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連れて逃げてよ♪

連れて逃げてよ♪_f0122653_10381596.jpg今日は 「渡し舟」の話をしましょう
江戸時代は 東海道の川にほとんど橋をかけていません
これは「江戸防衛」のためですね
だから旅人は大弱り
これを越すには 舟か 徒歩渡ししかありませんでした
馬にのったまま 越せるのは武士だけでしたよ
それも人足の案内付きです
東海道には 舟渡しが6ヶ所ありました
↑ 「五十三次」に出てくる「川崎」は 「六郷の渡し」です
ご存じ 品川~川崎間にあり 多摩川を渡すものでした
江戸時代通しての 平均渡し賃は 15文です 蕎麦一杯弱ですね
連れて逃げてよ♪_f0122653_10482459.jpg次が 藤沢~平塚間の「馬入の渡し」 馬入川を渡り これも15文→
そして 吉原~蒲原間の富士川を渡る「富士の渡し」 これが16文
次が 見附~浜松間で天竜川を渡ります 「天竜の渡し」12文
そして浜名湖に着くと 舞阪~新居を渡す「今切の渡し」12文
そして 最も長い 宮~桑名までの海上七里を行く 「七里の渡し」 これは54文とちょっと割高です
というのも 通常でも時間がかかるのですが 引き潮の時などは 舟が通行できる
沖合いを 迂回して進むので三時間以上の船旅だったからです
以上六ケ所が 東海道の「舟渡し」
他には 中山道の柳瀬川・太田川が 舟渡し
日光・奥州道中では 房川  甲州道中では多摩川 これは六郷のずっと上流ですね
舟渡しの川は 他と比べれば 川止めが少なくて済みました
そして 武家の渡し賃は無料
会符」(えふ)という優先通行札をつけた荷物も無料でした
「舟渡し」というのは 近年まで多摩川にも 行楽としてかかっていました
私の小学校くらいまでは 春 摘み草に行って この舟に乗った覚えがありますよ
あの渡しにも 風流な名前がついていたんでしょうか?

by tukitodoraneko | 2009-10-24 11:15 | 江戸のあれこれ

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