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あひ鴨一品 鳥安

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東日本橋 「鳥安」

f0122653_10384461.jpg昨日は寒かったですね
今年最初の「伴四郎会」は 鴨すき
日本橋中学校の真向かいにある合鴨の鳥安さんで
温まりました
明治4年創業のお店は 文豪たちの愛した老舗
あひるとかけあわせた合鴨の肉は 柔らかく 
くせがなく じゅわ~っと 肉汁があふれます
すべてお店の方まかせで 取り分けてくださり
最後の〆めは この厚い鉄鍋で 焼き飯を作ってくれます
これに大根おろしをかけて食べると「う、うま~い!」
(あ、O沢さん 肖像権侵害しちゃいました)
f0122653_10462832.jpgこのお店の一階通路つきあたりには
風情のある本棚があり 所縁の方々でしょうか
小津安二郎 円地文子 横光利一など
いかにも時代のついた本が並んでいます
しげしげと 眺めていると「興味がお有りですか?」と お店の方がガラス扉を開けてくださいました
はい! とっても興味お有りです
「梅の下風」尾上梅幸 
「江戸の遺伝子」徳川恒孝
なんての おもしろそうですねー
おいしい食事と おもしろそうな本
寒い夜でもへっちゃらな二大好物が揃っていて
2.26の夜ではありますが 心ぽかぽかの「鳥安」さんでした
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by tukitodoraneko | 2015-02-27 11:03 | 江戸の食文化

「外道」ですってよ!

f0122653_1201136.jpg← これ読んでますか?
「今昔」同様 これも愛読書ですよ
この中刊の序 書いてみましょう
「ひそかに思いみれば二つの御代あり
宣化天皇(28代 6世紀前半)以前は
外道に従い 卜者(かんなぎ)をたのみ給えり
欽明天皇(29代)より後は 三宝を敬い 正教を信じ給えり」

外道=仏教以外 正教=仏教です
しかし 薬師寺の僧が書いたものといえ
「外道」って 結構なインパクトですね
ここに書いてあるように仏教の伝来は
欽明天皇の時代、と伝わっています
「霊異記」が書きとめられたのは平安初期
9世紀の前半ですから 仏教は300年の間に「正教」と言えるほど隆盛してきたわけです
仏教を現在のように 単なる一宗教と考えると理解しがたいですが
当時は 仏教=「文化大系」・・・簡単に言えば技術・産業・芸術・思想
全てを含んだ大陸からの先進文化だったわけですね
宗教としての仏教は あくまでそれまでの日本古来の神々を
否定しないように うまく融合しながら発展していきます
権現や明神というのは その過程で生まれて来たものです
権現の「権」は 「仮に」という意味
権大納言・権守(ごんのかみ)など官位にもつきますね
この場合は「定員外」という意味ですよ
仏にしろ人間にしろ「仮に神の姿で現れる」と「権現」です
徳川家康=東照大権現も その一つですね
そして明らかに神に成りおおせると「明神」ってわけ
この他にも 天に昇って、天から降臨して 神となると
「天神」と呼ばれたりもします
反対に 神であるはずの八幡さまも「八幡大菩薩」と言いますね
こういうのを 神仏混淆 または神仏習合と申します
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仏像って 奈良の大仏を始めたーくさんありますよね
上の写真は 薬師寺の国宝「三神像」
平安前期の作で 数少ない神像の一つです
ちょうど「霊異記」が書きとめられた時代ですね
この真ん中が 薬師寺鎮守八幡宮 なんと僧形の八幡神ですよ
右は 神宮皇后(じんぐうこうごう) 左は仲津姫命(なかつひめのみこと)
三神一具の神像となっています
仏像とちがって 神の御姿は 基本 見てはならないものです
今でこそネットで出回っちゃってますが 昔は厨子などに納められ
人目に触れることはなかったでしょう
ありがたいんで どうぞ拝んでくださいね
では、また!


