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「月」を「陽」に替え大騒ぎ

12月の行事を書くとき 「節分」はどうしようかと思いましたが
当ブログは 江戸時代の感覚・雰囲気を大事にしようと思いますので 
やはりここで書いておきましょう
「月」を「陽」に替え大騒ぎ_f0122653_14334257.jpg← 豊国の
「節分の豆まき」
見にくくて ごめんなさい
探してみると 
わりとないんですねー 節分の絵
男の人が右手に持ってるのが 豆の入った枡です
そして 右手の床の間には 正月の鏡餅があり 
鴨居の上にはズラーっと 裏白・ゆずり葉などの注連飾りがかけ回されています
江戸の陰暦では 立春の前日=節分は たいてい12月の内に来てしまうのですね
だから このように正月の用意のしてある所で「豆まき」というのがありえたんです
注連飾りといっしょに 鰯の頭とひいらぎが並ぶこともありました
「東都歳時記」によると だいたい例年12月の12,3日から28,9日の間に来たそうです
たまに新年の10日前にずれこむこともありましたが まれなことだった・・・とあります
今の「太陽暦」だと 考えられないことですが 江戸時代「節分」は毎年 日が違ったんですね
現在の一年は 太陽の動きにあわせていますので 365日です
しかし 江戸時代は 月の動きにあわせていましたので 
一月が29.5日で 1年にすると354日 今より11日も短かったんです
これでは 毎年 季節がずれていってしまいますね
今の「太陽暦」でも 正確な一年の長さは 365.25日ですから
4年に一度 うるう年といって 2月が29日までありますよね
こうして わずかな誤差を調整して 毎年の季節がずれないようにしているのですが
江戸時代は この代わりに「閏(うるう)月」といいまして 33ヶ月に一度
ある月を二度 繰り返すのです
江戸時代の年表を見ていますと よく「閏三月」とか 「閏10月」とかが出てきますが
これが その調整のために増やされた月なんですね 
今からすると 実に大ざっぱなやり方で これでは閏月を入れた年は
一年が 384日になってしまいます
こんな増減が当たり前なので 季節ごとの行事は 暦に関係なく 「節気」に頼っていました
こちらは 「立春」に始まって 一年を24に分け 一季は15日ずつにして
春分 立夏 大寒・・・などの季節の指標としたのです
「節分」は だから季節の変わり目・・・という意味で 本当は年4回あったのですが
春の前の「節分」を特に重く考え 「年越し」の意味をこめて「豆まき」や
「追儺(ついな)」の儀式をおこなうようになったのですね
一年の長さが まちまちなので 「節気」によって行う行事は 毎年日が変わりました
3月3日や 5月5日のように暦上の日付で行う行事とは違うからです
その代わり 明治になって「太陽暦」に変わった時 「節分」はその本来の季節
現在の2月3日ころに変わらず 行われるようになりましたが
ひな祭り・端午の節句は 日付がそのままですので 陰暦と太陽暦の差で
約一月半 早まってしまい 桃の花や 菖蒲の花の咲く時期とは ずれてしまったというわけです
この暦が切り替わったのは 明治5年(1872)のこと
この年の12月3日が 明治6年の1月1日になりました
時代の移り変わりには こーんな大変な変化もあったんですねー

by tukitodoraneko | 2009-12-12 15:37 | 江戸のあれこれ

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