カテゴリ:祭と歳事( 80 )

片手落ちに気をつけて!

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11月3日のお祭り=受験日まで 5週となりました
追いこみ 進んでますか?
これからは 復習をかねて書いていきますので 頭休めに読んでください

↑ 上の絵は「東都歳事記」からとりました
これ 見ただけで「山王祭」と わかりますね
麹町の象が 出ているからです
有名な出し物ですが よく見ると 牛や人が引いたわけではなく
足の部分から 人の足が出てるので 四人がかりでかついだとわかります
芝居の「馬の脚」と 同じ感じですかね
回りの異国風衣装の人は「朝鮮通信使」の姿です
象だけが有名ですが 出し物としては「朝鮮通信使」だったのですね

さて この山王権現の神主の姓を知っていますか?
神田の方は みんな知ってる「芝崎」氏です
これは 元の場所が芝崎村にあり 芝崎道場=日輪寺持ちだったからですね
こんな風に どちらかを知っていたら もう一方は何だったか
考えてみるのも いいと思いますよ
山王権現の神主は 樹下(じゅげ)氏
近江・日吉神社の樹下氏と同族です

ではもう一問
浅草観音の「四萬六千日」=千日参りは7月 9日10日ですが
芝・愛宕権現の千日参りは いつでしょう?

そーんなの 知ってるよー
と 言う方は また明日 ^^/





芝・愛宕は 6月24日です
癪(しゃく)や 小児の癇の虫に効く青ホウズキを売りました

これに対し浅草寺は 雷よけの赤い蜀黍(とうきび)
茶筅(ちゃせん)や 下げ袋(赤紙の袋に附子入り)も売りました
附子(ふし)は ご存知ですね

今日はこんなところで・・・
頭休めになったかな?
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by tukitodoraneko | 2015-09-21 15:05 | 祭と歳事

天地神明

f0122653_1722518.png「天地神明にかけて!」って 言いますよね
あ、死語ですかね?
「じっちゃんの名にかけて」は?
どっちも死語?・・・
この「神明」は 大きくいって神様
主に天照大神を さします
飯倉神明=通称・芝神明の
「神明」も天照大神を祀ったからです
伊勢同様 千木(ちぎ)が張り出した
こういうの →を「神明造」と言いますね

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そして英泉の「浮世美人十二ヶ月」
丸の中に描かれた生姜と千木筥(ちぎばこ)
今でも 三段重ね1200円で売っています
江戸時代には 飴が入ってたそうですが
今は どうなのでしょう?
f0122653_17432432.jpgまた大奥にも献上されていましたよ
「産土神の名物」として 薩州公=島津家が
納めてたんでしたね
覚えてますよね?

それと「神明造」の他にも 出雲大社の「大社造」
住吉大社の「住吉造」くらいは 区別つくようにして
おきましょう
「祭」というテーマで 寺社検定級の問題が出るとは
思っていませんが 一級の場合はわからないよね
ま、基本は 知っておいても損は無いかも・・・

今年は なにとぞ天地神明にかけても
合格していただきたい!
そして 芝神明に お礼参りに行きましょうね!
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by tukitodoraneko | 2015-09-20 18:00 | 祭と歳事

九月の江戸の祭

シルバーウィークですねー・・・
と 言っても どこにも行かず 植木屋さんも入ってもらって
家事してるだけの専業主婦です
腰がだいぶよくなって 来週からは やっと外に出られます
来月は 同窓会が「小学校」「中高女子」二つ ひかえていますし
やっと 社会復帰かしら?
あ、お友達の誕生会もあるなー
そうこうしてるうちに 江戸検ですねー 早いなー!!
お休みばかりしてすみませんでした
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じゃ 九月の江戸の祭り 行ってみましょうか
江戸の九月 何と言っても「神田祭」ですね
そして ↑ 「飯倉神明」のだらだら祭り 一名「しょうが祭」「目くされ祭」
どちらも「東都歳事記」に詳しいので 書きません
でも 出題されるかも・・・な感じはしますので 目を通しておいてくださいね
この二つ以外も 九月というのは 祭礼づくめ
収穫時期の祭は 古くからの祭礼の中でも最も数多いものです
細かい一つ一つは また日をあらためて 書いていきましょう
受験なさる方々 追い込みに入って お忙しいことと思います
勉強の合間の「箸やすめ」的 あれやこれや 書いていきますから
また 読んでくださいねー
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by tukitodoraneko | 2015-09-19 13:39 | 祭と歳事

明日は何の日?

