<   2015年 01月 ( 14 )   > この月の画像一覧

纏向遺跡から骨!

雪 どうですか? ウチの辺では 午後から雨で 今はやんでます
凍らないように ざっと雪かきしてきましたが 積もらなくてよかった・・・!
f0122653_14433570.jpgさて 今朝の新聞です
纏向(まきむく)遺跡で 4世紀前後 占いに使った猪の骨「卜骨(ぼっこつ)」が出土しました
亀の甲羅で占う「亀卜」同様 骨を焼いて
できた亀裂の形で 占いをするのですね
これが纏向から出たということは 「古くからの占いが引き継がれ 国家的祭祀となっていた可能性がある」のだそうです
f0122653_14502973.jpg

↑ 周辺地図 出してみましょう 天理市の南 三輪山の北西
JR桜井線の巻向駅が 一番近いでしょうか
昨今 ここが邪馬台国だ!という評判高いですね
南にある箸墓古墳は 倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)という
早口言葉のような名前の姫君の墓
三輪山の神の妻となり 神の姿(蛇)を見て ホトに箸が刺さって亡くなります
文京学院でもお話した「昼は人 造り 夜は神 造る」・・・
夜の間は神が造ったというお墓がこれなんですが
これこそ卑弥呼の墓!・・・ともいわれています
そして 今回出た卜骨は その後継者「台与(とよ)」の時代のもの、
ということなんですね
コメント欄で 忍び駒さまにからかわれましたが
本当に私「記紀」が 大好きなんです
読むものないと「日本書紀」とか「続日本紀」あたりを読んでますよ
そして 日本の祭り・歳事をやる場合 やはり基本はここよ!
とも 思うんですが とっつきにくいですか?
今は 口語訳もありますし まずは読んでみませんか
おもしろくて はまるぞー ^^p
 
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-30 15:23 | 古代 | Comments(4)

玉せせり 博多 筥崎宮

今朝は 寒かったですねー
早朝 二階で洗濯物干してたら 富士山がきれいに見えました
う~ん 得した気分だなっ!
その上 大学時代からの友人が「ブログわかりやすくておもしろいね」
と メールくれたので 今日も張り切って書いちゃうかなっ!
f0122653_12225837.jpg

はーい 九州は博多の筥崎(はこざき)宮 ↑ 立派ですねー
宇佐八幡・石清水八幡と並び 三大八幡宮の一つだそうです
博多と言えば 去年の大河 黒田官兵衛
一の鳥居は 官兵衛長政の寄進だそうですよ
お宮自体は 醍醐天皇の神勅で 923年に遷座したもの
縦書きの額には「敵国降伏」とあり この門を「払敵門」といいます
八幡なので 9月に行われる「放生会」も有名ですが
1月3日に行われる玉取祭 別名「玉せせり」も 大盛況です
f0122653_12424587.jpg← これもふんどし姿ですね!
あ、ふんどしじゃなくて「締め込み姿」と言わなきゃダメね
この玉せせり 浜側 陸(おか)側に分かれた男たちが
陰陽二つの玉のうち「陽」の玉をを奪い合い 本殿で待つ神官に手渡すという行事
浜側が勝てば豊漁で 陸側が勝てば豊作なんですね

f0122653_13105320.jpgせせり・・・は競る、触ると言った意味で この玉に触れると 厄除け・招福のご利益があります
この玉 木製で直径28cm
8kgの重さです →
そう言えば この行事なんとなく十日戎の福男と似た感じしませんか?
あちらは男性が走って 一番に着いたものが福男ですが これも神官が受け止める形でしたね
実は この玉せせりも もともとは 末社・玉取恵比須のお祭りだったようなのです
この地方では 町ごとの恵比須社に
それぞれ この木の玉が伝わっていて 昔は どこでも行われていた
おなじみの祭りだったのですね
九州は いまだ行ったことのないあこがれの地です
知らない祭りや風俗が いっぱいありそうですね
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-29 13:26 | 祭と歳事 | Comments(6)