 
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by tukitodoraneko | 2015-02-25 14:17 | 祭と歳事

江戸の寺社

先日のブログ訂正しました
「初午」の記事 以前の記事2010年2月に載っています
さがしても 無かった方 ごめんなさい
少しひまがあるので 江戸の寺社のこと ざくっと書いときましょう
f0122653_15472678.jpgまず 第一に「神社」という言い方が一般的になったのは明治以降です
切絵図をご覧になると 一目瞭然なのですが ○○社 ○○宮と書かれていて
社(しゃ・やしろ)と 読んでいます
王子稲荷社 富岡八幡宮などです 
「神田明神社」も「みょうじんしゃ」ですね
そして どんな大きい社でも 江戸時代には「別当寺」がついていました
f0122653_1611556.jpg「○○寺持ち」という言い方もします
明治の寺社分離以前は 屋敷神・横町の小祠を除けば 寺の敷地の一角に 様々な神の社があるのが普通でした
江戸最古の寺院 浅草寺を切絵図で見ると 本堂をとりまいて数多の社が描かれています
仁王門の手前・左手にある「地主稲荷」は おそらくこの地の
地主神=氏神だったものでしょう
ホントにいっしょくたの感がありますね~

これは 幕府が宗教行政法として「寺請制」をとっていたことが大きな要因です
今の住民基本台帳を 当時は宗門人別帳と言いまして 
住民は それぞれ自分の寺に属し それを記した帳簿を 
その土地の名主・町役人・村役人がほとんど毎年のように提出していました
道中手形・・・今のパスボートの発行も お寺の役目です
宗門人別帳や手形の証明には 旦那寺の住職から奥書=裏書をもらわないといけません
このシステムは 明治の神仏分離政策で 消え去ります
同時に 権現や明神という観念も否定され
時宗 神田山日輪寺持ちの神田明神は 神田神社と改称
天台宗 観理院城琳寺持ちの日吉山王権現は日枝神社と改称されたのですね
日吉→日枝 ちょっと覚えておくといいかもしれませんよ
続きは また・・・・
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by tukitodoraneko | 2015-02-24 17:05 | 祭と歳事

初午と稲荷

f0122653_105556.jpgさて やっと「初午」に入れます
この絵は 豊国「伊勢固世身 見立十二直」の内「梅見月の初午」
江戸の2月初午は 稲荷の祭りですが
陰暦では 3月 今よりも春めいた季節に行われる子供たちの祭でした
江戸の子供の日といってもいいかな
この行事に関しては 過去にも書いていて そちらに詳しいです
今回 検索をかけると 何度も過去の自分のブログにぶち当たりましたので「祭と歳事」のカテゴリに移しておきました
2010年 2/3,4,5 「初午とつんぼ稲荷」「稲荷だらけの江戸の町」「狐落としの殿様」
カテゴリ「祭と歳時」 もしくは左下の
「以前の記事」2010年2月をクリックしても見られます
この祭りに付き物なのは 太鼓・絵馬・
地口提灯と幟(のぼり)です

江戸では この日から寺子屋に通い始める子も多かったと言います
今の「ご入学」も兼ねていたみたいですね
さて ではなぜ二月の初午が 稲荷の祭となったのか
これは京都の伏見稲荷の社伝にありますように 
奈良時代の和同4年(711)京の稲荷山に神が鎮座したのが 
2月の初午だったからですね
この神様は 渡来系 秦(はた)氏の氏神で
以来その子孫が 社の祀官となっています
こちらの祭神は「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)」
日本書紀では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)となっていて
代表的な穀物=食物神です
伏見神社は この神社系稲荷の総本社となっています
f0122653_1193233.jpgそしてもう一方 インドのダーキニー→荼枳尼天(だきにてん)を祀る稲荷があります
荼枳尼天は 大黒天に属する夜叉で ご覧のように半女身 
狐を操り 自在な通力を持つとされています
代表的なのは 豊川稲荷ですね
江戸の地口で「貧乏稲荷で鳥居(取り柄)もない」というのをご存知でしょうか
大岡越前の下屋敷に祀られた稲荷も そう言ってからかわれたのかもしれませんが これ そもそも領地 豊川の妙厳寺の荼枳尼天を 子孫が祀ったものですので 神社ではなくお寺さんです
貧乏だからではなく お寺系なので 鳥居は無いのが当たり前ってことですね
寺社がきれいに別れた現在では 不思議に思われるかもしれませんが
明治の「神仏分離令」以前の長~い間
我が国では 神も仏もいっしょくた 神仏混淆 神仏習合 
おまけに本地垂迹なんてことも 当たり前でした
長くなりましたので 説明はまた次回   
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by tukitodoraneko | 2015-02-20 11:48 | 祭と歳事

