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もしもし それは島津家の刻印です

はい それでは外堀ツアー 次は「市谷」に進みますもしもし それは島津家の刻印です_f0122653_8153976.jpg
平日の昼 電車で通る度に思っていたんですよ
あのお堀の釣堀 世の中にはなんて 自由に生きてる人がいるんだろうって・・・
のんびりと釣り糸をたれる人の脇を サラリーマンを詰め込んで走る電車
これも 都会の断片ですねー
さて この市谷にも見附門がありましたが 今はもう枡形は残っていません
一部の石垣を残すのみです
この枡形を普請したのは 美作(岡山)津山藩の森長継といい あの「本能寺の変」で亡くなった織田信長の小姓 森蘭丸の血筋です
当時は この周りに桜の木が植えられていましたので
「桜御門」とも呼ばれました 
現在の市ヶ谷駅から 「日本棋院」の前に出る道を
「帯坂」といい 皿屋敷のお菊が 帯を引きずって走った・・・という伝説が残っています
もしもし それは島津家の刻印です_f0122653_11593938.jpgこのあたりは 外堀の真下に地下鉄・有楽町線のホームがあり 外堀通りの下には 南北線が走っています
そして 南北線の工事の時 たくさんのお城の石垣が出土したんですね
今 これを地下鉄の構内の通路に「江戸歴史散歩コーナー」として展示しています
雉子橋(九段南)の地下から出た石を「打ち込みはぎ」という技法で 再構築してありますので一度ごらんになるといいですよ
               もしもし それは島津家の刻印です_f0122653_12134663.jpg
「矢」という楔を打ち込んだ跡や 大名の刻印=
誰が切り出したかのマークがよくわかるように
積んであります →
この刻印を見て「昔からいたずら書きするやついたんだなー」と 言ってる人がいましたが ちがうんですよ
ただの丸に×みたいのでも一応 島津家の刻印だったりするのです
追っかけてって教えてあげようかと思いましたが おせっかいすぎるかと 思いとどまりました
ごめんなさい 一生 いたずら書きと思って過ごしたら私のせいです
でも 今さらしょうがないんで 許してくださいね
あなたの人生に 幸多かれ!

by tukitodoraneko | 2009-05-20 12:29 | 江戸のあれこれ

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