東海道 原の宿

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f0122653_13162440.jpg沼津を出て 千本松原を西へ歩いていくと 「原」に入る手前に 「松陰寺」というお寺があります
 駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠
と 唄われた名僧・白隠禅師のお寺です
名前は知らなくとも←この達磨の絵は ご存知ではないですか?
ここの宝物館には 白隠の残した「禅画」が残っています
山門の左手に現存する「摺鉢(すりばち)松」は
嵐で折れた松に 白隠が 岡山藩主から贈られた
備前焼のすり鉢をかぶせたから
このすり鉢は 昭和60年清水焼きのすり鉢に交換されましたが 今も見られますよ
「原」という地名は 「浮島が原」から来ています
富士川などが運んだ土砂の堆積でできた 見渡すばかりの低湿地で
沼が富士のふもとまで 点々と続き 空を映し その中を芦刈舟がゆく
なんとも風光明媚で 歌枕としても有名でした
東海道一 小規模な宿でしたが 鰻がとれるので これが名物
とくに柏原の立場には 鰻を焼く茶屋がズラッと並んでいました
しかし ここらでは 鰻を一寸(3cm)角に切って串焼きにするので
江戸っ子には いまいち 人気がなかったようです
この宿の一里塚の少し先 左手に小さな祠があり 前の地面に火山岩が突き出ています
これは 大きな岩の先端の部分で 地底で地震を起こす「鯰(なまず)」を抑える
「要石」だと言われています
道は 延々と美しい海岸線をたどり ここから次の宿「吉原」までが
「田子の浦」と言われる名勝地です
  田子の浦に 打ち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
な~んて 百人一首にもありますね
余談ですが 私の小学校一年の年のクリスマスプレゼントは「木箱入りの百人一首」でした
サンタさんもびっくり!だったでしょうね
でも 今みたいにTVゲームのない時代 かるたやトランプ・ボードゲームは貴重な娯楽でした
私も 一月足らずで 意味も分からないまま 丸覚えして
数十年を経た今でも たぶん百枚全部いえますね
幼い時の記憶力ってすごいですねー
私の父の時代には 戦前の教育で 歴代天皇の名前 みんな言えましたが
どっちが 役に立つかと言うと、う~ん・・・・・・疑問です
あらら・・・寄り道しちゃいましたが これで13番目の宿「原」が終わりましたよ
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by tukitodoraneko | 2009-03-05 14:01 | 東海道五十三次

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