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鐘突きの娘はろくろ首!?

今日は 現在 伝馬町牢屋敷跡の「十思公園」内にある「時の鐘」の話をしましょう
鐘突きの娘はろくろ首!?_f0122653_1494367.jpgコンクリート製のこんな鐘楼になってしまいましたが 
江戸時代には「石町(こくちょう)」にあり
最も古い時の鐘です
最初は城内にありましたが 御座の間に近くあまりうるさかったために 町中に出したのですね
これより お城では「太鼓」で時を報せるようになりました
老中の登城なども この太鼓を聞いて出るんですよ
そして お城から下げ渡された鐘は「辻源七」というものが鐘突き役となって 江戸市中に時を報せました鐘突きの娘はろくろ首!?_f0122653_14191629.jpg
お城の太鼓を合図に最初に鳴らすのがこの鐘なので
「八百八町の触れ頭」とも言われましたよ
この「時の鐘」は 江戸の町が大きくなると共に数が増えていきました
 花の雲 鐘は上野か 浅草か
芭蕉の句にもあるように 上野の鐘は→
今も精養軒の横にありますね
浅草の鐘も 雷門の右手に現存しています
「鬼平」ファンの方なら 平蔵が本所の「時の鐘」のそばで
生まれ育ったことをご存じでしょう
この他にも「芝・切通し」「市谷八幡」「目白不動」「赤坂田町(成満寺)」「四谷天竜寺」などにもできました
石町の鐘は 四十八ヶ町に聞こえたといい
その範囲の町屋 一軒に付き「月四文」の鐘突き料をもらえます
鐘突きの娘はろくろ首!?_f0122653_14474464.jpg武家は石高によって支払い 十万石で年間 銀一枚
加賀百万石では 一年に5両支払ったそうです
このように鐘突きという職業は とても儲かったので いろいろと「取り沙汰」されました
例えば 貸し金の催促や 牢屋敷の死刑執行など みんなこの「鐘」を合図にします
だから その恨みを受けると言うのですね
江戸時代の有名な俗説に「鐘突きの娘は首が伸びる」というのもあるんですよ
←いわゆる「ろくろ首」というものです
こういうこともあったためか 「鐘突き役」は何年か勤めると
株を売って人に譲り 隠居したとも言われています
現在の石町の鐘は 宝永8年(1711) 6代将軍 家宣の時
できたものが今も使われています
そろそろ300年になりますが 今でも「終戦記念日」と「大晦日」に私たちも突くことができます
江戸から続く 変わらぬ鐘の音 一度聞いてみたいですよね

by tukitodoraneko | 2009-10-14 14:57 | 江戸のあれこれ

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