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八重の桜 八重の幼なじみ

f0122653_1464340.jpgちょっとハマってますねー 会津藩に
何も知らなかったんで ゼロからの出発・・・!調べること多すぎて・・・
今日は 八重の幼なじみ 二人についてです
← お裁縫の先生の孫 高木時尾(貫地谷
しほり)は もう登場してますね
八重の一つ年下です
後に新撰組・斉藤一の後妻にはいる人ですね
斉藤は 最初の妻も会津藩からもらってます
f0122653_14143821.jpg斉藤一は藤田五郎と改名しますが 「藤田」の姓は 時尾の母方の姓でした
二人の仲人は 藩主・松平容保ですね
5才年下なんでまだ出てこない日向(ひなた)ユキ(剛力彩芽)→は 高木家のお隣さん
後に 薩摩藩士と結婚し 会津の地は二度と
踏まなかったといいます
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幕末の古地図で 三人のお家を見てみましょう
が「山本覚馬」 右が「高木盛之輔」三百石 左が「日向左衛門」四百石
確かに お隣同士ですね
近所で生まれた三人の女の子たちは これから会津戦争 明治維新という
激動の時代をそれぞれに乗り切って 波乱の人生を送るんですねー
山本家の右横にあるは 現在「山本覚馬・八重 生誕の地」の案内板が立っている所です
現・若松商業高校の南に当たるところですので 会津に行ったら 寄ってみてね
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by tukitodoraneko | 2013-01-30 14:38 | 大河ドラマ | Comments(2)

古川春英のこと

f0122653_1239322.jpg大河「八重の桜」に 覚馬の同僚として古川春英が出てきたので 補足しときましょう
ドラマの中で「適塾にいた」「帰藩が叶ってよかったな」などのセリフがありましたので推測がつくでしょうが この人は 覚馬と同い年で 会津生まれ
農家の出だったといいますが 医師を志し はじめ山内春瓏に学びます
やがて 漢方医学の限界を感じ 出藩して大坂の適塾・・・緒方洪庵に師事するのですね
会津藩で 蘭学所が開かれると聞くや帰藩
覚馬たちとともに 教授方になるのです
その後も 長崎に遊学し ボードウィンに師事しています
この長崎で 将軍御典医・松本良順とも知り合いになるのですね
二人とも 会津戦争の時には 城内でけが人の治療に当たります
この時も 最初に呼ばれたのは 松本良順
あまりのけが人の多さに 良順が
「会津には 古川春英という名医がいるではないか!?
 早く 古川先生を呼びなさい!」

と 叫んだと言う逸話が残っています
「宇都宮戦争」で 負傷した土方歳三の足首の鉄砲傷を治療したのも
この人ですよ
戦後 松本良順は 許されて陸軍の軍医総監となりますが
古川春英は 会津で診療所を続け 明治3年(1870)
チフスの大流行にともない 自身も感染して 病死 享年42才でした
今は 生誕の地 会津 駒板(河東町駒板)にお墓があります

彼も 会津に生まれ 会津に骨を埋めた英傑の一人
ちょっと 覚えていて上げてくださいね
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by tukitodoraneko | 2013-01-29 13:04 | 大河ドラマ | Comments(4)

八重の桜 第四回「妖霊星」

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今週の大河は 安政5年(1858) 八重は13才になりました
兄の覚馬は 藩校の教授になり 樋口うらと結婚します
この年は 4月に井伊直弼が大老に就任
「日米修好通商条約」を 無勅許・・・天皇の意向を聞かずに調印
これに怒って 登城した水戸の斉昭らは 謹慎となりました
7月には 将軍家定が亡くなり 14代・家茂の登場です
タイトルの「妖霊星」は 当時 凶事の予兆とされた彗星のことです
手近にある「武江年表」にも この年 8月初旬から現れた
彗星=ほうきぼし のことが載っています
「宵は乾(いぬい=北西)、暁は艮(うしとら=北東)に現れること 毎夜なり
 光芒 北になびきて はなはだ長し
 次第に小さくなり 坤(ひつじさる=南西)の方へ寄り 光芒 南へなびけるが
 九月中旬に至りて 見えずなりぬ」

