たまに更新するかも・・・


by tukitodoraneko
カレンダー

<   2013年 10月 ( 14 )   > この月の画像一覧

会津戦史

f0122653_15544578.jpg大山夫妻 もう結婚したかな?
晩年の夫妻の写真がありましたので
あげておきます
同時に 川崎尚之助が書き残した「会津戦史」
というのが 出てきたそうですね
これは 写本でも残ってるの?
それとも丸きり 嘘なの?
まだ放送 見てませんのでわかりませんな
しかし 大山夫妻の子供・次男の柏が書いた
「戊辰戦争史」というのは ありますよ
巌と捨松は 親子ほどに年が違いましたが
4人の子を成しています
長男・高は 海軍で船上爆発事故により
f0122653_16158100.jpg亡くなり 二男・柏があとを継ぎました
こんな人ですね →
写真のように 大山家の息子として 一時は軍人となるのですが 留学時 歴史や考古学に興味を持ち 結局 考古学者として 名を成します
この人が書いた「戊辰戦争史」
会津籠城戦のことも書かれていて 興味深いのですが 
古本でさがしても クソ高いので手が出ませんでした
近代ライブラリにも ないしね
会津の母と 薩摩の父の間に生まれた子が
どんな風に 会津戦争を書いたのか
とーっても 気になりますよね
尚之助が書いた(?)ものより こっちが読みたいです
ちなみに この本以外では 沖縄の貝塚発掘の本を書いてます
おもしろい組み合わせですね

P.S まだ 家にはおりません
    11月10日ころ 帰宅予定です
    メールは見ています
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-28 17:00 | 大河ドラマ
f0122653_15502043.jpg今回は 大山捨松の帰国と鹿鳴館ですね
明治4年 11才でアメリカ留学した捨松が
明治15年の暮れ 22才で帰国します
最強の帰国子女ですねー!
彼女より年上だと 環境の激変に耐えられず
また もっと年下だと 津田梅子のように
日本語をほとんど忘れるという難点があったのですね
捨松の場合も 漢字は読めず 日常会話も2,3か月で 
何とか取り戻すという感じ
まあ10代を 海外で過ごしたら そういうことになるんですね
しかし この翌年 鹿鳴館ができます
f0122653_15581995.jpg

ご存知 井上馨外相の鹿鳴館外交が
花開きますよ
とにかく洋化政策全盛の時
お抱え建築家のジョサイア・コンドルに
作らせたこの建物
名前は「詩経」からとって「鹿鳴」は
「おもてなし」の意味だそうですよ
「お・も・て・な・し」
今も昔も 変わらないってことですか
f0122653_16113447.jpg

場所は元薩摩藩邸 装束屋敷跡地で 帝国ホテルの隣にありました
しかしこれ 「軽佻浮薄な無駄使い」と 日本人にも評判悪く 
外人からすると「安っぽいカジノみたい」と これもあまり評判良くなくて 
結局 5年間ほどで 井上馨の辞職と共に はかなく幕を閉じました
後には 宮内省が買い取り 華族会館などに使われたり
昭和15年に取り壊されるまで 一応建物はありました
英語オンリーの「東京倶楽部」があったのもここですね
上の浮世絵の頃が 捨松が活躍した全盛期でしょう
江戸東京博物館に 模型がありますのでご覧になってください
そして「明治の滝川クリステル」捨松のことも 覚えていてね 
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-27 12:00 | 大河ドラマ
今回は 明治15年(1882)八重の会津帰還がテーマのようです
回想シーンばっかりの回かな?
ま、見れないので仕方ない  板垣退助の事でも書いときましょう
f0122653_156228.jpg私世代はかろうじて
知ってます「百円札」
このインパクトある
お髭 覚えてます
さすがに都内ではもう流通してませんでしたが 小学校時代まで 地方に旅行すると 
おつりでもらえて感激しました
f0122653_1592941.jpg明治15年「岐阜事件」の頃は こんなお顔 44,5才です
この年4月6 日 岐阜遊説中の板垣は 保守派の小学校教員
相原尚褧(なおぶみ)に襲撃されます
当時は自由民権運動が 最も活発だった時期
反対派も 多かったわけですね
板垣は 幸いに軽傷で済み 犯人相原も 板垣の口添えで釈放されますが
この人は7年後 北海道に植民に渡る船中から失踪
今に至るも行方不明という おっかない事実もあります
どんなことが 彼の身に・・・・
板垣退助は 大正8年(1919)82才まで存命でした
お墓は 現 品川神社の裏手に「乾家墓域」として残っていて 町歩きの方々にとっては 有名スポットですね
ここには「岐阜事件」の時の言葉とされる
「板垣死すとも 自由は死なず」の石碑もあります
この石碑の字は佐藤栄作ですね
高台にある閑静な墓域ですので ぜひ一度 行ってみてください 


