東海道 箱根の宿

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とうとう箱根まで 着いてしまいましたよ
ここまでは 江戸から「湯治」に来る人もいましたので まだ「関東」という感じですね
江戸っ子はすぐに「箱根の山からこっちにゃあ・・・」と いう言い方もしました
ここを過ぎると「上方文化圏」に近づいていくからでしょうか
箱根八里は馬でも越すが・・・と馬子唄にもある「八里」は 小田原~箱根の上り四里と
箱根~三島までの下り四里のことをいいました
たいていは 一日がかり 足弱は途中の温泉宿に泊まって二日ががりで越える山ですので
途中には たくさんの間の宿 立場がありましたよ
まず最初の立場は「湯本」 ここから本格的な上りで 「女転ばし坂」を越えると「畑宿」の立場
最も険しい「西海子(さいかち)坂」「橿木(かしのき)坂」を越えると有名な「甘酒茶屋」
ここは 今も12代目が継いで 江戸時代と同じ味です
ここから先は 石畳になりますよ
箱根は 急坂だけでなく 雨が降ると 脛までぬかるむ悪路でした
このため延宝8年(1680)1400両もの公金をかけて 石畳を敷いたんですね
ここから「賽の河原」と呼ばれるところを過ぎれば 芦ノ湖畔で 関所です
この関所は 幕府が「入り鉄砲・出女」の管理のため元和5年(1619)に開き
小田原藩に管理を任せていました
江戸に入る方は 男女とも手形は不要 行く先を口頭で告げるだけでよかったのですが
出る方は大変! 女手形には ほくろの位置まで書かれていて
関所にいる「人見女」-今で言う女看守みたいなのに調べられました
髪までといて調べられるのですが 事前に茶屋を通じて「心付け」を渡しておけば
いくらか手加減してくれたそうです 
もちろん手形の必要のない者もいました 旗本・御家人 御三家家臣 大身の武士
僧侶・神官の他 芸人などは 芸を披露して職業を証明できれば良かったのです
関所の通行は明け六つから暮れ六つまで 顔が見える明るさのうちだけ
関所破りは 「磔(はりつけ)」と決まっていました
この厳しい関所を越えると やっと箱根の宿です
ここは 小田原・三島の両宿から50戸ずつ移転させて開いた宿場で
江戸時代には 鄙びた粗末な町並みだったそうです

さて 私事ですが 東京の方は 実によく箱根に行くと思いませんか?
私も 小さい時から現在まで夏場に限らず 本当に良く行ってます (たぶん50回くらい)
なんでしょうねー 避暑というと軽井沢よりも箱根なんですねー
オフシーズンとかに行くと やたらベンツばっかり走ってたりするところです
ものすごい高級旅館があって 芸能人のお忍びカップルもいるそうですよ
江戸時代からすると 考えられない発展ぶりですねー
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by tukitodoraneko | 2009-02-26 15:04 | 東海道五十三次

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