ちゃっきらこ 海南神社

f0122653_17291067.jpgまたおもしろいの見つけましたので上げますね
これは神奈川三浦市三崎 海南神社で 小正月に行われる「ちゃっきらこ」
だいたい幼稚園の5,6才児から小六・12才までの女の子だけで行う「舞」なのですね
手に持つ五色の短冊と鈴がついた綾竹
これを「ちゃっきらこ」といい 唄のタイトルともなっています
しかし これだけでなく「初いせ」「二本踊り」(扇を二本持つ)「よささ節」「鎌倉節」
f0122653_17422640.jpg「伊勢参り」など全6曲を 楽器を使わず 
年配女性の素唄だけで舞い 
一部掛け合いのような部分もあります
今はYou-tubeでも 見れちゃいます 
かわいいですねー
国指定の重要無形民俗文化財でもあり
2009年にはユネスコの無形文化遺産にもなりました
江戸時代にはすでにあったということですが この海南神社の縁起がすごくおもしろいのですよ
主祭神が 藤原資盈(すけみつ)とその妻・盈渡(みつわたり)姫
この資盈さんは あの藤原広嗣の4代の孫
九州の太宰府で乱を起こした人ね
そしてこの人も 清和天皇の代に 伴善男に従わなかったため 博多から脱出
筑紫に向け 妻や従者と船出したところ 嵐にあい流されて 
この三浦半島にたどりついたのだそうです
貞観6年といいますから 864年のことですね
この辺の事は 土地の豪族だった香能連(かのれ)氏の文書にあるそうです
この人 とてもいい人だったらしく 房総の海賊たちと戦ったり 
文化を伝えたりと 土地の人々に非常に慕われ 二年ほどで亡くなると 
皆がその遺徳をしのんで お堂を建てたそうです
それが この海南神社
ちゃっきらこは 妻の盈渡姫が 里の娘たちに教えたと伝わります
f0122653_18134641.jpgこの踊り 途中でお着替えして 
龍神様にも奉納します
資盈一行は 従者も含め 同じ時に亡くなったらしく それぞれが 神として祀られてるみたい・・・
この辺ちょっと 落ち武者伝説を連想させますねー
房総の館山近辺に 船越鉈切(なたきり)神社というのがあるんですが
これの向いにもう一つ 海南刀切と書いて「なたきり」という同名の神社が あります 
実はこの海南刀切神社は 資盈の子・資豊が 一人流れ着いたところ、と 言われています
おもしろいですねー 
千葉在住の方 知ってましたか? 写真だとずいぶん由緒ありげな
彫刻の素敵なお堂なんですが 近くの方 知ってたら教えてね
 
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-28 18:26 | 祭と歳事 | Comments(4)

奈良 若草山 山焼きと牛墓

正月の祭礼・歳事 できるだけ書きたいと思っていましたが もう27日ね!
とりあえず 先日土曜日にあったという「若草山焼き」いってみましょう
知り合いのブログで読んで ちょっと調べてみましたよ
f0122653_16362266.jpg← はい こんな感じね
夜にやるようになったのは 
明治33年からのようですよ
今は 花火の打ち上げもあって 観光行事化してきましたね
「野焼き」なら そりゃあ昔は
昼間にやるのが当たり前なのでしょう
ただし由来はいろいろあるようで
東大寺と興福寺の領地争い説と
いうのもあります

f0122653_1644963.jpg

f0122653_1705245.jpgちょっと 地図を出してみましょう
若草山は 江戸時代には 葛尾山 九折山 と表記し「つづらやま」と呼ばれていました
標高342m 33haの三層になった山です
頂上には 5世紀のものと思われる前方後円墳があり 江戸時代には これが仁徳皇后の墓と比定され 枕草子に載る「うぐいすのみささぎ」と 思われていたのですね
← この碑「鶯陵」は 享保13年(1733)
東大寺の僧侶が 建てたものだそうです
実際には 誰のものか わからないわけですね
さて この碑の他に この山の二層目には「牛墓」と呼ばれる碑がありました
現在 麓の野上神社にあるものがそれで 地蔵の姿と
「南無春日大明神 天文十九 六月 好渕敬白」と 彫ってあったもの
天文19年は 1550年ですから 戦国期 興福寺の僧が建てたものだそうですが
これが何故「牛墓」と呼ばれたのか よくわからないのですよね
二層目にあったものが 何故ふもとの神社にあるかというと
江戸・宝暦の頃 この石・・というか岩? 誰かが 谷底に転落させた
といううわさがあるのですね 変な話でしょ?
それについてこんな話もあるのです
江戸中期 奈良の町医・村井古道の書いた「南都年中行事」からです

 この山(若草山)を焼かざる時は 牛鬼という妖怪出るという
 これより 正月丑の日に放火すといえど 近年元旦より三日をへず是を放火す
 往古より誰人その事を掌るということもなし 
 毎春 行人など放火すと見えたり


