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軍師官兵衛

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さて そろそろ来年の大河の下準備など・・・
1月5日 放送開始だそうですね
今回は 戦国から江戸初期までなので一応 守備範囲です
主役・黒田官兵衛(岡田准一・V6)のこと ざっと書いておきましょうね
産まれたのは天文15年(1546)
姫路城代家老・黒田職隆(もとたか)の嫡男で 幼名は万吉
通称・官兵衛 諱が孝高(よしたか) 
クリスチャンとしての洗礼名は ドン・シメオンです
私は最初に 隠居後の号・如水(じょすい)で覚えたので
今も「黒田如水」が 一番ぴったりな感じがします
万吉が産まれた年 織田信長は12才
秀吉は9才で 家康はたった4才でした
この年の差が 大きな意味を持ってきますね
この誰もが知る三人の 個性もバラバラなビックネーム
官兵衛は この三人の間を「水の如く」流れ
戦国の世を 増水決壊することも 枯れることもなく
みごとに渡り切ったのですね
祖父の代で 播磨に流れ着いた一族を 明治まで続く大名にまで押し上げたのは 
黒田如水の傑出したバランス感によるものと 私は思うのですが
あなたはどうかな?
 
では今日はこの辺で・・・
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by tukitodoraneko | 2013-12-28 10:13 | 大河ドラマ | Comments(3)

嘉例の煤掃き

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「冬の宿 嘉例のすすはき」三代豊国です
10月過ぎから ほとんどブログ休んで 本業をやらせて頂いていました
本業は 主婦業と家人の補佐なんですが ちょうど「節目」なんでしょうか
たまり過ぎてて限界に達し もうPCの前に座ってる時間もないのですね
たまに時間ができても「江戸」のこと書くのは やはり史料を確認しないと
いい加減には書けませんので ついついご無沙汰してしまってます
まだまだまだ やること山積みですので 前のようなペースに戻るのは
そうとう先になるかと思います
日記ブログの方も すっかりお休みしちゃってて 死んだかと思われそう・・・
元気は元気なんですよ
ただ寄る年波で だんだんあちこち傷んで来ています
家も私も 経年変化…ってやつ?
江戸の大掃除は 12月13日に日が決まっていましたので
「十三日節句」とも言われていました
「煤掃き(すすはき)」ともいいますね
この時 食べるのは箸のいらないもの おにぎりや おはぎなどです
私も お昼はおにぎり食べて すぐに掃除に戻りますよ

「冬の家 加齢のすすはき」 月猫でした
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by tukitodoraneko | 2013-12-25 14:06 | よしなしごと | Comments(0)

イヴはひとりで・・・

f0122653_1048546.jpg Happy Noel!
と言っても お家に一人だけどね・・・
子供は出はらい 家人は役員忘年会だそうです
イヴに・・・!?
つまり我が家のサンタさんは不在ってわけね
ネコと二人で 正月用食料を解凍して 食いつくしてやろうかと検討中
もしくは 炭酸飲料(シャンパン含む)のフタ全部開けちゃうとか 
Amazonで自分用に高価なプレゼント買っちゃうとか いろいろ考えたんだけど 
穏当なところで三丁目のオカマバーでイヴをすごすのはどうかしら?
あそこならいつでも歓迎されるし 自分より大変そうなオネエの方々の
人生相談しながら しんみりすごすイヴもいいかも・・・
でも あの人たちの相談って 最終的には「子供が産みたい」とか
ムチャなこと言うからなあ~
f0122653_1821060.jpgどうぞサンタさん 彼女たちにかわいい子供を!
そして私には もっとカニを(7Lのポーションで!)
ネコには ペット用ゴージャスベッドを お願いしますね

ではまた!
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by tukitodoraneko | 2013-12-24 18:03 | よしなしごと | Comments(2)