この時の観測記録は 京都・岩倉の実相院にも残っています
もちろん「彗星」ですから 世界的にも観測されています
最初に発見したイタリアの天文学者の名をとって「ドナティ彗星」と名前もついているんですね
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この絵は 当時のイギリス人画家ウィリアム・ダイスの描いたドナティ彗星
タイトルは「ベグウェル湾 1858年10月5日の回想」です
太陽暦では この年の10月10日が 最も接近した時だそうです
だいたい二ヶ月の間 肉眼でも観測できたようですね
この彗星「非周期」だそうで 次に見えるのは3811年と計算されています
未来の子孫達も 彗星衝突とかいって 大騒ぎするのかしら
そもそも その頃は「地球」にまだ人類は住んでいるのかしら?
脱線したので 今日はこの辺で・・・
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by tukitodoraneko | 2013-01-27 11:25 | 大河ドラマ | Comments(2)

八重の夫 川崎尚之助

f0122653_12522811.jpgもう一つ 大河ドラマから
川崎尚之助のことを書いときましょう
大河に選ばれてうれしいのは 研究が進むこと
この川崎さんのことも これまでは兄・覚馬の勧めで
結婚し 幕末のドサクサでどうなったか・・・という程度の興味しかもたれていませんでしたが 大河になると共に その晩年の様子がわかるようになってきました
まず 覚馬が江戸で知り合った但馬・出石藩(現・兵庫県)士で医師の家に生まれ 会津・日新館の教授方になり やがて8才年下の八重と結婚します
慶応元年(1865)八重が20才の時ですね
これまでは「会津藩士」として登用されてはいない、と されてきましたが 当時の「御近習分限帳」が見つかり ここに石高・役職と共に名前が残されていることがわかりました
同時に 会津戦争後の八重たちの名が 「出稼戸籍簿」に見つかっています
この戸籍簿は 斗南に移住しなかった人々の戸籍で
これによると 八重親子と共に川崎尚之助・覚馬の妻子の名もあります
戦後も 山本一家は離れることなく 米代藩の内藤新一郎方で 働いていたようです
そして 明治4年(1871)覚馬の生存がわかり 八重たちが京へ去ってしまうと
尚之助は 斗南藩に移り ここで窮民のために 米の調達に走り回り
外国人商人とトラブルを起こし その訴訟のため 江戸に出て 病死してしまうのです
明治8年(1875)没 享年39才です
f0122653_132147100.jpg晩年の記録を北海道立公文書館で見つけ 本にしたのは「あさくらゆう」氏です
この方の名は 新撰組関係 「龍馬伝」の時の千葉さなの調査などで 目にされた方もいるでしょう
足立区史談会でも 講演をなさっているはず・・・
先日 やっとこの方のHPを見つけて 以降ブログを拝見しています
しかしプロフィール等は 全くわかりません
と言うのも「あさくらゆう」のお名前で検索すると
同名のチョー有名(たぶん?)なAV女優さんの情報が
もう結構だよ!というくらい出てきてしまうからです
その何万件の中から やっと「歴史企画研究」という
氏のHPを見つけ出しました
ご覧になりたい方は このタイトルで検索することをおススメします
この研究成果により 川崎尚之助さんは 故郷に顕彰碑も立ったようですよ
良かったですね 
では 今日はこの辺で・・・AV 見ないようにね!
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by tukitodoraneko | 2013-01-26 13:37 | 大河ドラマ | Comments(0)

