<   2011年 12月 ( 23 )   > この月の画像一覧

かりゆし「明日」へ

f0122653_160316.jpgいつもと違う年末が暮れていこうとしています
去年まで 家族とすごしたクリスマスや
大晦日 正月を 一人ですごす方も
きっといるでしょう
だから 今日は私が一人ですごした
2000年の 大晦日の話をしましょう
そこは 都立病院の「ガン病棟」で
私の病名は「骨肉腫」でした
始めは ただの「子宮筋腫」ということで
そろそろ切除しましょうかと言われていました
どうせ切るなら・・・と 大きな病院で
検査したところ 見つかったのですね

あっという間の入院 そしてクリスマスの晩に手術
大晦日の夜は さしもの大病院の中に
残っているのは たった三人ほどでした
2001年 ミレニアムの初日の出は
病室の窓から よく見えました
そして それからも半年あまり
制癌剤の治療は続き 女の命というべき髪も
きれいさっぱり 抜け落ちました
その闘病の日々 同室になった多くの友人は
今はもう いません

「かりゆし58」という沖縄のグループを 知っていますか?
「さよなら」という歌を 歌っています
その中に とても心に響く歌詞があります
 
僕の生きる今日は もっと生きたかった誰かの明日かもしれないから

「わたし どうしてこんなことになったんだろう」
「わたしがいなくなったら 子供たちどうするかな」
「わたし まだ 死ねないのに」

ほとんど同年代で 家族構成も似たあなたたちが
ふと 気弱になった時に もらした一言を 忘れません

だから わたし 今も 元気で 頑張って 楽しく生きてるよ

わたしが生きている今日は まちがいなく
あなたたちが 生きたかった「明日」だから

f0122653_1653435.jpg今 一人で さびしく 失くしたものを思い
生きている意味がわからなくなっている方々
それでも ごめんね 生きていかないとね

「かりゆし」というのは 沖縄の言葉で 
めでたい という意味だそうです

全ての人に かりゆし「明日」が きますように
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-31 16:57 | よしなしごと | Comments(2)

わが家もゆるせ 餅の札

f0122653_16572527.jpg

「十二月之内 師走 餅つき」 三代豊国です
正月用の餅つきの真っ最中ですね
これは「ひきずり餅」と言って 町内の鳶の者などが
4,5人一組で 臼・杵だけでなく 蒸篭(せいろ)や釜・薪など
道具一式を ひきずってやってきて 家の前で餅つきをするものです
前々から予約しておいて もち米を渡すだけでした
武家や大きい商家では 家内で餅つきをしましたが
たいていは この「ひきずり餅」に頼みます
菓子屋に注文する「賃餅」というのもあったのですが
これは「世間体」が悪いとされ 格下だったのです
なんだか 今とは反対のような気がしますね
当時は 威勢よく家の前でついてもらうのが よかったんでしょう
つきたての餅は 上の絵のように 団扇で冷まし
のし餅や 鏡餅の形にして 餅筵(むしろ)に並べます
左の女性の横に 大根とおろし金がありますね
つきたてを からみ餅にして食べたりしたんでしょうねー
このお餅は 塩魚や乾魚を添えて 親類・縁者にも配りました
この頃には 物乞いもやってきて 餅つきをした家で
餅や銭を もらって回りました
一度 施しをした家には 「餅の札」を置いていきます
これが 家の外の柱などに貼ってあると
もう施しは済んだ印で 繰り返し物乞いに煩わされる事はなかったんですよ
江戸のシステム なかなか便利ですね
今のように のべつまくなしセールスが来ることもなかったんですねー

  弱法師 我が門ゆるせ 餅の札     其角 
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-30 17:26 | 江戸のあれこれ | Comments(1)

ふんどし自慢の雪まろめ

あー なんと早い! あと二日ですか 今年って・・・
笑い話の雷さまみたいに「月日のたつのは早いもの、わしゃ夕立にしよう」と
言いたくなっちゃいますねー
f0122653_16282932.jpg