江戸検 来年のお題

江戸検定の来年のお題は「江戸の食文化~舌と胃袋で見直す現代人のルーツ」だそうですよ
今年の「忠臣蔵」私はイマイチ興味持てなかったので来年は 楽しみです 
主婦業ともかぶるし 得意分野かも・・・
今年はユネスコの無形文化遺産に「和食」が 選ばれましたしタイムリーですね
「食文化」の本は結構出てますので おいおい紹介していきましょう
と、いうことで 第一弾!
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f0122653_1249572.jpg昨日の新聞に載ってた「八丁味噌」ですよ
八丁味噌の「八丁」って どこから
八丁(約870m)か知ってました?
そう!岡崎城から八丁ってことなんですねー
ここは元から東海道と矢作川が合流する河岸があり 物流が盛んな地だったのですね
今も老舗の二軒が 旧東海道の往還をはさんで 昔ながらの味噌造りを続けています
一つの桶で6tの味噌が 3tの石を積まれ 二夏二冬かけて熟成されます
味噌の種類は大まかに分けて米・麦・大豆がありますが
八丁味噌の原料は大豆
蒸した大豆を 子供の握りこぶし大に丸め 麹(こうじ)菌をまぶして繁殖させ
これを塩と水といっしょに樽に仕込むそうですよ
f0122653_1259117.jpg味噌カツや味噌煮込みうどんも この八丁味噌あればこそ 他にも味噌まんじゅう 味噌ソフトにシュークリーム なんでもあるんだけど不二家の「カントリーマアム」には 味噌キャラメルってのもあるんですよ →
東照紳君=家康公も 携帯食料とし「味噌玉」持ってましたよね
私のおススメは 名古屋の人に教わったねぎ味噌揚げ
天ぷらの衣に 八丁味噌を溶き そこにぶつ切りのネギをこれでもかって入れて揚げるだけ
簡単なのに 香ばしくて甘みもあって 日本酒が止まらなくなること請け合いです!
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by tukitodoraneko | 2013-12-19 13:19 | 江戸の食文化 | Comments(8)

江戸検忘年会

f0122653_12364465.jpg先週の土曜日 江戸検一級会の忘年会が新橋の「2代豊国」で行われました
今年はまだ顔合わせてませんが これまでの一級合格者は1期から昨年の6期までおります
忘年会は各期の方も見えて なかなか楽しいですよ
昨年の一名だけの合格者の方もいらっしゃいました 優秀な方ですねー
私今受験したらきっと落っこちるでしょう
いつも書いてるように ロンドンから江戸に転向した私は この方々の間に入ると「落ちこぼれ」です
だから「忘年会」と言っても ぎゃいぎゃい飲んでればいいわけじゃないのね
いろんな質問されて 答えなきゃいけないの
こないだはまず「天皇の名前 全部言える?」ってのがありましたねー
速攻でNO!です
日本書紀から日本後紀まで読んでますが 丸暗記は無理です
時々 平成も何年だったか 忘れるくらいですな
次は「信濃に接している国10ヶ国を30秒以内に言って!」というのもありましたよ
スマホに変えてから「旧国名パズル」にはまってます
最近やっと慣れてきて早くなってますが 順位はまだ40位くらいかな?
でも急にきかれるとオタオタして 全然出てきません!
もう一つは「亀井坊って知ってますか?」というものでした
これ 知ってる? 私は聞いたことはあったんですけどねー
僧坊の名前にもありますし 義経の四天王にもいましたよね
翌日になって 思い出したんだけど 江戸幕府の「御小人」の役職名でした
でも 何故「亀井坊」と称したのかはまだ謎です
こんなことを酒のつまみにする江戸検の忘年会って 怖いでしょー?
でもホントに役に立つことばかり教えてもらえますよ
そのうえ 欲しかった本を下さったり
財布を忘れ 無一文で忘年会に来たサザエさんのような私に 
大枚をお貸しくださる親切な方々です
今年合格の方も 来年の忘年会にはぜひ参加してくださいねー
(そして 無知な私に助太刀を!)
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by tukitodoraneko | 2013-12-16 13:07 | 江戸文化歴史検定 | Comments(2)