だだおし 長谷寺

f0122653_1805330.jpg昨日2月14日 長谷寺(はせでら)で行われた
←「だだおし」書いておきましょう
以下 HPより
「だだおし」とは鬼祓いの儀式です。
長谷寺では2月8日より一週間 修二会(しゅにえ)という人々の安穏を願う行事を行っていますが、その最終日の法要の最中、突如として赤・青・緑の三匹の鬼が現れ、お堂の中を暴れまわります。人々を威嚇し、金棒を振り回して大声をあげる鬼たちは、やがて牛玉札(ごおうふだ)という功徳のある札を手にした僧侶衆によって
堂外に追われ、今度は長さ4メートルの大たいまつを
手に、おのおの本堂の周りを練り歩きます。
鬼たちがすれ違う際、たいまつ同士がぶつかることによって激しく火の粉が飛び散り、参拝客からはどよめきと歓声が上がります。やがて鬼はたいまつを捨てて
いずこともなく去り、人々はご利益が得られるというたいまつの燃え残りを拾います。
だだおしは、参拝客に福を呼ぶ行事であると同時に、長谷寺に春を迎える大切な儀式でも
あるのです

「だだおし」の語源は諸説あり
「だだ」とは、閻魔大王(えんまだいおう)の持ち物で、生前の行為を審判し
懲罰を加える杖のことであるとする説や、
疫病神を駆逐する「儺押し(だおし)」から来たとする説や、
「閻浮檀金宝印(えんぶだごんほういん)」あるいは「檀拏印(だんだいん)」を
人々の額に押す「檀拏押し」から来たという説、
「だだだ・・・」と鬼を追い出す所から来たという説等、
諸説があって定かではない。
寺伝によれば、長谷寺開山徳道上人(とくどうしょうにん)が養老二年(七一八)に
病にかかり仮死状態となって一時冥土に行った。
夢うつつの間に閻魔大王から「お前は死んではならぬ。早く立ち返って
西国三十三カ所観音霊場を開基せよ。」とのお告げがあった。
その時にいただいた閻浮檀金の黄金印を修二会結願の日に、
諸仏諸菩薩をはじめ、お参りしている善男善女の額に押し当てて
「悪魔退散」「無病息災」の加持祈祷が行われたところから
この名が由来したと伝えられている。

↑ これもHPに 書いてありました
詳しくは こちらで読んでみてください
私は 最近「今昔物語」しみじみ読み返してます
その「本朝部十一巻第三十」が 徳道上人が十一面観音を造る話です
洪水で高市郡(奈良)に流れ着いた大木が 災いをなし
ある人が この木で観音を彫ろうと 当麻町まで運びます
しかしここで力尽きて死亡 大木は80年ほっておかれます
そしてまた 近隣で疫病が流行り この木は長谷川(はつせがわ)の
川辺に捨てられてしまいます
それからまた20年 徳道上人がこの大木は「霊木」であると見抜き
今の長谷寺のある所(桜井市初瀬)に持ってきたということですよ
「今昔」・・・結構おもしろいでしょ?
記紀に次ぐ愛読書になりそうです
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by tukitodoraneko | 2015-02-15 18:29 | 祭と歳事

