東海道 戸塚の宿

境木を越え 相模に入り しばらく行くと また「大山道」の分岐があります
ここを過ぎると 広重が描いた吉田橋と 飯盛旅籠「こめや」があり 戸塚の宿に入ります
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真中の石柱には「左 かまくら道」と 書いてあります これは妙秀寺に現存していますよ
戸塚宿は 吉田・矢部と三町からなり 江戸から来ると最初の宿泊地として
大変にぎわったところで 飯盛旅籠もたくさんあり 中でも吉田元町の
桔梗・岡松・成瀬・大海の四軒は 東海道筋の旅人たちに 人気でした
江戸へも 小田原へも約十里(40km)という いい立地でもありました
f0122653_7395311.jpg戸塚は 「見附」が二つとも残っている宿場でもあります
←この絵の「土塁」のようなのが「見附」です
東京の地名にも「〇〇見附」と残っていますが 
見張り所くらいの意味ですよ
宿の東にあるものは「江戸方見附」 西の出口にあるのは「上方見附」といい 戸塚は この二つの見附跡が
ちゃんと残っています
この宿の名物(?)に ちょっと変わったものがあるんですが・・・あまり大きな声では言えませんが
え~ 「大睾丸の物乞い」です
これは かなり有名だったらしく ほとんどの旅行書に出てきます
「やじきた」も この宿に泊まった時 「・・・大きんた〇の名ある戸塚に」と詠んでいます
ある時 これを見たオランダ人の一行が 水を抜いて治療をしてやろう と申し出たところ
自分はこれで 飯をくっているので無用だと 断られたそうです
大変な「飯のタネ」ですねー
さて ここを出ると 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で有名な お軽・勘平の道行きの場の
舞台となった「松並木」があります
主君の大事の時 逢引していた二人は 面目なくお軽の故郷・山崎に落ち延びます
 ここは戸塚の山の中 石高道で足は痛みはせぬか・・・
と いたわりながら落ちていく二人連れの話 ここを通る旅人達は みーんな知っていたでしょうね
ああ 最後はきれいな話になってよかった!
しかし 今はすっかり市街地になった戸塚ですが 
この頃は 一歩宿場を出れば 山道だったんですねー
この頃の旅の様子が なんとなくわかるようになってきたと思いませんか?
五番目の宿が やっと終わりました
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by tukitodoraneko | 2009-02-20 08:13 | 東海道五十三次

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