さて もう一枚 雪の中で遊ぶ子供たち
「江都新大橋雪乃朝夕・子供遊の図」歌川貞虎の絵です
大きな雪玉こしらえてますね これ「雪まろばし」といいます
まろばし・・・丸める、といった意味でしょうか
雪玉をぶつけあう「雪合戦」は 雪まろめ と言いました
なんだか 優雅に響きますね
今日は その雪まろめの話を一つ
馬場文耕の「宝丙密秘登津」(ほうへいみつがひとつ)という随筆の中の話です
宝暦丙子は 宝暦6年(1756)9代将軍・家重の時
この年の 正月23日は 大雪で 江戸城のお庭にもどっさり雪が積もりました
当時 西の丸にいたのは 次の将軍になる家治さま
おじいさんの吉宗公に似た 血気盛んの若者です
 君 火をたけ よきもの見せん雪まろめ
という芭蕉の発句のごとく 若い小姓たちと 庭に出て雪合戦を始めたんですね
その中に 大岡忠光の甥で 16才の大井伊賀守(父は大井伊勢守)と
水野内膳正(「厳要両秘」に伝記あり)という若者も いました
やがて 雪を投げ合う内に 夢中になって 衣服を脱ぎ
大騒ぎとなったのですが 丸裸になると 何とこの二人
大井伊賀は 真赤な紅縮緬のふんどし
そして 水野内膳正は 真っ黒な黒縮緬のドハデなふんどしをつけていたのですね
これには 家治公も 大笑い
上意によって「大井の赤ふんどし・水野の黒ふんどし」と 仇名をつけられ
ただ今 殿中では みなこれを仇名に呼びけると也・・・
まー 西の丸の若君は ふんどし一丁の雪合戦 見物してたんですねー
馬場文耕は あまりに余計な事を書きすぎたため
この2年後には 獄門になっています
しかし 著書の数々は 今も多くの人に読まれ 楽しませてくれていますよ
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-29 17:04 | 江戸のあれこれ | Comments(4)

雪猫のこと

おおー 寒かった!
役所・銀行・病院など 年内にすます用事が やっと一段落・・・
これで 年越しできるでしょうか
しかし 寒いと言っても東京では 年内に雪が降ることはなくなりました
これは 暦のせいでもありますが 気象学的にも
江戸時代は ずっと「寒冷期」だったからです
日本でも 観測されたオーロラの記録
世界的飢饉や 革命も 気候が関係していたのですね
f0122653_11502838.jpg

上は 国芳の「子供遊び」 雪遊びの絵です
雪吊り 竹馬など 今もありますが 雪だるまの形 おもしろいですね
当時の雪だるまは 本当に「達磨」の形を造ったんですね
禅宗の開祖といわれる達磨大師のお姿です
現在 バケツをかぶして造るのは 西洋式のスノーマン
江戸の雪だるまは この達磨型が 基本だったのでしょう
f0122653_1156554.jpg

はい もう一枚 これも国芳 「四季心女遊 冬」
右の女性が手に持っているのは 歯みがき粉の箱
房楊枝も 持っていますね 冬の朝 起きぬけの風情です
真ん中の女性は 雪かき中 
板に紐を結わえた簡易シャベルを使ってますね
f0122653_1213384.jpgさて この絵の中で 子供が造っているのは何でしょう?
横から見ているので わかりにくいでしょうが
なんとこれ「雪猫」なんですよー
目にはちゃんと 炭団が入れてあります
雪の絵の中に 犬はいっぱい描かれますが
濡れるのが嫌いな猫は めったにありません
子供たちの造る「雪猫」くらいのものでしょう
珍しいので 出してみました
雪の多い地方の方々 
時には 雪だるまの代わりに 雪猫もつくってねー
月猫からのリクエストです
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-28 12:14 | 江戸のあれこれ | Comments(4)

