日本橋を出発 新橋まで

f0122653_6415984.jpgさあ では日本橋を 北から南に渡りますよ
←上部真中の5のところが 日本橋
ここから↓南に向かって まず京橋まで歩きましょう
橋の上からは 昼間だったら 右手にお城と富士山がよく見えます
渡りきると 右手に高札場
時によっては 差し掛け屋根の下に 心中の
やりそこないや 破戒坊主が晒されているところです
  日本橋 馬鹿を尽くした差し向かい
これは 心中もののことですね
  魚河岸の近く 生臭坊主でる
川柳にまでされる さらし者
これも 毎日伝馬町の牢から連れてきて
朝8時から 夕4時ころまで ここに晒します
これを見物するのも江戸っ子の大きな娯楽の一つでした
私たちは 真中の太い道をさっさと進みましょう
通り一丁目から 中橋広小路 南伝馬町一丁目へ
ここの左手の裏に 狩野永徳の屋敷があり
中橋狩野家と呼ばれてます
そして そのお隣さんは 私たちもよく知ってる
五十三次の「広重」の家です
幕府奥絵師と 流行の町絵師の家が並んでるのも おもしろいですね 3の印のところです
もう少し行くと 右の外堀に鍛冶橋があり 鍛冶橋狩野家の拝領屋敷です (1のところ)
この辺りは お城に近いので 拝領屋敷もとても多かったんですよ と言っている内に もう京橋が目の前です この手前・右手に白魚屋敷があり その前の河岸が
f0122653_718677.jpg有名な「大根河岸」です
京橋を渡ると 銀座です
町名は 本両替町(3) 銀座町(2) (1)のところは
能役者の観世太夫の拝領屋敷がありました
この通りも 新橋まで真っ直ぐですから 
迷いようがないですね
途中広い通りと交差しますが 右を見ると
数寄屋橋御門
この門の内側に 南町奉行所がありました
尾張町に入って 左手には 木挽橋が掛かっています
この橋を渡って 五丁目・六丁目が 木挽町
天保の改革で 浅草・猿若町に移るまで
江戸三座はここにありました (12)
移ったのは幕末の1842年(天保13)ですから 維新までの25年間は浅草ですが
江戸期のほとんどは ここが芝居町でした
もちろん「江島生島」の時もです
今でも この近辺に 歌舞伎座や新橋演舞場がありますね
ここまで来れば新橋は もう目の前です
一時 ここは「朝鮮通信使」を迎えるため
立派な御門がつくられ その時は「芝口橋」と呼ばれたんですが 火事で焼けてからはまた「新橋」に戻りました
ここの手前 右手にやはり能役者の金春太夫の拝領屋敷 金春屋敷があります
明治になってから この辺りの芸者を新橋芸者というだけじゃなく 
「金春芸者」と呼んだのは こういうわけです
ふー やっと 日本橋から 新橋まで来ましたよ
江戸を出るまでは 細かい地図があるので のんびりですが
品川からは 特急になりますよ
やじさん きたさんが江戸を立ったのも 「如月の中ごろ」
陰暦との違いはあれ 暦上はちょうど今頃です
私たちも 二人と一緒に 楽しく行きましょうね
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by tukitodoraneko | 2009-02-10 08:13 | 東海道五十三次

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