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腰痛注意報

f0122653_13304853.jpgご無沙汰して すいません
なんか急に涼しくなって 台風も来てるし
やっと猛暑が去ったと思ったら・・・
← 今 こんな風になってますよ
お久しぶりの 腰痛が出まして
腰が曲がらない おじぎができない とっても居丈高な人になっています
 いつも そんなもんだ
と いう家人評はさておき
長く同じ姿勢がたもてないので
ブログも 打てません
f0122653_13382995.jpgちょうど矢印の辺が パキっといってね
わかる?やじるし
でも 立てない 歩けないほどじゃないの
これ以上 油断すると 本格的にいっちゃう
一歩手前?
だからしばらく 屋内をフランケンのように
ギクシャク移動するのみです
でもそれ以外は 意外と元気なので
お気使いなく・・・
ちょっと夏休みならぬ 夏バテ休みってことで

ではまた
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by tukitodoraneko | 2015-08-25 13:45 | よしなしごと

70年前の今日

f0122653_1618058.jpg8月1日から 読売新聞の一面で始まった「戦後70年」という記事読まれましたか?
昨日は 半藤一利さんのお顔でした
半藤氏は 20年前に亡くなった父と同年の方です
父が生きていたら もう85歳だったのだな・・・
という事と共に さんざん聞かされた「父の一番長い日」の
ことも思い出しました
家族以外に話した事もないのですが 一人娘の私ももう母の享年を越え 父の死んだ歳に 近づいていきます
一度くらい書いた方がいいのかな…と思いました
ここからは 15才の少年の「8月15日」です
この手の記事は 読みたくない方も当然いらっしゃるので 
その場合はどうぞ とばしてください

私の祖母は 昭和の初め 当時 南満州鉄道に勤めていた祖父の元へ
山梨から嫁いで行きました
任地は様々だったようですが 父たち5人の兄弟は 錦州中学を出ています
父は 昭和5年の生まれで 三人の姉と 下に弟が一人
玉音放送を聞いたのは 15才の夏
満州の 広大な黄色い大地で 地平線から刻々と近づく
ソ連の戦車隊のすさまじい土煙りを眺めながら
小学生を指揮して 戦車壕を掘っていました
戦車隊に対して 穴を掘ってくいとめようというのは
さずがに 子供でも無理だろうと 察しがつきます
せめて小学生は 早い内に 家に帰してやろうと 父は思っていたそうです
そして 昼ごろ よく聞き取れないラジオの放送が終わると
上官が来て 「もう全員家に帰れ」と 言われたそうです
それから 引き上げて来るまでの 数か月のことは
とぎれとぎれにしか 聞いていません
人は 本当につらい記憶は 語りたくないのかもしれません
夜 バラックの屋根に当たった流れ弾が カラカラと音を立てて 落ちてゆく音
昼でも 普通に歩いていた横の人が ばたりと倒れて動かなくなる日常
蒋介石の軍隊に 友達と一緒に拉致されたこと
その三人の内 父ともう一人は 家族がいたので 脱走しようと決めましたが
一人は すでに現地召集された父親は戦死し 母は幼い妹を連れて
中国人の妾となっていました
僕は 帰れない という友人を一人残して 父は友人と夜更けに脱出
それから 夜の間は駆け続け 昼の間は林の中などで休み 
とにかく 走り続けて 家に戻りました
夜の月明かりの中 永遠に続くかのようなコーリャン畑を
駆け抜けていく15才の少年

「終戦」という言葉を聞くと 私はいつもこの光景が 頭に浮かびます

あの当時 生きていた全ての人に 各々の戦後史があるのでしょう
でも だからと言って 「された事」ばかり 声高に言うのはどうかなと思うし
やたら美化するような戦争映画もきらいです

本当は「原爆」と 同レベルに自分たちのしたひどい事も ちゃんと語り継がないと
こんなことしたから 戦争になったんだよと 子供たちに教えていかないと 
今10代 20代ほど 「今後日本は戦争すると思うか?」という質問に
「はい」と 答える率が高くなっているそうです
ひょっとしたら「モンハン」で狩りに行く程度の事と思ってやしないか?
と 不安になります