どうです? この辺りから「牛墓」に結びついたのかしら?
江戸時代になると この山は幕領になったそうです
そして 誰がやるというわけでなく いわゆる不詳の人によって
毎年 三が日の内に 山は燃え上がったというわけなんですねー 
この落っこちた、か 落とされた石が 掘り出されて
野上神社に置かれたのは 明治33年になってからだそうです
じゃあそれまでは 落っこちて埋まったまま ってことですよね
この「牛墓」 いくら検索しても 画像が出ません 見たいのに~・・・
なんででしょう? 牛鬼が出るから? うわー もっと見たい!
ともかく この毎年の放火=山焼きのおかげで
若草山に生える草は 日本特有の「野芝」という固有種だそうですよ 
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-27 17:42 | 祭と歳事 | Comments(6)

なまはげの危機!

f0122653_1246924.jpg先日 ニュースで「なまはげ」が 絶えてしまいそう・・・
と聞きました
全国的に少子・高齢化 そのうえ なまはげが家に入ると
饗応やら 後かたづけが大変なので 敬遠されるのだ
そうです
もう伝統芸能の一種として のこるしかないのかしら?
ちょっと さびしいですね
私高校の修学旅行が東北で これは当時の校長先生が
東北出身だからのようですが この時「なまはげ」が
宿に来ましてね いや~ 怖かった! 
「いい子にしてますぅ」と泣きながら
逃げ惑う女子高生集団に なまはげもびっくりしたことでしょう
この「なまはげ」 男鹿の小正月の行事です

f0122653_1302250.jpgそしてこちらは 石川県門前町で続く
「あまめはぎ」 →
ずーっと火のそばにいると 手足にあざや火ぶくれができます
これを「あまめ」といい 怠け者のしるし
これを はぎとりにくるのが「あまめはぎ」ですね
なまはげも 「なまめはぎ」がなまったものと言われてます
門前町では 1月6日に 今も続いていますよ
三陸の大船渡・吉浜では「すねか」といいます
やはり脛(すね)の皮をはぎとりにくる怖いもの
これは今も 小正月の行事です
吉浜の「すねか」は 土地柄か アワビの殻をつけてきます
これがガラガラと鳴る音が 出現の合図なんですねー
うわー これも怖そうですね
昨日 TVで 屋久島に渋谷のギャルが交換留学・・って言うのを見てたら
島の行事で「としんかみさん」というのをやってました
これ東北のなまはげとそっくりなんですよ
「歳神さん」という意味でしょうね 
ということは大みそかの行事なのかな?
こちらでは集落のつながりが強いせいでしょう
今も 家に上がって 子供を脅かしまくるシチュエイションで
お供の人たちも 壁をたたいたり カンカンを鳴らしたり
協力して 雰囲気を盛り上げてました
ありゃ~ 怖いだろ…と思いましたよ
北から 南まで 同じ習俗が残っているって おもしろいですね
東京には なくてよかった・・・!
こたつで ブログ打ってばっかりの私は きっとなまはげたちに
手足の皮 全部 むかれそうだもの・・・
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-26 13:19 | 祭と歳事 | Comments(2)

鳥追祭とかまくら

少し時間があるので 今日も上げときましょ!
先日 忍び駒様(1級仲間・・・というか先生です)から
正月は 15日の最初の満月を「望正月」として 古来からの行事は
この「小正月」に多く 残ってるんですよ・・と 教えていただきました
へー、そーなんだー・・・と思って 調べてみると ホントにたっくさんあります
その一つで 鳥追まつりというのもありますね
しかしこれ 都市部ではほとんど絶えましたので 私など全くなじみがないです
元より 東日本に多く 関東では北関東に集中しています
群馬・長野では まだ続いていますねー
f0122653_17582498.jpg← これは群馬・中之条で続く
鳥追祭り
太鼓で 鳥を追うわけですね
田畑を荒らす鳥を追い その年の五穀豊穣を祈る・・・という本来の形に近いのでしょう
しかし地方によっては これが子供主体の祭りになっているところもあります
「鳥追小屋」 これは藁や正月の飾り物などで作る所もあり


そこに子供が集まって 鳥追唄を歌ったり 村内を拍子木を打って歩いたり
最後にこの小屋を 燃やす場合は 左義長にその起源があるからと言われています
f0122653_18132626.jpg豪雪地帯では 雪でこの小屋を作り 鳥追洞 ほんやら洞 とも呼びます
写真は 秋田・六郷の鳥追小屋で →
屋根部分をむしろにしていますが 
「かまくら」と ほとんど変わりませんね
六郷では この前で 南北両軍に分かれて「竹打ち」をして その年の実りを占います
この地方では それぞれの「鳥追唄」を
覚えておられる方もたくさんいるようですよ
魚沼に伝わる鳥追唄 一つ上げときましょう

