晒し場はデパートの大売出し
2009年 09月 29日
実際の「日本橋ツアー」の時 出発は小伝馬町の牢屋敷からで
終点は 日本橋の高札場の向かい 「晒し場」でした
ニューオータニのバスが 道路の都合上ここに迎えに来てたからですが
江戸時代「晒し」にあった人たちも 牢屋敷からここへと 毎日 通ってきたんですね
← 今はこんな風で 「滝の広場」と書いてあります
刑場とはちがうのですが やはり「不浄地」
喜んで買う人はいなかったのでしょうね
実際見ても 一段低くなってじめっとした感じですし どこにでもいるホームレスの方たちの姿も見えません
ま、真横に交番があるからかもしれませんが・・・
しかし返って江戸時代のほうが そんな陰気な土地ではなかったようなんですよ
ここは 「さらし首」のような死体を晒すところではなく 生きた人を晒す場所だったからです
その罪状もほとんど二つだけ 「女犯僧」と「心中の生き残り」ですね
生臭い 蛸が居並ぶ日本橋
これは まるで「魚河岸」のことを言ったように思えますが 実は対岸の晒し場の風景です
ある時は 十数人もいっぺんに坊主頭が晒されたこともあったようで 大変な評判だったとか
晒された後も 重くて遠島 たいていは傘一本で「所払い」というのが相場でした
しかし これより人気だったのが 「心中者」の晒しです
そもそも「心中」が流行るなんていうのは平和な証拠
食べるのに精一杯だったり 毎日が戦の戦国時代を
過ぎて 上方から流行り始めた新しい文化 これが人形浄瑠璃や歌舞伎になって大流行してしまいました
「曽根崎心中」「お染久松」みんなそうですねー
これは やり損なうと三日間晒しの後 非人に落とされました
日本橋 馬鹿を尽くしたさしむかい
ってわけですね
当時はまた この心中ものの女性は女郎さんが
多かったので こんなのもありますよ
日本橋 かきわけて見る買ったやつ
こんな風に 日本橋に「晒し」があるというと
三越の売り出しどころじゃない・・・
と 言われたこともあるそうです
八代将軍・吉宗さまは この風潮を怒って
「心中」なんていわずに(さかさまにすれば忠義の忠の字だから!)
「相対死」(あいたいじに)と言え!と命じ 女が生き残ったら非人に
男が生き残ったら 療治を加えた上で「死罪」と決めました
これは 大抵の心中が 男がまず女を殺しておいて自害するからですね
しかし これで喜んだのが女の方
もし万一 男の方が生き残っても 御公儀が殺してくれる
自分一人 死に損 ていうのが無くなったので かえって「心中」が流行ったというおそまつ!
現代の私たちが思うより 江戸時代の女性はタフだったんですねー
終点は 日本橋の高札場の向かい 「晒し場」でした
ニューオータニのバスが 道路の都合上ここに迎えに来てたからですが
江戸時代「晒し」にあった人たちも 牢屋敷からここへと 毎日 通ってきたんですね
← 今はこんな風で 「滝の広場」と書いてあります
刑場とはちがうのですが やはり「不浄地」
喜んで買う人はいなかったのでしょうね
実際見ても 一段低くなってじめっとした感じですし どこにでもいるホームレスの方たちの姿も見えません
ま、真横に交番があるからかもしれませんが・・・
しかし返って江戸時代のほうが そんな陰気な土地ではなかったようなんですよ
ここは 「さらし首」のような死体を晒すところではなく 生きた人を晒す場所だったからです
その罪状もほとんど二つだけ 「女犯僧」と「心中の生き残り」ですね
生臭い 蛸が居並ぶ日本橋
これは まるで「魚河岸」のことを言ったように思えますが 実は対岸の晒し場の風景です
ある時は 十数人もいっぺんに坊主頭が晒されたこともあったようで 大変な評判だったとか
晒された後も 重くて遠島 たいていは傘一本で「所払い」というのが相場でした
しかし これより人気だったのが 「心中者」の晒しです
そもそも「心中」が流行るなんていうのは平和な証拠
食べるのに精一杯だったり 毎日が戦の戦国時代を
過ぎて 上方から流行り始めた新しい文化 これが人形浄瑠璃や歌舞伎になって大流行してしまいました
「曽根崎心中」「お染久松」みんなそうですねー
これは やり損なうと三日間晒しの後 非人に落とされました
日本橋 馬鹿を尽くしたさしむかい
ってわけですね
当時はまた この心中ものの女性は女郎さんが
多かったので こんなのもありますよ
日本橋 かきわけて見る買ったやつ
こんな風に 日本橋に「晒し」があるというと
三越の売り出しどころじゃない・・・
と 言われたこともあるそうです
八代将軍・吉宗さまは この風潮を怒って
「心中」なんていわずに(さかさまにすれば忠義の忠の字だから!)
「相対死」(あいたいじに)と言え!と命じ 女が生き残ったら非人に
男が生き残ったら 療治を加えた上で「死罪」と決めました
これは 大抵の心中が 男がまず女を殺しておいて自害するからですね
しかし これで喜んだのが女の方
もし万一 男の方が生き残っても 御公儀が殺してくれる
自分一人 死に損 ていうのが無くなったので かえって「心中」が流行ったというおそまつ!
現代の私たちが思うより 江戸時代の女性はタフだったんですねー
by tukitodoraneko | 2009-09-29 13:19 | 江戸のあれこれ