山本覚馬の妻と娘

f0122653_12225350.jpg大河ドラマ「八重の桜」へのアクセスが急増しています
なぜだろう?この時代の会津藩 なじみがない
せいでしょうか?
みんな何でもいいから情報が必要なのかしら?
せっかく見に来てくださるのだから・・・と
やっぱり「スケベ心」が出ちゃいますなー
だから 次回登場の山本覚馬の妻・樋口うら のこと
書いちゃおうかな?
ドラマより先行しますので 筋書きを知りたくない方は 
この先読まないでね
さて 先週の一年後 安政5年(1858)
覚馬の建言は やっと認められ 藩校・日新館の教授になり 蘭学所を開設 
↑ そして同じ会津藩士・樋口家の娘うらと結婚することになりました
長谷川京子さんですね 
この時 覚馬は30才 遅い結婚でしたね
もっとも青山霞山という人の書いた覚馬の伝記によると
山本家は「黒紐」と呼ばれる上士で 格式はありましたが
十人扶持という微禄で 生活は苦しかったというのですね
この頃 日新館の教授になり やっと結婚できるようになったということでしょうか
しかし この結婚生活はあまり長く続きません
長女・みねが生後7ヶ月の時 覚馬は 京都守護職となった藩主・容保に呼ばれ
大砲隊を率いて 上洛してしまいます
この時が うらとの今生の別れとなってしまいます
この後 激動の戊辰戦争へと突入し 覚馬は行方知れず
うらは 八重たち山本家の人々と 会津戦争を戦うのですね
戦後も 米代藩(現・仙台 内藤新一郎方)まで 一緒にいます
しかし ここで覚馬の京での生存がわかるのですが
八重とその母が 覚馬を頼って行こうとした時
うらは 覚馬との離縁を望み 仙台に残るのです
理由は今のところわかりません
八重たちは 覚馬の一人娘・みね8才をつれて 京へ旅立ちました
このみねは やがて同志社女子高を出て 横井時雄
あの横井小楠の息子と結婚します
今日は ここまで
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by tukitodoraneko | 2013-01-25 13:07 | 大河ドラマ | Comments(0)

忠臣蔵って何だ?

f0122653_12532292.jpgさて「忠臣蔵」続きます
← 参考図書を出してみました
江戸時代に忠臣蔵といえば「仮名手本忠臣蔵」のこと
これは 今の感覚とだいぶ違います
例えば「来年の大河 忠臣蔵だって」と言われたら
あなたはどんなストーリーを思い浮かべますか?
「松の廊下の刃傷事件と 赤穂浪士の討ち入りでしょ」
確かにそうなんですが ではなんで「赤穂事件」とは
言わないのでしょう
これは 江戸時代の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が 
「赤穂事件」を扱ったものとして あまりにも あまりにも!
有名になりすぎたからなんですね
だからと言って 「赤穂事件」と「忠臣蔵」とは 全く
別物なんですが
現在「忠臣蔵」というと三つの意味の複合になっています
一は 史実としての「赤穂事件」 
もう一つは寛延元年(1748)松の廊下から47年後に
大坂・竹本座で初演の「仮名手本忠臣蔵」
そしてもう一つは それ以外の 芝居・講談・浪曲・小説などになった俗説・巷説です
この三番目の「その他」が やたらにたくさんあります
「赤垣源蔵徳利の別れ」「俵星玄蕃と杉野十平次」
「神崎与五郎 馬方に謝る」「宝井其角と大高源吾」・・・

事件当時直後に 何らかの史料に載っていない話は
どんなにおもしろくても 残念ながら創作なんですね
伝聞というのも 史実とはちがいますので 振り分けてください
信頼できる原典があること これが重要です 

上記の本は この辺のところが 最初に書いてあるので
初歩の参考本として 役に立つと思います
三級・二級を受ける方々 まずここから始めてみてください

一級挑戦の方々に関しては そもそも1級に受かる最低条件が
自分で史料をさがせる 自分で勉強ができる と言うことだと思いますので
自力で頑張ってみてください

去年まで「一級の応援団」を自称していましたが
年々 一級受験者が減少傾向にありますので
ここは裾野を広げると言う意味で 二級・三級の方々の受験を増やしたい!
しいては「江戸検定」の発展を応援したい!という気持ちです