(以上 パソコン故障のため 予約であがりませんでした
 遅れてすみませんが 子猫にあげてもらいました)
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-26 15:23 | 江戸文化歴史検定

旅行中

都合により ただいま 旅行中です
時々 予約投稿の記事があがると思いますが
二~三週間ほど 家を空けています
コメントとメールは 読めますが
お返事はできないかと・・・・

とりあえず お知らせを

月猫
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-18 15:23 | よしなしごと
f0122653_12373961.jpg「八重の桜」熊本バンドの一人
金森通倫(みちとも)のこと まだ書いてなかったですね
ちょっと「クドカン」に似た眉毛太い人がやってます
← ホントはこんな人です
襄によって 洗礼を受け 伝道師にもなりましたが
協会から離れたり 戻ったり 実業家になったり
救世軍に入ったり・・・と 千変万化な人生でした
晩年は 湘南の嶺山で 自然派生活
まるで穴居人のように 洞窟で暮らして 「今仙人」と
呼ばれる自由っぷりでした
結局 亡くなったのは福島・郡山でしたが
昭和20年 終戦の年まで生きてたんですねー 89才!
八重同様 江戸の安政から 明治・大正・昭和を 生き抜いた猛者です 
「自然派」・・・・ いいのかもしれない(?)
f0122653_12492854.jpgこの人の長男・太郎氏の娘は 石破二朗氏と結婚し 
茂(後の防衛大臣)を産みます
「アンパンマン」と親しまれた 石破茂氏は → 
通倫のひ孫にあたりますね
ひいじいちゃんが出てくる大河 見てるかしら?
どうなのかしら? それどころじゃないかしら?

お墓は 家の近くの多摩霊園です
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-14 12:56 | 大河ドラマ
f0122653_1453695.jpg左が 伊勢(横井)時雄の妹・みや
真ん中は 徳富兄弟の気の強い姉・初
右が 山本覚馬の娘・みね です
みねちゃん なかなか美人ですね
伊勢時雄(24才)と結婚したのは
まだ19才の時 
長男・平馬の出産後 亡くなってしまいますので 可哀そうなことでした
結局 実母うらとは 仙台で別れて以来
一度も会わなかったのですね
うらさんの記録は何も残っていないので
娘の死さえ 知らなかったのかもしれません
山本覚馬さんは この後 娘二人に先立たれて
しまいますね
山本家で最後まで残ったのは 八重以外には 母の佐久です 

f0122653_14211725.jpg会津女の底力 佐久から八重に受け継がれ 
そこで絶えてしまったのでしょうかね
薄命だった みねちゃん
もう一枚 洋装の写真がありましたので
出しておきましょう →
横井時雄とは 結局5年ほどの結婚生活
これは その間の写真でしょうか
時雄は 20代で妻を亡くした後
再婚 再々婚で 子供を作っていますので
みねの産んだ男子は 唯一の山本家の嫡男となりました

(忠臣蔵の答えは 当日ブログの下に書いておきました)
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-13 14:52 | 大河ドラマ

忠臣蔵 例題

f0122653_1332290.jpg← 芝居の方の大星由良之助です
山科閑居の時 島原帰りの大星は刺客の待ち伏せにあいますが 悠々と「謡」を唄いながら通り過ぎる大星に 刺客は気後れして 手が出せません
そして逆に刺客は 一刀の元に切り倒され 大星が「天晴れ 早右衛門!」と 
声をかけるという寸法
刺客を倒したのは寺岡平右衛門
足軽の寺坂吉衛門がモデルですね
こんな風に 芝居の役名は 微妙です
でも 心配しないで
47人は 全然出てきません
覚えるのは 浪士では5人くらいなので
「仮名手本忠臣蔵」で 検索して読んどいてください
一問くらいは 出そうな気がします
そこで 例題つくってみました


Q1 仮名手本忠臣蔵で 大星由良之助の妻の名は?

    (い) りく   (ろ) かほよ  (は) お石  (に) お軽

Q2 多門伝八郎は 何という役名で 出てくるでしょう?

    (い) 加古川本蔵  (ろ) 石堂右馬之丞  (は) 薬師寺治郎左衛門  
    (に) 千崎弥五郎

Q3 将軍綱吉に当たる人物も登場しますが この役名は?

