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龍馬 佐久間象山に入門

龍馬 佐久間象山に入門_f0122653_15403877.jpg明日の第六回大河「龍馬伝」は 
すでに嘉永7年 ペリーの再来航に
進んでしまうようなので とりあえず 
嘉永6年 初めて江戸に遊学した
龍馬のこの年の実際の動きを 
おさらいしておきましょう
まず3月17日に 高知を出た龍馬は 4月初旬 江戸着
二ヶ月足らずの6月3日 
「ペリー来航」です
この時 幕府は海沿いに屋敷を持つ諸藩に 海岸の警備を命じました
土佐藩でも これを受け この時江戸にいた藩士たち・・・これは龍馬のような私費で留学して
いる者たちも かりだして「臨時御用」ということで 品川海岸の警備を命じたのですね
ペリーは 神奈川県久里浜で 国書を手渡すと 「また来るからな!」と言って 
10日ほどで帰っていくのですが この警備は3ヶ月間続きました
それから 翌年の再来航には戦争になると考えた幕府・諸藩では にわかに「海防」に力を入れ始めます
土佐藩でも 品川・鮫洲の抱屋敷に 砲台を築き そこに大砲六門を設置する計画を立てました
そして それと共に 大砲を扱える先進的な若い藩士を 育成する必要を感じます
このため 土佐藩からは20名ほどの藩士たちが 築地の中屋敷からほど近い 
佐久間象山の塾に砲術を習いに入門するのです龍馬 佐久間象山に入門_f0122653_165369.jpg
象山は この年 43才
信州松代藩士で 20代の初めから江戸に出て 佐藤一斎について朱子学を学びました
また幕末の賢主の一人 松代藩主・真田幸貫(ゆきつら・この人は松平定信の次男で江戸の白川藩邸で生まれています)が 老中と兼任で「海防掛」になると 抜擢されて 「海防八策」を上程 また江川太郎左衛門英龍について 兵学・砲術を学んでいます
天保11年(1840)には 神田お玉が池で 私塾「象山書院」を開き 一時は 藩政に携わるため 松代に帰りましたが このときより三年前の嘉永3年(1850)一家で 江戸居住を許され 木挽町五丁目に引っ越してきて 今度は「五月塾」というのを開いていました 
前年には 42才にして 勝海舟の妹・順子と結婚しています
木挽町五丁目というのは 今の東銀座 ちょうど歌舞伎座の真向かいあたりです
ここは 土佐藩の築地中屋敷からは目と鼻の先
この塾の門人帳「及門録」には 嘉永6年12月1日の項に 大場毅平 谷村才八と共に 
「坂本龍馬」の名が載っていますよ

by tukitodoraneko | 2010-02-06 16:47 | 幕末

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