歳末古本市

f0122653_17335381.jpg今年最後の古本市が26日から
新宿京王デパートで始まっています
最終は30日です
この忙しい時に誰が行くのよー
と お思いでしょうが 
結構 混むんですよ これが・・・
いやいや お恥ずかしい
専業主婦も ちょっと行きました
← ジョサイア・コンドル著「川鍋暁斎」450円
元は英文で 翻訳されたもの
世界中に暁斎のコレクションがあるとわかります
ロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムにも
たくさんあるそうで びっくりしました
この本 おもしろかったので 機会があったら
f0122653_1743547.jpgあらためて コンドルと暁斎のこと 書いて見ましょう
「松陰日記」450円は 吉田松陰とは関係なく
柳沢吉保の側室・正親町(おおぎまち)町子の
日記です「まつかげ日記」ですね
五代将軍・綱吉に どれだけ よく仕え 出世して 
栄華を極めたか「ウチの殿はどんだけ えらいか」が 
源氏物語顔負けの美文調で 書き綴られています
バカ夫婦だったんだろうなー・・・
ま、お互いさまってことで・・・
後の二冊は 現代の著作です
小松和彦氏の「日本妖怪異聞録」
荒俣宏氏の「本朝幻想文学縁起」

どちらも 民俗学的 宗教学的な分析で
小町伝説や 玉藻の前 宇治の橋姫
崇徳院のことなどが 書かれていて 非常におもしろいです
今回はこの4冊のみで 二千円弱のお買い物
あ、あと「鼠撲十種」(上・中・下)三巻・二千円で 二組出てました
お探しだった方は どうぞ 
たぶん明日もあるでしょう
私も 迷ったけど あきらめました
だって ものすごく重いんだもの・・・
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-27 18:14 | 本の話 | Comments(4)

クリスマスの夜に

f0122653_14563980.jpg Merry Christmas!

大変な一年でしたが ようやくクリスマスです
特に何もせず ボーっとすごしています
ツリーも 子供が大きくなると飾りません
← こんなので 充分です
本好きで ズボラな私にぴったりでしょ
江戸初期には 平戸にイギリス商館がありました
ま、すぐに撤退してしまって 短期間ではありましたが
その「イギリス商館日記」に 当時のクリスマスのことが
書いてあります
「タカモン殿(松浦重忠)より 酒2樽と魚2尾
王(平戸藩主・松浦隆信)より 鯨2切 が
プレゼントされた 今日はクリスマスだからである」
日付は 1615年(元和元年)の12月 25日
もちろんキリスト教は 禁止されていましたが
商館にいるイギリス人たちは 気にしていませんね
以降 長崎の出島のオランダ人たちは
中国の冬至の祭りにかこつけて 「オランダ冬至」と称して
クリスマスを祝いました
日本人は これを 新年の祭りと勘ちがいし
太陽暦の1月1日に「オランダ正月」を行い
通ぶっていましたが 実は クリスマスパーティだったのですねー
f0122653_17195364.jpg

f0122653_1723845.jpg上は 出島の商館で行われているパーティの様子
ま、現在も キリスト教徒でもないのに
クリスマスは 楽しんでますから
同じようなもんだったのでしょうね

今宵 全ての子供たちに サンタクロースが
やってきますように・・・
月猫も お祈りしていますよ 
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-25 17:27 | 江戸のあれこれ | Comments(3)