  おらが いっち憎い鳥は どう(とき)と鷺と子すずめ
  追って給われ 田の神 ほーい ほーい
  佐渡島へ ほーい ほーい


どう=トキは 現在「ニッポニア・ニッポン」の学名がついた日本の固有種
今では 追われるどころか 保護されてますね

 
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-23 18:34 | 祭と歳事 | Comments(4)

大宰府天満宮 鷽替えと鬼すべ

f0122653_10344847.jpgはい、ちゃっちゃと進みます
病気や 他用でお休みすることも多かったので 今年はできる時はバンバン上げていきます
← きれいな鳥さんですね
これが「鷽(うそ)」です
スズメ科なんですって
大宰府天満宮の鷽替えご存知ですね
あれのモデルは この鳥さんです

f0122653_10395718.jpgほら、こーゆーの →
これを 取り換えっこするのが鷽替えです
江戸の亀戸天満宮でも 行いました
去年の厄を 嘘にして 新しい年の厄除けとするのですね
江戸では たもとに入れた鷽を こっそりと抜いて
自分のと取り換える・・・というおもしろいやり方でしたが これどうも スリも活躍しちゃうし いたずら者も出たりして 結局は 新しく買い替える形に
なったそうです
大宰府の「鷽替え」は 1月7日
今でも暗闇の中で 手渡し交換するようですよ
f0122653_1048168.jpg

この日 鷽替えの後に行われるのが「鬼すべ」です
以下は 大宰府天満宮のHPから

「鬼すべ神事」は、寛和2年(986)道真公の曾孫にあたる大宰大弐 菅原輔正(すがわら すけまさ)によって始められたと伝えられています。
当宮の氏子奉仕者およそ300人が鬼を退治する「燻手(すべて)」と鬼を守る「鬼警固」、そして「鬼係」に分かれ、炎の攻防戦が繰り広げられます。
21時頃、鬼すべ堂前に積まれた松葉や藁に、御本殿で起こされお祓いされた御神火で
火がつけられると、一瞬にして炎と煙が夜空を焦がします。
すかさず「燻手」が大団扇で煙を 鬼すべ堂へ送り込み、鬼を追い出そうとします。
それに対し、「鬼警固」は堂の板壁を打ち破り、堂内の煙を外に出して鬼を守ります。
板壁が破られると荒縄で48ヵ所を縛られた鬼は、「鬼係」に囲まれて堂内を七回半、
堂外を三回半まわります。
堂内では神職が、堂外では氏子会長が一周ごとに、鬼に向かって煎り豆を投げ、
卯杖(うづえ)で打ち、鬼を退治した後、火の祭典「鬼すべ神事」は幕を閉じます。
燃え残った板壁は「火除けのお守り」としての信仰があり、持ち帰って
玄関先に飾る風習があります


どうやら節分の「鬼やらい」と同じようですね
ただ こちらは鬼の警護役もいる
そして 攻撃方は 「燻して」鬼を追い出すというのが珍しいかも

地方によって祭りもいろいろですね
調べているうちに だんだん おもしろくなってきましたよ
あなたは どうかな?
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-22 10:58 | 祭と歳事 | Comments(2)

四天王寺 どやどや

f0122653_13572439.jpg昨日は大寒でしたねー
でも今日の方が寒いよ~ ぶるぶる
こんな寒い中 行われるのが裸祭り
古来「寒稽古」「寒詣」のように
寒中に行うと 鍛練となり 功徳が増すという考え方は 万国共通なんでしょうか
日本よりずーっと寒かろ・・と思う国でも 寒中水泳やってますよね
ロシアや 北ヨーロッパでも やってました
日本では とくに年明けに集中しています
元旦は 上野間(愛知・美浜町)の裸参り
七日は 福島・柳津の七日堂裸参り
盛岡では 12日に不退虚空蔵堂 裸参り など
f0122653_1433520.gif上の写真は 大阪・四天王寺 
六時堂の「どやどや」です
元旦から14日まで 六時堂→
で続く法要の後 牛王法印を捲き 
これを奪い合ったのが「どやどや」の起源
文字通り どやどやと大勢の人が集まったのだそうです
江戸時代の「摂津名所図会」にも載ってますよ
現在は 地元の小中高の男子が 恒例行事として参加しています
千人を越えるふんどし若衆 壮観でしょーねー 
ちょっと見てみたいですね
あ、ぴちぴちのふんどし少年ではなく 元和9年(1623)再建の
重要文化財 六時堂の方ですよ もちろん! 
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-21 14:14 | 祭と歳事 | Comments(0)

