人気ブログランキング | 話題のタグを見る

異国の旅人たち

なにげにもう 「江戸検」二日前になりました
去年の当時のブログを見ると 結構取り乱している自分発見
みなさんは そんなことないでしょうが あがらないで平常心で試験に挑んでくださいね
今日のまとめは 江戸の街道を旅した外国人使節の話にしましょう
異国の旅人たち_f0122653_11595487.jpgはい やはり一番にぎやかだったのはこの「朝鮮通信使」ですね
秀吉の朝鮮出兵で途絶えていた国交は江戸初期の慶長12年(1607)に回復
対馬藩宋氏が 外交実務にあたり貿易も再開
日本からは「丁銀」を輸出し 輸入品の主なものは朝鮮人参や 中国産の
生糸・絹織物などでした
彼らは江戸時代を通じて 12回「朝鮮通信使」として来日
うち10回は 江戸城で国書奉呈などの儀式も行われました 浮世絵にも描かれ お祭の出し物にも残っていますね
異国の旅人たち_f0122653_13451690.jpg

そして 次が薩摩の参勤交代に同行して参府した琉球の行列です
絵からでは 朝鮮と琉球の区別つきませんね
彼らは 将軍の代替わりには「慶賀使」を 琉球国王の代替わりには「謝恩使」を
江戸に参府させていました
琉球は薩摩藩の管轄化にあったので まず日比谷公園のところにあった薩摩藩の屋敷で
衣服を整えて行ったため この屋敷は「装束屋敷」と呼ばれていましたよ
彼らは 全部で18回 渡来しています
異国の旅人たち_f0122653_1421115.jpgこの朝鮮・琉球に比べグッと地味だったのはオランダ商館長(カピタン)の一行
彼らは カピタン・副使・医師の三人くらいで
残りはすべて日本人の一行ですから 仕方ないですね
秘密保持のため せまい駕籠での旅を強いられ
彼らにとっても 大変だったことでしょう
彼らは 毎年1月15日には長崎で馬ぞろいを行い
3月はじめ=ひな祭りの頃には 江戸に着きました
  阿蘭陀も花に来にけり 馬に鞍   芭蕉
ってわけです 常宿だった「長崎屋」は 日本橋石町の「時の鐘」のすぐそば
  石町の鐘は 阿蘭陀までひびき
と 言われたんですね
ジミだったけど この一行にはケンペルやシーボルトもいて
江戸時代を通じて 166回も江戸に来ています

by tukitodoraneko | 2009-10-30 14:33 | 江戸のあれこれ

<< 江戸の「為替」のこと プチ旅行 >>