平清盛 予習

f0122653_16253413.jpg

クリスマス寒波なんですねー 買出しに行ったら寒かったです
三連休 オタク一家は 家でぐたぐたしながら過ごしますよ
シャンパンと つまみは買ってきたし・・・
では ちょっと今日も平清盛のお話ね
清盛は 1116年の1月 伊勢平氏・平忠盛の嫡男として生まれます
母親は 祇園女御 白河法皇のお気に入りだった人です
「平家物語」の中にも 清盛の実父は白河法皇だろう・・・と書いてあります
法皇から この美しい女御を賜った時
すでに 法皇の子をみごもっていたということなんですね
一代で栄華を極めた清盛を 後の世では 「法皇の子でもなければあり得ない」
と 解釈したのでしょう
江戸時代には これが定説となり 川柳のネタにもなっています
いずれ順番に ご紹介していきましょう
さて ではこの実父とされた白河法皇ってどんな人?
というのを 当時の政治情勢と共に 予習しておきましょう
平安時代というのは 「摂関政治」の時代ともいえますね
藤原道長を頂点とした藤原氏は 娘を天皇の后とし
生まれた子を 天皇にすることで「外祖父」の地位に着き
摂政・関白となって 政権を掌握してきました
 
 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

これは 藤原道長が詠んだ「望月の歌」
しかし この権力にも 白河法皇の父・後三条天皇の時にかげりが見え始めます
後三条天皇は 170年ぶりに藤原氏の娘以外から生まれた子で
当時の関白・藤原頼道との関係も 良くなかったのです
そのあとを継ぎ 20才で即位した白河天皇
これを機会に 政治の実権を 王家に取り戻そうと計ったのですね
34才の時に 8才のわが子・堀河天皇に譲位すると
自分は 上皇(院)となって 院政を行うのです
うわあ なつかしいですね 「院政」
数十年前 制服着てた頃 習いましたよね
上皇というのは 江戸の「大御所」と同じですね
地位は譲っても 実権は握ってる・・・というヤツです
上皇が 仏門にはいると「法皇」になりますよ
白河上皇は この時 院の警護として「北面の武士」を設置
源氏・平氏の武士を 登用するのですね
清盛の父・忠盛も この北面の武士でした
そして 白河天皇の即位から 45年後
白河上皇65才の時 平清盛が誕生するのです

つづきはまた・・・
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-23 17:21 | 大河ドラマ | Comments(0)

来年の大河「平清盛」予習

f0122653_13155749.jpg

年末 やはり 忙しいですねー
今は ↑ これが始まるのを楽しみに 掃除の合間に勉強してます
「平家物語」自体は 遠い昔に読んでいましたが
細かいところは 忘れていますので 再び読み直し
そして この物語自体の成立過程・当時の情勢なども調べてみました
ちょっと書いてみましょう
書かれている時代は 1100年代 平安朝の末期です
「源氏物語」は この約百年前 平安中期の「王朝物語」
簡単に言えば「恋愛小説」 平安のハーレクインですね
主人公は 光源氏 モデルがいるといわれていますが 一応架空の人物です
これに対し「平家物語」の成立には 延暦寺の慈円が関わっていると言われています
慈円は あの歴史書「愚管抄」を書いた人
当時の摂政・関白 九条兼実(かねざね)の実弟で
鎌倉の頼朝とも 親交のある人でした
つまり政治・宗教会の大立者であり 当時の芸術家たちのスポンサーでも
あったのですね
吉田兼好の「徒然草」226段には この慈円に保護された行長入道が
物語としてまとめ 生仏(しょうぶつ)という盲人に教えたのが
「平家物語」であると 書かれています
内容が 延暦寺寄り 源氏寄りであるのは こういう事情があったからでしょう
これが 琵琶法師たちによって 全国に広まる間に
数多くの 異本が生まれていきました
この異本類は 百数十種に及びますが その中で最大のものが「源平盛衰記」ですね
すでに初期の12巻からは 倍の分量24巻に達しています
写本の中では 覚一という検校が書き写させた「覚一本」が
最もすぐれていて これが伝わり 現在も「底本」として使用されています
内容に関しては またあらためて・・・
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-21 14:03 | 大河ドラマ | Comments(4)