検定協会のHPを見た方は ご存知でしょうが
1級は今年の受験から 参考書「博覧強記」からの出題が40%に減りました
参考書丸暗記して お題を完璧に答えたとしても60点です
あとの20点以上は あなたがどれだけ江戸が好きか!?に かかってるんですねー
江戸好きなら負けないわ!というあなた 
一年後には お会いできるのを楽しみにしてますよー^^/
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by tukitodoraneko | 2013-01-24 13:47 | 忠臣蔵 | Comments(0)

赤穂事件と忠臣蔵

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f0122653_11265383.jpg今年の秋の「江戸文化歴史検定」すでにお題が出ています 参考図書も一冊出ていますので 受験なさる方お読みになるといいでしょう
ポイントは「赤穂事件と忠臣蔵」の違いを 
きちんと整理すること
もちろん現代の参考書もたくさん出ています
二級・三級を受ける方は たぶんそれだけ読んでも 
合格できるかもしれません
しかし一級を受けるなら ぜひ事件当時の一級史料・・
元禄かせめて宝永までに書かれた記録をお読みになってください
近代デジタルライブラリーで 全て読めます
私も このお題が出てから ここで関連本をさがしました
そして大きな発見がありました
まず本来の記録に載る「赤穂事件」で検索したところ
何冊の本が出てきたと思います?   たった4冊です!
え~!?と 思いますよね
では次に「赤穂浪士」で 検索すると・・・11
最後に「忠臣蔵」で検索すると なんと! 973冊 ヒットしたんですねー
この状態が 全てを語っていますね
実際の事件「赤穂事件」のデータが どれほど少ないか
あとは 全て創作・評論対象としての「忠臣蔵」なんですね
では なぜ こういう事態になったのか?
これほど 赤穂事件が 世間に喧伝され 誰もが知るところになるには
そうなるべきバックボーン 社会情勢があったわけですね
それを勉強していくのが 今年のテーマですねー
私は はじめ そんなに乗り気じゃなかったのですが
ちょっと手をつけてみると いやいや どうして・・・
なかなかおもしろいかもしれないぞ と 思ってます
関連本は 初心者用から 専門書まで 少しずつ紹介していきましょう
歌舞伎のベストヒット「仮名手本忠臣蔵」についても
詳しく書いていくつもりです
今年も一年 江戸検に向けて頑張りましょう!
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by tukitodoraneko | 2013-01-22 12:17 | 忠臣蔵 | Comments(4)

八重の桜 第三回「蹴散らして前へ」

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大河第三回は 安政3年(1856)覚馬の帰郷からです
まだ 八重は11~12才ですね
黒船ショックを目の当たりにした覚馬は すぐに藩校・日新館に
蘭学所を作ることを建言します
同時に「兵制改革」も 進めようとします
これは「洋式調練」と「洋式砲術」を意味しました
雨中では使えない火縄銃が まだ主流であったのですね
オランダ渡りの「ゲベール銃」さえ 雷管方式といって 火縄でこそなくなっても
小さな筒や皿状の部分(雷管)に起爆剤をいれ その衝撃で発射するもの
もともと大勢の敵の集団に打ち込み 混乱させるぐらいのもので
命中率も悪く 暴発もしやすかったのです
しかしまだ会津藩内では 守旧派の反対が強く
覚馬は「禁足」の上 反対派から命まで狙われる事態となってしまうのですね
八重が 洋式砲術を習うのは ちょうどこの頃です
あせりと不満でいらだつ覚馬の 背中を押したのは
松代で謹慎中の師・佐久間象山の手紙の一説でした
「何かを成そうとすれば 必ず邪魔するものが現れる
 蹴散らして 前に進む他ない」


そして 翌年 ついに・・・・
今週は ここまで
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by tukitodoraneko | 2013-01-21 10:53 | 大河ドラマ | Comments(0)

「びらびら会」初参加!