私自身 初めて中国に旅行に行く前 隣の97歳のおばあちゃんに言われた事が
とてもショックでした
「まあ中国に行くの? 大丈夫かしら?
 だって 私たちは あの人たちに ひどい ひどい! ひどい!!ことをしたのよ」
普段は 上品で穏やかな老夫人の口から出た「ひどい」という言葉の激しさに
しばらく 返事もできなかった
この方も 満州に行き 戦後は韓国にまで逃げて やっと帰国した方です
自分だって 大変な思いで やっとのこと帰って来たのに・・・・

犯罪者にだって黙秘権があるように ひどい事をした人たちがそれを語りたくないのはわかる
それ以上に 過去の日本人がしたひどい事を 追求したくない気持ちもわかる
でもちゃんと検証して 教えないと また同じ過ちを繰り返す世代が 出てくるのじゃないか
・・・と 思ってしまうのよね
杞憂だと いいですね

ともかく お父さん!
コーリャン畑を 激走してくれてありがとう
その10年後に私は生まれ 今も平和な日本で 生きているよ!

はい 今日はこれで終わりです
 
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by tukitodoraneko | 2015-08-15 17:42 | 明治・大正・昭和

明日は何の日?

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明日 8月15日は 深川(富岡)八幡宮の祭礼です
江戸時代も 同じ日ですね
陰暦だと 一月遅れなんで 実際は九月の満月の日
十五夜の日に行われた祭りです
神田・山王に次いで 「三大祭」の一つとも言われました
なんてことをね もう過去二回も書いてるから そちらを読んでください
  2009 8/15 「天下泰平 満月の御祭礼」
  2011 8/17 「深川の八幡祭」 

検索でも 上位に載ってますので 読んでみてください
覚えるポイントは  紀伊国屋文左衛門由来の神輿と
「幟祭」「水かけ祭」とも言われた事
上記の大幟は 三井親和の筆 ってことくらいでしょうか?
あと 江戸時代もすでに混同されてますが 富賀岡八幡は南砂の「元八幡」
こちらは 正しくは「富岡八幡」と 表記するそうです
あと 深川の氏子たちは 昼は祭で 夜は明月と忙しかった事
陰暦の八月は もう秋ですね
七 八 九月が季節としては「秋」なので 八月は中秋
二つの行事が この地域では 重なっていたわけです
戦後 この日は もう一つ「終戦記念日」が 加わりました
深川八幡は 戦後三年で 本祭を再開
この時は 皇居まで 神輿を担いで行ったそうです
ふーん・・・思ったより 早く 再開できたんですね 意外でした
今日は こんなところで・・・・
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by tukitodoraneko | 2015-08-14 14:30 | 祭と歳事

伊崎の棹飛び

f0122653_14271591.jpgもう聞きあきたでしょうが
猛暑ですなー!
せめて涼しげな話題でも
・・・ってことで これ
知ってました?
琵琶湖に13mの角材を
せりだして この上から
ジャンプ!
ほとんど入水自殺みたいに
見えますが れっきとした
伝統行事です
毎年八月一日に行われます
数年前までは 一般参加も
あったそうですよ
水泳の飛び込み選手なみですねー
元々は天台修験の修業の一つだったんでしょうね
「決して 真似はしないでください」という類かと思われますが
一般参加って そんなにいたのかしら?



f0122653_14395345.jpgはい、地図です
伊崎寺は 赤点 →
古くは 島だったのが
埋め立てで陸続きになったんですね
それでも 近くのバス停から「徒歩40分」ですってよ
この暑い盛りに 行きつくまでがもう修業ね
昔は 船で行くしかなかったので 山門も琵琶湖に向かって立っています
まー でも見てるぶんには涼しさ満点
肝も冷えて 猛暑の一涼となるかもですね
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by tukitodoraneko | 2015-08-07 15:07 | 祭と歳事