メビウスの本棚

f0122653_10163395.jpg「買った本、全部読んでるの?」
という質問をよくされます
はい、基本 全部読んでます
読むために 買ってますし
コレクターではありませんので
「どこに置いてるの?」も聞かれます
答え「そこらじゅうに」
しかし それも限度があるので
今年流行った「断・捨・離」を
敢行することにしました
f0122653_10251863.jpgついでに ちょっと変わった本棚の
写真 載せときましょうね
↑ 上は「アメリカ合衆国」本棚
デトロイトの部分に車の本とか置くのでしょうか
作家の出身地別っていうのもいいかも・・・
これは 歩ける本棚 →
移動が簡単そうでいいですね
今回 お別れする本は約5百冊・・・
いや 千冊にいたるかなー
何で今まで持ってたの、という本を中心に
もう二度と読み返さないだろう本は
思い切って捨てる(売る)ことにしました
f0122653_10344694.jpg←「シーソー本棚」って 何の為に!
江戸本は よっぽど内容がひどくなければ
とっておき ここ十年で 趣味が変わって
読まなくなった本だけ かたづけようかと
思っていたのですが 本棚の奥から出てくる
「これ 何で買ったの?」という本も多く
思いがけない量になっています
そのかわりボロボロになっても まだ読む本はとって置きます
(海外ミステリーや「幻想と怪奇」もの)
f0122653_10515658.jpgこれで私の「メビウスの輪」のような
本棚も 少し空きができるかな?
今は 電話一本で 古書チェーンから宅配業者が取りに来てくれますので 簡単です
これでまた 本が買える!
しかしせっかく買った「断・捨・離」の本
これは やはり 捨てるべき?
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-20 10:53 | 本の話 | Comments(0)

品川 南国ツアー

f0122653_10571015.jpg昨日は 寒かったけど南国・品川ツアーに 
行ってきました
検定協会の方 1級会の仲間たち
20名を越える大人数で 歩きました
楽しかったですよ
これから 少しずつアップしていきます
品川に詳しい方はだいたい想像がつくでしょうか
← これは鯨塚ですね
f0122653_11103968.jpg
今は 何も残っていませんが土蔵相模跡 
八つ山 御殿山 大銀杏も紅葉真っ盛り →
きれいですねー
伊豆の長八の鏝絵にも 再会
品川神社も 荏原神社も行きました
品川の北と南の鎮守ですね
問答河岸跡 沢庵和尚の墓
お墓も やっぱりてんこもり!^^
賀茂真淵に 服部南郭 渋川春海・・・
細川家に 堀田正盛 青山忠成
f0122653_11211371.jpg ← 奥平家の墓所も見学
やっぱり今回も 墓めぐりですなー
丸橋忠弥の首塚も見ちゃいました
南の仕置き場・鈴が森があったので
投げ込み寺も あるんですね
しかし 冬の日は暮れやすい!
海雲寺の 千体荒神と天井絵をみて
品川寺に着いたら もう真っ暗
五時にはお寺も閉まるので とっとと
追い出されますよ 気をつけましょーねー
f0122653_1131410.jpgそして 楽しい打ち上げは「おきみくら」で
島焼酎 飲み放題の宴会でした
月猫は ここで皆さんにいろんなものもらったり
ありがたい お言葉を頂いたり 貴重な資料まで
いっぱいもらいました 帰りは おみやげが一杯!
し・か・し・・・!
新宿駅に着いたら 京王線が 全線不通・・・
30分で帰れるはずが 2時間近くかかって
よろよろと 家に帰り着きました
いいことばっかりは ないなー・・・
でも 楽しい一日でした
相変わらず 教わることばかりですが
江戸好きは いい人ばっかりだな!と
痛感しています
みなさんありがとう! これからもよろしく!
そして「スカートとスピーチは短いほどいい」ので
今日はこの辺でー!
[PR]

by tukitodoraneko | 2011-12-19 11:41 | 江戸あるき | Comments(4)