f0122653_14155343.jpg昨日の土曜日 私は← 小石川後楽園 涵徳亭におりました
後楽園の入口 左手にある建物ですね
「涵徳亭」は 林 鳳岡(ほうこう)信篤が享保の頃 つけた名で 「徳にひたされた」というような意味です
この人の時から 林大学頭が世襲になりますね
4代から8代の将軍に仕えましたが 特に綱吉の覚えめでたく 幕府の文治政治を推し進めた一人です
ちょうど今年の江戸検お題「忠臣蔵の虚実」にも関係ある人なので 
ちょっと覚えておいてくださいね
f0122653_1425164.jpg昨日はここで 江戸検一級6期「びらびら会」の 勉強会がありまして 私はお呼ばれしたんですねー
ゲストの金令舎さんの落語を聞き(「お血脈」「野晒」)
楽しい時間を過ごしました
そのうえ ご著書に直筆サインを入れて 頂戴しました →
びらびら会 ヒナさん どうもありがとう!
金令舎=鈴木直氏は 長年 大手ゼネコンにお勤めだった方
私とは「おくり狼」の話で 盛り上がってしまいました
また お話させていただきたいですねー
その後は 打ち上げ・二次会まで お世話になりました
「びらびら会」は 女性が多くて ちょっとうらやましいです
いつも大人数で 集まるのも大変そうですが 皆さんが協力して 楽しい会になさっています
今年のように 少なすぎるよりも いいかもしれませんね
いろいろな方とお話できて 楽しい一日でした
「びらびら会」の皆さま ありがとうございました
ブログ読んでくださっている皆さん
ご遠慮なく コメントも書いてくださいねえ^^/
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by tukitodoraneko | 2013-01-20 14:47 | 江戸文化歴史検定 | Comments(6)

松平容保と照姫

f0122653_1051523.jpg大河「八重の桜」第2回で 松平容保の義理の姉・照姫がいきなりでてきたので 書いておきましょう
この人は容保よりも4つ年上で 10才の時 上総飯野藩から先代・容敬(かたたか)の養女に来た人です
飯野藩は 保科正之が認知されて出て行ってから 2万石で存続し 照姫の父で九代になっていました
f0122653_1115195.jpgそして照姫の4年後 容保も10才で養子となりました
この時から照姫が 18才で嫁に行くまで4年間 二人は義理の
姉弟として育つのですね
ところが 豊前中津10万石・奥平昌服(まさもと)に嫁いだ照姫は 4年後の安政元年(1854)離縁されて帰ってきてしまうのです
子供はなく 理由も不明です
ただし 大河のように会津に帰ったわけではありませんね
当時 大名の子女は江戸で生まれ育つのが当たり前
備前中津に嫁に行ったといっても 実際は中津藩の江戸藩邸に輿入れするだけ
だから離縁して里帰りする場合も 会津藩の江戸藩邸に帰るのですね
ではなぜ 大河では この場面で 二人を再会させたか・・・といいますと
この照姫 会津戦争の時には 奥で采配をふるい 傷病者の手当て
弾の製造まで 受け持って活躍した人だから
実際には 文久三年ごろ 幕府が参勤交代を緩和し
大名の妻子の帰国を認めたあたりで 初めて会津に里帰りしたようです
一方 容保の正室・敏姫・・・この人は養父で叔父の容敬の娘で 二人はいとこ同士でした
容保が養子になると同時に たった3才の敏姫を正室としたのですが
この人 病弱であったのか 疱瘡にかかったせいか
子も成さずに 18才の文久元年(1861)亡くなってしまうのです
その後に 照姫との間に 再婚の話があったとか なかったとか
はっきりとはしませんが そんな微妙な関係の二人であったのですね
稲森いづみさん きれいでした
そして 容保役・・綾野剛くん 私は「GANTZ」の自立宇宙人でおなじみでした
なかなか りりしい容保で 一年間 楽しみですね 
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by tukitodoraneko | 2013-01-17 11:37 | 大河ドラマ | Comments(2)