川施餓鬼のこと
2009年 07月 24日
隅田川の花火大会ももうすぐですね
毎年大変な人出ですが 私の家の方は多摩川の川筋ですので 毎年この川端で二ヶ所 あとは競馬場と競艇場の花火というのがあります あとはよみうりランドの山の上で一回
小規模なのは 近所の「味の素スタジアム」で サッカーやイベントの合間に上げるものもあります
この花火大会 元は享保の頃八代将軍
吉宗が行った水神祭が始め・・・
というのは 皆さんご存知ですね
では 花火大会とは違って すっかり絶えてしまった
「川施餓鬼」のことを 書いてみましょう
「かわせがき」といいます→
これは 川のある所ならどこでもやったのですが 江戸時代はやっぱり隅田川の岸が一番盛ん
盆の頃に 川岸に祭壇を立て 各家の「精霊棚」と同じように作って ここで入水して果てた無縁亡者の供養をしたのです 付近の大店や 寺が施主となったようですが 当時は一晩中読経したといいますから 大変です
明治期になると これがハデになって 「講」ごとに競い合って一種のデモンストレーションになっていたそうです 今からは考えられませんねー
しかしTVだのCMだののない時代は こういう行事にかこつけて宣伝するしかないですもんね
明治44年には 「日清・日露戦争戦死者と水難者供養」として 小石川善光寺がこの川施餓鬼を行っています
この他にも 洲崎太子講や深川木場講などが合同で行った「永代橋墜落の死者追善」の施餓鬼は 永代寺以下18寺の僧が船の上の弘法太子像に向かって読経し 後は酒宴になるという大騒ぎ
浅草七軒町善光寺の施餓鬼など 伝馬船72隻に
信徒2千3百人をのせて行ったといいますから すごいもんですね
この習慣も 戦前までで すっかり下火になってしまいました
しかし まるきりなくなったわけではなく 今でも舟での
施餓鬼はいくつかのお寺で行っています
八月始め頃 墨田川の橋の上から 時々みることができますよ
毎年大変な人出ですが 私の家の方は多摩川の川筋ですので 毎年この川端で二ヶ所 あとは競馬場と競艇場の花火というのがあります あとはよみうりランドの山の上で一回
小規模なのは 近所の「味の素スタジアム」で サッカーやイベントの合間に上げるものもあります
この花火大会 元は享保の頃八代将軍
吉宗が行った水神祭が始め・・・
というのは 皆さんご存知ですね
では 花火大会とは違って すっかり絶えてしまった
「川施餓鬼」のことを 書いてみましょう
「かわせがき」といいます→
これは 川のある所ならどこでもやったのですが 江戸時代はやっぱり隅田川の岸が一番盛ん
盆の頃に 川岸に祭壇を立て 各家の「精霊棚」と同じように作って ここで入水して果てた無縁亡者の供養をしたのです 付近の大店や 寺が施主となったようですが 当時は一晩中読経したといいますから 大変です
明治期になると これがハデになって 「講」ごとに競い合って一種のデモンストレーションになっていたそうです 今からは考えられませんねー
しかしTVだのCMだののない時代は こういう行事にかこつけて宣伝するしかないですもんね
明治44年には 「日清・日露戦争戦死者と水難者供養」として 小石川善光寺がこの川施餓鬼を行っています
この他にも 洲崎太子講や深川木場講などが合同で行った「永代橋墜落の死者追善」の施餓鬼は 永代寺以下18寺の僧が船の上の弘法太子像に向かって読経し 後は酒宴になるという大騒ぎ
浅草七軒町善光寺の施餓鬼など 伝馬船72隻に
信徒2千3百人をのせて行ったといいますから すごいもんですね
この習慣も 戦前までで すっかり下火になってしまいました
しかし まるきりなくなったわけではなく 今でも舟での
施餓鬼はいくつかのお寺で行っています
八月始め頃 墨田川の橋の上から 時々みることができますよ
by tukitodoraneko | 2009-07-24 13:24 | 江戸のあれこれ