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東海道 三嶋の宿

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箱根から 三嶋までは下り道 
宿を出るとすぐに「箱根峠」があり 相模と伊豆との境となります
この辺りを「風越台」ともいい 両側は篠竹が繁茂し「箱根竹」といって
キセルの羅宇(らう=筒の部分)になりましたよ
甲石(かぶといし)の立場は ここに巨岩があったからの名です
今は その一部が別のところに保存されているそうです
ここを越えると 山中城址ですよ 北条・武田の対決に備え 箱根の守りのため作られましたが
秀吉の軍に半日で落とされてしまいました 東海道をとりこんだ砦のような城跡です
これから 上長坂 下長坂を下り 錦田の一里塚に掛かります
この一里塚は江戸から28番目の一里塚で 「榎塚」とも呼ばれます
これでやっと ↑の「三嶋」に到着です
広重の絵は 早朝の霧に煙る三嶋の宿 鳥居は「三嶋大社」です
三嶋には昔から伊豆の国府が置かれ 白浜から「三嶋明神」を勧請してから
「三嶋」と改称したところです
この社は 伊豆国の一宮 「三嶋暦」を出しているのでも有名です
現在も 樹齢1200年の金木犀の大樹がありますよ
この樹は 江戸時代の旅人も 見たことでしょう
源頼朝がこの社に 源氏の再興を祈願し 信仰厚かったため 三嶋はその門前町として発達
東海道開通後は 箱根の難所を越えた「山祝い」をする宿
そして 「三嶋女郎衆はノーエ♪」と 「ノーエ節」にも唄われた飯盛女の存在で 繁盛しました
「ノーエ節」は「農兵節」と言われていて 幕末 江川太郎左衛門が農民兵を訓練する時
使った曲に 歌詞をつけたもの・・・と言われています
江戸からは 約30里で 11番目の宿 順調な旅人なら ここで三泊目ですね 
ここから南には 下田街道が分かれています
大田南畝は 「ここからは風俗も鄙び 言葉も だみ言葉になる」と 言っています
やはり 箱根の山の向こうなんですね
宿を出て少し行くと「千貫樋」という水道が通っていました
これは 伊豆の水を駿河に運ぶ水樋で ちょうど江戸の水道橋のように
水樋が 境川を渡っていました
明日は 沼津に到着ですよ

by tukitodoraneko | 2009-02-27 14:11 | 東海道五十三次

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