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晒し場はデパートの大売出し

実際の「日本橋ツアー」の時 出発は小伝馬町の牢屋敷からで
終点は 日本橋の高札場の向かい 「晒し場」でした
ニューオータニのバスが 道路の都合上ここに迎えに来てたからですが
江戸時代「晒し」にあった人たちも 牢屋敷からここへと 毎日 通ってきたんですね
晒し場はデパートの大売出し_f0122653_12171954.jpg← 今はこんな風で 「滝の広場」と書いてあります
刑場とはちがうのですが やはり「不浄地」
喜んで買う人はいなかったのでしょうね
実際見ても 一段低くなってじめっとした感じですし どこにでもいるホームレスの方たちの姿も見えません
ま、真横に交番があるからかもしれませんが・・・
しかし返って江戸時代のほうが そんな陰気な土地ではなかったようなんですよ
ここは 「さらし首」のような死体を晒すところではなく 生きた人を晒す場所だったからです
その罪状もほとんど二つだけ 「女犯僧」と「心中の生き残り」ですね
   生臭い 蛸が居並ぶ日本橋
これは まるで「魚河岸」のことを言ったように思えますが 実は対岸の晒し場の風景です
ある時は 十数人もいっぺんに坊主頭が晒されたこともあったようで 大変な評判だったとか
晒された後も 重くて遠島 たいていは傘一本で「所払い」というのが相場でした
しかし これより人気だったのが 「心中者」の晒しです晒し場はデパートの大売出し_f0122653_1314583.jpg
そもそも「心中」が流行るなんていうのは平和な証拠
食べるのに精一杯だったり 毎日が戦の戦国時代を
過ぎて 上方から流行り始めた新しい文化 これが人形浄瑠璃や歌舞伎になって大流行してしまいました 
「曽根崎心中」「お染久松」みんなそうですねー 
これは やり損なうと三日間晒しの後 非人に落とされました
    日本橋 馬鹿を尽くしたさしむかい
ってわけですね
当時はまた この心中ものの女性は女郎さんが
多かったので こんなのもありますよ
   日本橋 かきわけて見る買ったやつ
こんな風に 日本橋に「晒し」があるというと 
三越の売り出しどころじゃない・・・
と 言われたこともあるそうです
八代将軍・吉宗さまは この風潮を怒って
「心中」なんていわずに(さかさまにすれば忠義の忠の字だから!)
「相対死」(あいたいじに)と言え!と命じ 女が生き残ったら非人に
男が生き残ったら 療治を加えた上で「死罪」と決めました
これは 大抵の心中が 男がまず女を殺しておいて自害するからですね
しかし これで喜んだのが女の方
もし万一 男の方が生き残っても 御公儀が殺してくれる
自分一人 死に損 ていうのが無くなったので かえって「心中」が流行ったというおそまつ!
現代の私たちが思うより 江戸時代の女性はタフだったんですねー

by tukitodoraneko | 2009-09-29 13:19 | 江戸のあれこれ

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