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へちまのようにちょん切られ

八月 十五日のネタがまだ続きます
へちまのようにちょん切られ_f0122653_947353.jpg深川・富岡八幡宮の祭礼 仲秋の名月ときて もう一つ この日にすることがあったんです
知ってますか?
江戸時代 「へちま」の水を取るのはこの日と決まっていたんですよ
子供の頃 学校で糸瓜を作り たわしと「へちま水」をとったことを覚えています
根元から30cmくらいで切って 根に近いほうの茎を 
ビンの口に差し込んでおくだけですが 
一晩で1ℓくらいとれましたね 
これを「美人水」と言って江戸の女性はみんな使いました
   十五夜は 女の顔を仕込む晩
   十五夜に ふくべを切って 大騒ぎ
「ふくべ」というのは 瓢箪(ひょうたん)のことです
へちまと ひょうたん 似ているので まちがえて 
切ってしまったという句ですが 実はこの句 もう一つ 意味があるのです
昨年の「江戸検定1級」の試験で 「江戸城内でおきた刃傷事件」が出ましたよね
へちまのようにちょん切られ_f0122653_10333352.jpg似たような紋を見まちがえて 人まちがいで殺された不運な大名
その人は 肥後熊本城主 細川越中守宗孝です
細川家の紋は 「九曜紋」 →
へちまのようにちょん切られ_f0122653_10392996.jpg←そしてこれに似た「九曜巴紋」を
使っていたのが 寄合旗本七千石の板倉修理勝該(かつかね)の一族
寄合旗本と言うのは 三千石以上で無役 つまり役職にないものです
勝該は 日頃から 「狂癇のふるまい」といいますから ちょっと常軌を逸したふるまいがあり 板倉宗家の佐渡守勝清(上野安中城主)は これを廃嫡して自分の妾腹の子に 家を継がせようと思っていました
これを 恨みに思った勝該は 延享4年(1747)の八月十五日
おりしも 名月の宴に総登城した大名たちにまじり 大広間の厠のそばで
勝清と思い 切りつけたのが 細川宗孝だったのです
「徳川実記」によると 犯人はしばらくわからず やっと放心状態で厠にいる勝該が見つかり 
事情がわかったと言うことです
この時 細川宗孝には 嫡子がなく このままではお家が絶えてしまうところ
そこを仙台藩主・伊達宗村は 「越中殿はまだ息がある」と とっさの機転で まだ生きていることにして帰宅させ 末期養子をとる暇をあたえました
おかげで 宗孝は二日後に亡くなったことになり 無事 家督相続が済みました
これ以降 細川家では 紋付の紋を 前袖に二つ増やし 「細川の七つ紋」とよばれます
板倉勝該は 23日切腹で 一件落着しますが
この事件は あっという間に 江戸中に拡まり たくさんの川柳・落首になりました

   名月に へちまのようにしてやられ
                             騒動で へちまの水も取りはぐり
   命日を 江戸中が知る不慮な事
                             お国では 知らず月見で冴えている

まだまだ あるんですよ  当時の大騒ぎが よくわかりますね



   

by tukitodoraneko | 2009-08-17 11:21 | 江戸のあれこれ

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