「天地人」 もうわかんない人に送る・・・

お友達から S.O.Sです
「NHK大河 わっかんないんだけど!2週目でもうツマブキだし!」
f0122653_20564073.jpg←じゃあ 原作読めば・・・?
「やーよ!一週ごとに説明してくれればいいじゃん!」
って・・・誰が? はいはい私ですね・・・
何が わからないでしょうか?
子役だし 幼名だし 誰が誰やら・・・?
ほんとですねー
じゃあ 人間関係だけ ざっとまとめましょうか
この2週分くらいでも・・・
まず すべての中心 上杉謙信は まだ「輝虎」と
名乗っています
最初の事件が起こったのは 永禄7年(1564)のこと
越後・上田庄の領主 長尾政景が 坂戸城の近くの
野尻湖で 水死してしまったのです
たまたまこの時 いっしょだったのが輝虎(謙信)の家臣・宇佐美定満でした
政景は 輝虎が越後の国主になった時 反対した経緯があり
この水死事件は 輝虎の計画したものと思われたのです
しかし 政景の妻は 輝虎の実姉・桃(のちの仙桃院)でした
そして息子は 後の上杉景勝 この時はまだ9才の「喜平次」です
喜平次は 母方の叔父・輝虎の養子となります
そして のちの直江兼続は このときまだ5才
長尾政景に仕えて 勘定奉行(薪役とも)だった樋口惣右衛門の息子
「樋口与六」といいました
確かな記録がないので 真実はどうだったか わかりませんが
とにかくこの与六が 小さい内から 喜平次の小姓として
仕えていたのは確かなことのようです
「直江兼続」に関しては 後の世に物語がいろいろ作られましたので
割と知っている気持ちになりますが 
実際 記録に残っているものは ごくわずかです
一時期は 景勝ではなく 謙信の右腕と考えられていたこともあります
火坂版の「兼続」は 最近の通説に基づき 新しい兼続像を 
見せてくれるんじゃないでしょうか

・・・こんなとこで いいかね? 友よ
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by tukitodoraneko | 2009-01-12 22:36

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