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明日 8月15日は 深川(富岡)八幡宮の祭礼です
江戸時代も 同じ日ですね
陰暦だと 一月遅れなんで 実際は九月の満月の日
十五夜の日に行われた祭りです
神田・山王に次いで 「三大祭」の一つとも言われました
なんてことをね もう過去二回も書いてるから そちらを読んでください
  2009 8/15 「天下泰平 満月の御祭礼」
  2011 8/17 「深川の八幡祭」 

検索でも 上位に載ってますので 読んでみてください
覚えるポイントは  紀伊国屋文左衛門由来の神輿と
「幟祭」「水かけ祭」とも言われた事
上記の大幟は 三井親和の筆 ってことくらいでしょうか?
あと 江戸時代もすでに混同されてますが 富賀岡八幡は南砂の「元八幡」
こちらは 正しくは「富岡八幡」と 表記するそうです
あと 深川の氏子たちは 昼は祭で 夜は明月と忙しかった事
陰暦の八月は もう秋ですね
七 八 九月が季節としては「秋」なので 八月は中秋
二つの行事が この地域では 重なっていたわけです
戦後 この日は もう一つ「終戦記念日」が 加わりました
深川八幡は 戦後三年で 本祭を再開
この時は 皇居まで 神輿を担いで行ったそうです
ふーん・・・思ったより 早く 再開できたんですね 意外でした
今日は こんなところで・・・・
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by tukitodoraneko | 2015-08-14 14:30 | 祭と歳事

伊崎の棹飛び

f0122653_14271591.jpgもう聞きあきたでしょうが
猛暑ですなー!
せめて涼しげな話題でも
・・・ってことで これ
知ってました?
琵琶湖に13mの角材を
せりだして この上から
ジャンプ!
ほとんど入水自殺みたいに
見えますが れっきとした
伝統行事です
毎年八月一日に行われます
数年前までは 一般参加も
あったそうですよ
水泳の飛び込み選手なみですねー
元々は天台修験の修業の一つだったんでしょうね
「決して 真似はしないでください」という類かと思われますが
一般参加って そんなにいたのかしら?



f0122653_14395345.jpgはい、地図です
伊崎寺は 赤点 →
古くは 島だったのが
埋め立てで陸続きになったんですね
それでも 近くのバス停から「徒歩40分」ですってよ
この暑い盛りに 行きつくまでがもう修業ね
昔は 船で行くしかなかったので 山門も琵琶湖に向かって立っています
まー でも見てるぶんには涼しさ満点
肝も冷えて 猛暑の一涼となるかもですね
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by tukitodoraneko | 2015-08-07 15:07 | 祭と歳事

ねぶた祭 青森

f0122653_13153287.gif今ちょうど「ねぶた祭」の最中ですね
怪談よりも こっちを書かなくちゃ!
さて 今も大きく残るのは「青森ねぶた」「弘前ねぷ(pu)た」「五所川原 立佞武多(たちねぶた)」の三つでしょうか
青森市の右上の赤点は「浅虫ねぶた」
青森ねぶたの原型はこちらと言われています
ねぶたは 七夕の燈籠流しが起源というのが通説です
燈籠と共に この時期のだるさ・眠たさを一緒に流そうという
f0122653_1123916.jpgので 眠た流しとも言われたのですね
ですから この地方では まだ各地に
ねぶた祭りが続いています
他の所みたいに 派手じゃないだけでね
これが「浅虫ねぶた」ですよ →
青森同様 刀を持った武者が多いです
病を払う時には 多く武者絵が使われますね
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「動の青森」に対して 「静の弘前」は 扇型が主流です
弘前藩初代 津軽為信(髭の!)の幼名が「扇」だったからと伝えられ 台下の花が 全て牡丹の絵がらなのも 津軽家の家紋を模したからだそうです
「ねぷたは流れろ 豆の葉は止まれ いやいやいやよ」
古くから伝わる「ねぷた歌」の いやいやよが「やーやどー」という掛け声に変わったといわれています
これに対し 青森の「らっせらー」は 「出せ出せ」から変化したとか
七夕の時期 燈籠に使う蝋燭を集めた事に由来するようです
函館育ちの家人は 子供の時 七夕の「蝋燭ちょうだいな」に いってお菓子をもらった
経験があるそうです
さすがに「出せ」とはいわなかったようですが ちょっとハロウィーンの
「トリックオアトリート」みたいなんでしょうか
f0122653_11475219.jpg五所川原の立佞武多 →は 祇園祭の山車みたいですね
疫病流しの意味も込められているのかな
屋台の下の「雲漢」は 天の川のこと
七夕には つきものですからね

