山本琢磨事件のおさらい
2010年 02月 28日
さて 今夜の「龍馬伝」は安政4年(1857)の山本琢磨の事件です
ちょっと気の弱そうなハンサムボーイ琢磨くんのことは 1/13のブログですでに書いちゃいましたので 詳しくはそちらを読んでみてください
彼は龍馬の父の実家・山本家の出で 八平の兄・代七の子
だから龍馬とは血の繋がったいとこで 年も同じです
武市とは 妻富子の叔母さんの子にあたるので
半平太自身との血縁はありません 妻のいとこですね
この琢磨くんは 江戸で武市と同じ「桃井道場」の師範代をしてました
それが ある日 酒の上で商人といさかいを起こし
落っことしていった包みの中の金時計二個を 質入してしまったのですね
これが藩に知れたら大変と 龍馬と武市がなんとか肩代わりするのですが
二人が逃がした、というより 武市の手紙によると
後始末してる内に 琢磨が行方知れずになった ということのようです
さっさと 自分で逃げ出したんでしょう
こうして 彼は東北から函館へと 流れて行き
函館では 剣の腕を生かして 道場などもやっていたようです
そして やがて「函館大神宮」 現・山上大神宮の宮司・沢辺悌之助に見込まれ 娘婿となって
「沢辺」姓に変わりました
↓下の地図で見ていただくと 舟見町というところ
ここに今も 残っていまして すぐ北に「旧ロシア領事館」という字も見えますね
この中に当時は ロシアの正教会があったわけですね
函館は 龍馬との関係も深く 幕末の遺跡がたくさん残る町です
次に 里帰りしたら ゆっくり見て回りたいと思いますよ
ちょっと気の弱そうなハンサムボーイ琢磨くんのことは 1/13のブログですでに書いちゃいましたので 詳しくはそちらを読んでみてください
彼は龍馬の父の実家・山本家の出で 八平の兄・代七の子
だから龍馬とは血の繋がったいとこで 年も同じです
武市とは 妻富子の叔母さんの子にあたるので
半平太自身との血縁はありません 妻のいとこですね
この琢磨くんは 江戸で武市と同じ「桃井道場」の師範代をしてました
それが ある日 酒の上で商人といさかいを起こし
落っことしていった包みの中の金時計二個を 質入してしまったのですね
これが藩に知れたら大変と 龍馬と武市がなんとか肩代わりするのですが
二人が逃がした、というより 武市の手紙によると
後始末してる内に 琢磨が行方知れずになった ということのようです
さっさと 自分で逃げ出したんでしょう
こうして 彼は東北から函館へと 流れて行き
函館では 剣の腕を生かして 道場などもやっていたようです
そして やがて「函館大神宮」 現・山上大神宮の宮司・沢辺悌之助に見込まれ 娘婿となって
「沢辺」姓に変わりました
↓下の地図で見ていただくと 舟見町というところ
ここに今も 残っていまして すぐ北に「旧ロシア領事館」という字も見えますね
この中に当時は ロシアの正教会があったわけですね
函館は 龍馬との関係も深く 幕末の遺跡がたくさん残る町です
次に 里帰りしたら ゆっくり見て回りたいと思いますよ
by tukitodoraneko | 2010-02-28 16:43 | 江戸のあれこれ