愛人を置いていましたよ
この人にも 英国製ハンドバッグを送ったり 恋文を書いたりしていますので
晋作さん、結構 女性にはマメな方だったのかも・・・
しかし 一度 このおうのさんと下関で同棲してる時に
萩から 妻・雅子と母親が訪ねてきて 鉢合わせ・・・いわゆる修羅場になったことがあります
この時 晋作は長崎に逃げ出し そこから雅子に宛てて
今度は 長文の詫び状を出しています (やっぱりマメね)
第41回龍馬伝「さらば高杉晋作」_f0122653_935879.jpg← これは慶応2年 
死の前年に龍馬に贈った五言絶句の書かれた扇面です
ピストルと同じ時に 
贈ったものと言われています
当時から 晋作の書は同士間で珍重されていたそうで

これは 龍馬の親しかった下関の伊藤家に伝わっています
書いてある内容は 「識者は航海を謀り 義人は邦(国)を鎖さんとす、
 これを思い、またこれを思い、わが眼たちまち朧々」
識者は龍馬のこと 義人は自分のことともとれる文面ですね
第41回龍馬伝「さらば高杉晋作」_f0122653_9255821.jpg今はこんなTシャツもありますが
ここに書かれているのは
「おもしろきこともなき世をおもしろく」という晋作の辞世の句の前半分
あと半分の「すみなすものは心なりけり」は
最後まで 晋作を看病した勤皇家で女性歌人の
野村望東尼(ぼうとうに)が
付け足したものと言われています
では 今日はこの辺で
また明日

by tukitodoraneko | 2010-10-10 09:33 | 幕末

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