バレンタインとふんどし

    f0122653_19312621.jpgHappy Valentine!
      いつも見てくださる皆さまに
      私からも チョコを贈ります
ところで知ってます?
今日2月14日は「ふんどしの日」でもあるって!
2は ひい・ふう・みいの「ふう」10が「とう」で 4が「し」
ふうとし→ ふんどし
日本ふんどし協会の無茶なゴロ合わせですね^^
f0122653_19422548.jpgそして今日は 見島(佐賀)の加勢鳥の日でもあるんですよ
旧暦では 1月14日 小正月の前日に行われたもので 神の使いである雌雄二羽の鳥に扮して 集落を一軒ずつ回ります
元は 寛永頃に始まった「厄除け」行事のようですが 山形の様な陽気な感じではなく どちらかというと「なまはげ」に
近いのかなー
この地区では新年の祈年祭が1月15日で その前夜は 他村からの客を手厚くもてなす
という風習があったそうなので 「歳神さま」という感じかもしれませんね
f0122653_19571840.jpgそしてもう一つ 教えていただいたのが「米川(宮城)の水かぶり」
こちらは 山形のカセ鳥に似てますね
2月の初午に行われる「火伏せ」の
行事です
厄年を迎える人を中心に 地区の家の屋根に水をかけて歩きます
身に付けた藁(わら)も 火除けとして 抜いては投げるそうですよ
これ 800年以上の歴史があるという事なので ここが一番古そうですね
上山は 水をかけられ 米川は水をかける
その差だけで 東北の二つは 元が同じなのかな?
おもしろいですねー 日本の行事って 知らない事ばかり
では 最後に一言
火事は消しても ハートの炎は 消さないでね
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by tukitodoraneko | 2015-02-14 20:11 | 祭と歳事

カセ鳥 山形

f0122653_1621263.jpgもう一つ 追加いたします 
おとといの11日 たまたまTVで見た山形県上山(かみのやま)市の奇祭「カセ鳥」です
上山市は 山形市の少し南
上山城・・別名 月岡城があるところ
ここで 江戸初期の寛永に始まったこの
「加勢鳥」
元は 小正月の行事で 今は2月11日に固定されています
f0122653_16433876.jpg身につけているのは「ケンダイ」とよばれる藁(わら)で作った蓑(みの)ですね
けんだい・・・どういう字をあてるのか
わかりませんでした
なんだか「から傘お化け」のようにも
見えますね
元は「稼ぎ鳥」「火勢鳥」が語源とも
言われ「商売繁盛」や「火伏せ」を
祈ったものとか・・・
この鳥たちは「かっかっかーのかっかーか」と 鳴きながら踊り歩き 水をかけられまくります
元は何の鳥であったのか 寺社との関連 
何か元となる伝説があるのか等 ネットではほとんど情報がありませんでした
上山という地域のみで 続いてきたのでしょうか?
お近くの方 由来などご存知でしたら教えてくださいな
しかし 考えてみると わらみのだけで 冷水を浴びる・・・
二月の山形の祭りとしては ちょっと大変な行事ですね!!
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by tukitodoraneko | 2015-02-13 16:58 | 祭と歳事

海山道神社 狐の嫁入り

「初午」に移ろうと思っていたのですが 一つ追加します
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三重県 四日市の南 近鉄名古屋線「海山道(みやまど)」駅前
「海山道開運稲荷」で 節分に行われる「狐の嫁入り」神事
350年以上続いて 毎年2万人の人が集まるそうです
f0122653_1023971.jpgこの地区には元々 五つの氏神があったそうで 
明治後期 これらはまとめられて「洲崎濱宮神明神社」
となります
境内に 20を超す小社が置かれ その中でも開運稲荷は 神明社よりも大きいのです
今では 全てを総称して「海山道神社」みやまどさん
と親しまれています
「狐の嫁入り」は 境内の福徳稲荷の娘狐が 同じく
助四郎稲荷に嫁ぐもので 毎年 氏子中の若者で年男・年女にあたる者が選ばれ 仲人・親類などを従え 
三三九度の盃をあげ 豆を撒きます
豆の袋には「萬両」と書いた榊の葉が入ったものがあり これが当たると福徳がやってくるそうですよ
しかし こちらも近年では少子化の影響を受け
嫁狐・婿狐 共々 高齢化の傾向があるそうですよ
狐でもいいから 一度 花嫁姿の行列やってみたいですねー
ためしに一般公募 してくれませんかねー
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by tukitodoraneko | 2015-02-12 10:41 | 祭と歳事