八重の桜 最終回「いつの日も花は咲く」

f0122653_17385368.jpg最終回ですね
八重さんは 看護婦として日清・日露戦争に貢献したとして 明治29年には勲七等宝冠章 
39年には勲六等宝冠章を頂いています
襄の死後も「新島旧邸」に一人暮らしていたと
いいます
当時 この家の周りは 他の家もなく 人通りもなく「昼でも怖いようなところ」だったそうですが
「戦争上がりのお転婆娘」を自称する八重さんは
時には泥棒を撃退したりしながら ここで晩年をすごしました
このころには「茶道」にはまり 自宅に茶室「寂中庵」を造り 裏千家家元・千宋室から「宋竹」という名前を頂いて師範として教えることもありました
毎週土曜日には 建仁寺の住職らと茶会を開催し お茶道具もだいぶ買い込んだという事ですよ
なんでもはまるとトコトン熱中する八重さんらしいですね
昭和3年(1928)明治維新そして戊辰戦争から60年たったこの年 
会津人にとっては 喜ぶべき大事件が起こります
松平容保の孫娘(恒雄の娘)節子(後・勢津子)と
昭和天皇の弟君・秩父宮との婚儀が 発表されたのですね
節子が 皇室入りすることで 長い間 朝敵扱いされてきた会津は
その汚名を晴らし 名誉挽回が叶ったという事ですね
勢津子妃が 先祖への報告に里帰りした時には盛大な祝賀行事が行われ
会津の人々は それはそれは 喜んだのですねー
八重さんは この時 84才
「いくとせか みねにかかれる村雲の はれて嬉しき光をそみる」
という歌を詠んで 喜びました
しかし その一方 長い長い60年だったのでしょう
「六十とせの むかしをかたる友もなく あはれさみしき こほろきの声」
こう詠んでから数年後の昭和7年 
八重さんは なつかしい襄と 会津の人々のもとへ旅立ちました

一年間 ありがとうございました
来年の大河 「黒田官兵衛」も またよろしくお願いします
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by tukitodoraneko | 2013-12-15 18:21 | 大河ドラマ | Comments(2)

八重の桜 第49回「再び戦を学ばず」

新島襄が亡くなった時 八重は44才
この後 40年間 未亡人として生きて行くことになります
襄の死後 明治25年には 兄・覚馬も亡くなります
そしてその翌年には 松平容保も小石川の自宅で亡くなりました
f0122653_10264321.jpg肺炎 59才でした
八・一八の政変の後 孝明天皇から下賜された宸翰(しんかん=直筆の手紙)と御製(天皇の歌)を竹筒に入れ 死ぬまで身に着けていたそうです 



ご宸翰「堂上以下 暴論をつらね 不正の処置増長につき 痛心堪え難く 内命を下せしところ
速やかに領掌し 憂患をはらってくれ 朕の存念貫徹の段 全くその方の忠誠 深く感悦の
余り 右一箱これを遣わすものなり」    文久3年十月九日」
御製 たやすからざる世に 武士(もののふ)の忠誠の心をよろこびてよめる
    「和(やわ)らくも たけき心も相生の まつの落葉の あらす栄へん」
    「武士(もののふ)と心あはしていはほをも 貫きてまし 世々の思ひて」
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日清戦争の頃の八重さんです 50才くらいですね
あのせつない会津戦争を知る者たちは 次々に亡くなり
内戦こそ納まったものの これから日本は 中国・ロシアとの
そしてやがて太平洋戦争へと いくつもの戦争を引き起こしていきます
八重は 襄の死後たった3カ月で日本赤十字社に入社し
この戦いの時代を 看護活動に従事して過ごします

もうあと2回ですね
今年の大河どうだったでしょうか
感想など 聞かせてくださいね
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by tukitodoraneko | 2013-12-07 10:43 | 大河ドラマ | Comments(2)

八重の桜 第48回「グッバイ また会わん」

f0122653_1513140.jpg48回にして 新島襄 亡くなりましたね
46才11カ月でした 若いですね
結婚生活は14年あまりです
有名な「遺書」は 亡くなる二日前に
徳富蘇峰が書きとったもの
他にも 勝海舟や大隈重信 伊藤博文にも
手紙を残しています
とっても多筆な人だったので 病中からも
たくさんの手紙を出していたのでしょうね
前年(明治22年)募金運動中 前橋で胃腸を患い
年末からは 神奈川の大磯の旅館で療養していました

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f0122653_1537726.jpg大磯の辺りは 当時の有名な保養地です
上の写真が 百足屋旅館
今は 徳富蘇峰の筆による「終焉の地」の碑が残るだけです
八重が 襄の危篤の電報を受け取ったのは 明治23年1月19日
次の日の早朝 京都を発った八重が 大磯についたのは
午後の11時でした
うわー この頃って 京都~大磯は遠かったんですねー
それから 二日ほど危篤状態が続き 23日の午前3時ころ
気がついた襄は 八重が泣いているのを見て
「狼狽するなかれ、グッバイ また会わん」
と 最後の言葉を残して 絶命したそうです
遺体は 翌日 京都に運ばれ 27日 同志社チャペルで告別式が行われました
柩を担いだのは わが子のように愛した同志社の学生たちでした

合掌・・・・じゃなくて アーメン
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by tukitodoraneko | 2013-12-01 15:38 | 大河ドラマ | Comments(0)