ねぶた祭 青森

f0122653_13153287.gif今ちょうど「ねぶた祭」の最中ですね
怪談よりも こっちを書かなくちゃ!
さて 今も大きく残るのは「青森ねぶた」「弘前ねぷ(pu)た」「五所川原 立佞武多(たちねぶた)」の三つでしょうか
青森市の右上の赤点は「浅虫ねぶた」
青森ねぶたの原型はこちらと言われています
ねぶたは 七夕の燈籠流しが起源というのが通説です
燈籠と共に この時期のだるさ・眠たさを一緒に流そうという
f0122653_1123916.jpgので 眠た流しとも言われたのですね
ですから この地方では まだ各地に
ねぶた祭りが続いています
他の所みたいに 派手じゃないだけでね
これが「浅虫ねぶた」ですよ →
青森同様 刀を持った武者が多いです
病を払う時には 多く武者絵が使われますね
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「動の青森」に対して 「静の弘前」は 扇型が主流です
弘前藩初代 津軽為信(髭の!)の幼名が「扇」だったからと伝えられ 台下の花が 全て牡丹の絵がらなのも 津軽家の家紋を模したからだそうです
「ねぷたは流れろ 豆の葉は止まれ いやいやいやよ」
古くから伝わる「ねぷた歌」の いやいやよが「やーやどー」という掛け声に変わったといわれています
これに対し 青森の「らっせらー」は 「出せ出せ」から変化したとか
七夕の時期 燈籠に使う蝋燭を集めた事に由来するようです
函館育ちの家人は 子供の時 七夕の「蝋燭ちょうだいな」に いってお菓子をもらった
経験があるそうです
さすがに「出せ」とはいわなかったようですが ちょっとハロウィーンの
「トリックオアトリート」みたいなんでしょうか
f0122653_11475219.jpg五所川原の立佞武多 →は 祇園祭の山車みたいですね
疫病流しの意味も込められているのかな
屋台の下の「雲漢」は 天の川のこと
七夕には つきものですからね

私はまだ行ったことないんですよ「ねぶた」
皆さんは どうかしら? 今 青森だよ、って方もいるかしら?
猛暑の中 「寝ブタ」化している私は いっそ天の川に流されたい・・・
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by tukitodoraneko | 2015-08-05 12:00 | 祭と歳事

夜は 神造る

一口に「怪談」と言っても 老若男女それぞれに「怖さ」の基準が様々です
しかし 共通するものがただ一つ   それは「闇」に対する本能的な恐怖なのですね
古来 夜は「神の時間」だったのです 
人は その闇の時間を 眠りによって やりすごします
神のお告げが 夢によってもたらされるのも それが神の時間帯であるからです
「日本書紀」に ヤマトトトソ姫の墓=箸墓は
「昼は人造り 夜は神 これを造る」と あります
この一節だけでも ちょっとゾクッとします
姫は 三輪山の神に嫁ぎ その姿(小さな蛇)を見て驚いたため
神の怒りに触れ ホトに箸がささって亡くなります
箸墓古墳は 人だけでなく 神が造った墓なのですね