北野天満宮 節分

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京の節分 最後は北野天満宮 北野の天神さんです
ここでは「鷽(うそ)替え」は やらないそうです
平安中期の天歴元年(947)京の乾(いぬい=北西)の隅に 建てられた天神さま
東北の隅は 「鬼やらいで 追われた鬼が逃げ込む所」
だから「四方詣り」でも 最後を担うのが北野天満宮というわけですね
f0122653_16265377.jpgこちらでも壬生寺同様「北野追儺狂言」が行われます
そして 八坂神社(祇園さん)同様 舞妓ちゃんたちが 豆を撒いてくれます
皆さん お目当てはこれなんじゃないの!?というくらい 大変な
人出だそうですよ
お豆さん、まきますえ~・・・って 感じかしら
うわあ いいなー 見てみたいなー
こちらの本殿は 慶長12年(1607)豊臣秀頼の命で 建てられたもの
梅の季節に ぜひ訪れてみたいですね

時間がなくて 簡単でごめんなさい^^;
とりあえず 「京の節分 四方詣り」は これで終わりです

おヒマがありましたら 延喜式神明帳の式内社のこと
「二十二社」のことなど ちょっと調べてみると
神社の基本がわかって いいかなと思います
私は今 しみじみと「今昔物語」を読んでいます おもしろいですよ!

次の祭りは「初午」です ではまた! 
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by tukitodoraneko | 2015-02-10 17:33 | 祭と歳事

八坂神社 節分

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八坂神社・・・といってもピンと来ませんよね
京の人々は 昔も今も「祇園さん」と呼びます
祀られる牛頭天王は 祇園精舎の守護神ですから
祇園天神とも 呼ばれていました
祇園精舎は インドに現存する釈迦が説法を行ったという寺ですね
今は 歴史公園となっています 御多聞にもれずネットで見れます
有名な「祇園精舎の鐘の声」 しかし本来 ここに鐘はなかったそうで
10年ほど前 日本から鐘楼と鐘を寄贈したそうですよ
そしてもう一つ 三代将軍家光は この祇園精舎を特定せよと
長崎の通辞に 命令したのだそうです
ところが当時の渡航した人々は カンボジアにあるアンコール・ワットが
「祇園精舎」であると 思っていました
このため 江戸時代通じて 祇園精舎図=実はアンコールワットの地図が
代々 受け継がれてきていました おもしろいですね^^
あ、脱線しましたね

この牛頭天王 貧乏な蘇民将来の家をボロボロの旅人の身なりで訪れ
厚くもてなされました 
金持ちの兄・巨旦(こたん)将来は 冷たく追い返したので
数年後 再訪した牛頭天王は 弟にだけ疫病除けの「茅の輪」を授け
この時 「自分は スサノヲ尊である」と名乗ったという話が
「備後国風土記」の逸文に残っています
現在では 牛頭天王と須佐之男命(スサノヲの表記はいろいろありますが)
は同一神として ペアで祀られていますね
f0122653_1503164.jpgそのご縁で 八坂神社で節分の二日間に限り 出される串札には 「古事記」でスサノヲが 根の国にやって来た大穴牟遅(おおなむち・表記さまざま 別名・大国主 他多数)を 黄泉比良坂まで追っかけてきて 言った言葉
「追伏坂之御尾 亦追撥河之瀬」が 書かれています
「(兄弟を)山に追い伏せ 川辺に追いつめ(そしてお前が国を治めろ)」
娘(スセリヒメ)を奪っていくオオナムチに対する一種の言祝ぎでしょうか

ほーら「古事記」って おもしろいでしょ?
 
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by tukitodoraneko | 2015-02-07 15:41 | 祭と歳事