左義長のこと 

f0122653_1325305.jpg← はい こういうの何て言います?
地方によって 呼び方いろいろあるようですが
左義長か どんど焼きが 一般的かしら
基本は お正月の松飾りなどを 小正月(十五日
前後の三日間)に焼く行事であり 火祭の性格を
持ち 大磯の「さいのかみさん」のように道祖神=
塞の神の祭 
また歳神を送る「送り火」という性格もあるようです
小正月に行う火祭=左義長 という広い意味なんですね
江戸では ご存知の通り 火事が多かったので 
初期の内に禁止され 都内で続く所は 少ない行事でもあります
地方のものも 陰暦から 太陽暦に変わったため 
また成人式とぶつからないようにずらしたりしたところもありますので 近年では必ずしも小正月だけとはかぎりません
近江八幡の信長も躍ったという左義長まつりは 三月に行われますね
さて「左義長」の意味ですが これは江戸からの当て字でして
元は 宮中の行事「打毬」(だきゅう・うちまり)に使うバット=毬杖(ぎじょう)を 
三本焼いた事から 「三毬杖」→「さぎちょう」となったそうです
この「打毬」は ヨーロッパで「ポロ」となったのと同根の 馬に乗ってボールを打ち 
門をくぐらすという正月の競技
それで こわれた毬杖を 清涼殿の東庭で 青竹を組んで焼いたのだそうですよ
陰陽師の仕切りで 舞い踊ったというなかなか優雅な祭り

f0122653_13593178.jpg重要無形文化財の 神奈川県大磯の左義長は 保存会のおかげで 何とか続いています
近江八幡の方は 毎年 干支にちなんだ山車 それも農産物・食物だけで作ったものを
町ごとに出し 競い合うというもの →
昔は 信長に因んで 女装した若衆が 山車を引いたそうですよ
今はどうなのかなー?
ちょっと見てみたいですよねー
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-20 14:03 | 祭と歳事 | Comments(6)

正月の祭のこと

今年の江戸検・お題は「祭りだ わっしょい!」ですから
当然 このブログも そっちよりになります
お題に合わせて 私個人も お勉強進めて行くというスタンスなんで
苦手な 寺社・宗教関係 なんとか克服していきたいですねー
一級仲間の方々は 当然!と言っていいくらい 皆さん お詳しいので
いろいろ助けて頂きたい!と 思って期待しておりますよ よろしく~^^/
f0122653_17133854.jpg

さて 第一回は やっぱり ↑ これでしょー 「十日戎(えびす)」
毎年 TVのニュースで 爆走する男たち 見ますよねー 
参道を駆け抜けて 一番最初に待ち構える神人に受け止められると 
その年の福男となります
えびすは 恵比須 恵比寿 夷 胡 蛭子 とも表記されます
祭神は 大きく分けて二つ 蛭子(ヒルコ)と 事代主(コトシロヌシ)大神
神戸の西宮神社が ヒルコ系の本社
大阪の今宮神社が コトシロヌシ系の本社です
こんなところから 調べて行くと おもしろいですよ
古事記に出てくるイザナギ・イザナミの最初の子「ヒルコ」は
完全な子ではなく 海に流されてしまいますね
流されたものは いずれどこかに流れ着く・・というのが島国の考え方
これが西宮に流れ着いて 蛭子(えびす)さまと なるわけですねー
流れ寄る神 漂着神 来訪神 「寄り神」とも言われます
海の彼方=とつくに から訪れる神 
昔は 鯨もえびすとよばれ 水死体もえびすと呼ばれました
どちらも 大漁をもたらす吉兆だったのですね
日本書紀では 三番目の子がヒルコで これがえびす三郎殿と呼ばれる元であるとか
調べてみるといろいろ おもしろいので ググってみてね
f0122653_17341589.jpg

もう一つ ↑ 今日TVでやっていた野沢の道祖神祭り
こちらは 松明を持って たたき合うという かなりワイルド系
厄年を迎える男たちが 攻めよせるその他大勢と戦う形で行われるとか
こちらも江戸時代から続く 小正月に行われてきた奇祭です

興味を持って 見てみると たくさんあるんですね
地方の方々 ウチの方ではこんなのあるよ!という情報も お待ちしています
手を取り合って 今年も江戸検に向けて ぼちぼちやっていきましょーねー^^/
[PR]

by tukitodoraneko | 2015-01-19 17:44 | 祭と歳事 | Comments(2)