   (い) 足利 忠義  (ろ) 足利 義直  (は) 足利 尊氏 (に) 足利 忠吉





答え Q1 (は)   Q2  (ろ)   Q3  (い) 
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-11 13:29 | 忠臣蔵

真実は時の娘

f0122653_12472885.jpg今日は すごく久しぶりに「ときどきロンドン」です
どうも江戸検1級受かってから 書きにくくなってますが 日曜の自己紹介で言った通り 家康より「リチャード三世」の方が なじみがあります
TVで発掘された骨の鑑定についてやってたそうですが どうやら本人のものらしいですね
発掘自体は去年の12月 地元のレスター大学が行ったのをナショナル・ジオグラフィックで読んでました
さて問題の「リチャードⅢ」ですが 
← この有名な肖像画ご存知ですよね
私はナショナル・ポートレイト・ギャラリーで 本物を始めてみた時 すごく小さいので びっくりしました
家にあるレプリカの方が 大きいくらい
f0122653_136481.jpgシェイクスピアは 彼を 甥殺しの大悪人に描きましたが 実際は どうだったのでしょう
リチャードによって 王位をはく奪され 以来行方不明の王子たち・・・
100年以上たってから ロンドン塔の階段の下から見つかった白骨遺体は この二人のものと言われてますが 特に調査は行われていません
上記の「時の娘」という本は 私が20代の頃 
読んだ本
入院中の警部が ベッド・ディテクティブとなって 肖像画の表情から 本当の事件の真相を追いかけて行く・・・という とてもおもしろいものでした
昨日 本棚から奇跡的に見つけ出し 今読み返しています
タイトルは「真実は時の娘」という警句から来ています
時がたてば 物事の真実が見えてくる…という
意味ですね
歴史は みんな そういうものなのかもしれません
ジョセフィン・テイ「時の娘」
懐かしい早川ポケットミステリです
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-08 13:43 | ロンドン

初めての座学

f0122653_1511162.jpg昨日の日曜日は 江戸検一級二期会の主催で 時代小説家の 大久保智弘氏をお招きして お話を伺いました
今回は 他の期の方もご一緒で 中には「京都検定一級」のお着物美人もいらっしゃって 普段と一味違う色どりがありましたなー
昨年の合格者の方とも 初めてお会いしました 楽しかったですよ
わたしたちは 合格年ごとに 分かれて活動してますが(主に人数の関係で)たまに一緒に忘年会したり 合格お祝いしたり・・・もとても楽しいです
今までは 常に強行軍の町歩き・・・!
(私がひそかに心の中で「行軍!」と思ってるやつ)が メインなのですが 
足の指も折れてることだし 座学で 良かったです
ただ 皆さんと違って「歴史小説」「時代小説」の読書量がゼロに近い私には
豚に真珠ですなー
どうも 実在の歴史上人物が出てくる小説は 苦手です
それが うまく書けていればいるほど 作家の書いた人物像を
鵜呑みにしてしまいそうで ダメなんですね
今まで読んだのって「鬼平犯科帳」くらい?
あれは 娯楽小説として 非常に面白く読めました
あと 岡本綺堂のもの 宮部みゆきくらいですかね~
私が これまで読んだその手の本のベスト3 書いときましょう

 1位 「文政11年のスパイ合戦」 秦新二 ・・・これはシーボルト事件に関するノンフィクション
                              46回 日本推理作家協会賞
                              
 2位 「江戸城の宮廷政治」 山本博文・・・・・・細川忠興・忠利親子の膨大な往復書簡から
                              書かれた歴史ノンフィクションです
 
 3位 「慶長大名物語」 二木謙一・・・・・・・・・・ねねの甥で日出藩主・木下延俊の日記から
                             慶長18年 大坂の陣の前年の小大名の生き様

こうして見ると どれも史料をもとにした歴史ノンフィクションですねー
とにかく おもしろくて 一気に読めたのは この三冊
あなたのベストは 何かしら・・・・?
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-07 15:34 | 江戸文化歴史検定
f0122653_14283331.jpgあー もう40回 
早いですねー
今回は 襄のパパ 新島民治(たみはる)初登場と
「自責の杖」事件ですね
新島民治は 安中藩の祐筆をつとめ
江戸藩邸(神田小川町)にいましたので
襄もここで生まれました
4人の娘の後に やっと生まれた長男です

↑ 今は 学士会館の敷地内に 「生誕の碑」があります
父・民治も 後に襄により クリスチャンになりますよ
もう一つ 同志社の危機 二年生の集団授業ボイコットが起こります
これは 習熟度別クラスを 一緒にしたために起こった上級クラスの反発です
この頃 襄は アメリカ資本からなんとか脱却しようとしてた頃
経費節減の上からは どうしても必要でしたが 生徒は反発
f0122653_14454627.jpg

↑ こういう「お伺い書」を出して みんなで 授業を休んじゃうのですね
この中には 新島公義=襄の甥(弟の養子)や津田元親(津田仙の息子)
徳富健次郎の名もありますね
これは何とか説得されて戻るのですが 今度は他の生徒が
「欠席組を 罰するべきだ」と もっともな主張をします 
板挟みの襄は 「全ては校長である自分の責任」と
自らの左手を杖が折れるまで打ち続けるというパフォーマンスで
何とか この危機を脱するのですねー
でも この後 徳富兄弟含め 多くの学生が退学して行ってしまいます
襄の苦難の時期ですねー
[PR]
by tukitodoraneko | 2013-10-06 12:00 | 大河ドラマ