それほど 怖ろしい夜がやってくる気配が漂う時間=黄昏時=逢魔ヶ刻
昼と夜とが、人の時間と神の時間が 入れ替わる時 異界の扉が開きます
この世とあの世の境目が 曖昧になる時間とも言えます
怪談の極意も ここにあるかと思うのです
血みどろの幽霊が出てくるよりも 惻惻とせまる 恐怖の予感の方が
私は怖いですし 好みです
そういう意味では 内田百閒の短編 夜の山道の話 怖かったですね
タイトルは忘れました この暑い中 わざわざ二階の書棚で 本探すのイヤです
前 この話した時 「あ、井戸のそばの男ね!!」と 言った知人がいます
そうなんです 真っ暗な山道で 道連れとなった不気味な男の話です
たぶん 文章がうまいのでしょう と言っても美文調でもなく
淡々と書かれているのですが その加減が うまいのですね
怖がらそうとしているわけでもなく ごく自然に「嫌」な感じがし
徐々に 怖さがつのってくる感じが絶妙です
f0122653_13564353.jpgもう一つ 絶妙に怖い語り口 それが町奉行・根岸鎮衛が書きとめた「耳嚢」
もちろん単なる噂話や 傷薬の作り方や 流行りもののことなど 種々雑多な話題が多いのですが 
たまに挟まれる怪談が なぜかとても怖いのです
最初 私は 江戸検の勉強のため読み始めたのですが
夜 一人で読んでいてゾクッと 鳥肌立ちました
縁の下から 細い腕が貝がらを持って伸びてきて
手水の水を汲む話 これも幽霊が出てくるわけじゃないのに 怖い話です
そして 「小幡小平次」の元となった噂話
死んだはずなのに 一足先に帰って来た旅芸人の話がいいです
この二つは 杉浦日向子さんの「百物語」にないのが不思議です  
絵よりも 読む方が怖いからかなぁ
京極夏彦さんが 「幽」で 耳嚢の現代版を書いていましたが
残念ながら 本家の方が怖さにおいては 数段上ですね

あ、また長くなってしまった・・・!
続く、です
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by tukitodoraneko | 2015-08-03 15:56 | 本の話

文学の極意は怪談である

三日も続けて幽霊の絵載せて 何なのよ、いやがらせ?
と お思いでしょうが ごめんなさいね  基本 暑くなると 怪談しか読みません
この分野は なかなか いい出物がないのよねー
        「文学の極意は 怪談である」 
という説 ご存知ですか?
佐藤春夫大先生が 対談で語ったらしいのですが かの三島由紀夫氏が 書き残しています
内田 百閒全集の前書きに書いたものですが ちょっと挙げてみましょう

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アーサー・シモンズは「文学で最も容易な技術は 
読者に涙を流させる事と 猥雑感を起こさせることだ」
と言っている
この言葉と 佐藤春夫氏の「文学の極意は怪談である」
という説を照合すると 内田 百閒文学は 人に涙も流させず 
猥雑感を起こさず しかも人生の最奥の真実を暗示し 
一方 鬼気の表現に卓越している


ま、その通り と 思えますね
お涙ちょうだいと エロ文学は 確かに 安直でもいいのです
「一杯のかけそば」でも泣けますし 後者はAVでもいいんだし
それに比べて 怪談の秀逸なものって なんと稀れであることよ・・・!
三島氏の絶賛する通り 内田百閒の短編のいくつかは 真にぞっとするいい怪談と言えます
怪談って「真実らしさ」のちりばめ方が 微妙に難しいんですよね
あまりに作りこみ過ぎると 「ファンタジー」になってしまうし
現実的過ぎると ただの「事件」になってしまう
その兼ね合いなのでしょうか 
都市伝説ブームや 「新耳袋」以降の実話怪談ブームもありましたが
どうも流行りすたりの範囲内で 怖いというより ちょっと不思議
もしくは 怖いよりも 「気持ち悪い」や「残酷」が強くなってしまう話が多いのですね
単なるホラーや スプラッタな話には うんざりだし 
お決まりの「人間が一番怖い」系の ストーカーだの 精神異常者の話じゃ 何の芸もない 
新聞の三面記事を読めば充分・・ということになってしまいます
それと これ女性作家に多いのですが すぐに寺社系の因縁に持って行ってしまう
祟りや怨念、あと「女の情念」に 頼り過ぎなのが残念・・・
(霊が)「視える」「視えない」に こだわる・・・というのも うんざりします
なんだろう 泣く・笑うのと違い「怖がる」というのは よっぽどの感情移入が必要なんですね

余計な要素はいらない ただ読むものを恐怖させる文学
それが怪談なんですねー

ああ・・・! 暑いから 怪談読んでるのに 怪談について 熱く語ってしまった!
それにしても 猛暑ですね
ここで 一回 〆ます   続きはまた!
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by tukitodoraneko | 2015-08-02 15:21 | 本の話