私はまだ行ったことないんですよ「ねぶた」
皆さんは どうかしら? 今 青森だよ、って方もいるかしら?
猛暑の中 「寝ブタ」化している私は いっそ天の川に流されたい・・・
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by tukitodoraneko | 2015-08-05 12:00 | 祭と歳事

江戸検参考図書

寺社関係の良き参考書 いろいろさがしてみましたが なかなか 見つかりません
祭に関しては「東都歳事記」が一番読みやすいですしねー・・・
「御府内備考 続編」の「寺社書上」は 高すぎるし 読みにくいです
これご存知ですよね
文政年間に官撰で(松平定信の決定で)まとめられた地誌「新編御府内風土記」
そのもとになった調査史料がこの「御府内備考」です
正編の方は「町方書上」続編が「寺社書上」です
明治6年に「新編御府内風土記」の稿本は 皇城火事で焼失したため
今ではその編さんのための調査史料 つまり素材であった「御府内備考」正・続のみが残り
貴重な史料となっているのです
古文書館にありますし 正編だけなら近代デジタルライブラリーで読めます
「大日本地誌体系」で 検索して見てください
よく町歩きに行くと 教育委員会の説明板がありますよね
あれは この「寺社書上」をネタ元にしてるものが多いんですよ
市区によっては 自分とこの分だけ出版してるとこもあります
便利になりましてネットでも「御府内備考によると・・・」
って 書いてくれてるとこも多くなりました
祭が一番盛んだった文政期の寺社の記録ですので
頼りになりますが 読みにくいのよねー・・・
f0122653_11564939.jpgだから こんなのも挙げておきましょう
ああ・・・!新書って読みやすい と感激します
「出開帳」に関しては 必ず出ますので 押さえといてください
震災の後にも 復興支援の出開帳ありましたよね
どのお寺か どこでやったか 御本尊は何?
なんてことも チェックしといてくださいね
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右→は 前から持ってた本ですが 読みやすいです
たぶん今でも手に入ると思うので ぜひ

本以外でも「東京神社庁」のHPや
各寺社のHPは お家で見れてらくちんです
大きな寺社では 由緒が書かれた出版物
祭の保存会などでは 祭に関するのものを
出していますので 余裕があれば読んでください
山王日枝神社では 公式Twitterまであるんですよ
時代が変わったのね!
もう夢のお告げじゃなく お知らせはTwitterなの!?
ハイテクじゃん 寺社! 
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by tukitodoraneko | 2015-07-25 12:40 | 祭と歳事

博多祇園山傘

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現在7月に行われる祇園会では 博多の山傘が有名でしょうか?
元は京都の祇園会と同じものだったとは思いますが
起源に関しては諸説あります
「養生訓」の貝原益軒の説では 1400年ごろ始まるとありますね
上に挙げたのは 福岡市博物館にある「祇園祭礼絵巻」
京都の祇園会の山鉾とは 違って見えますね
本来「山鉾」は人形を据えた「山」の部分と 高く柱状に伸びる「鉾」
この二つの部分で 構成されています
しかし博多の場合 この「山」の部分だけ 受け継いだので(祇園囃もなし)
初期には 上の絵巻のような山車だったのです
しかし この山車は 年々 上へ上へと巨大化し・・・
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このように豪華絢爛になってしまったのですね
あまりに巨大すぎて 現在では「曳き山」「飾り山」二つに分かれています
詳しくは 福岡市博物館の「山傘」のページを見てください

しかし暑いですね
現在 室温32.6度! PCに触るのも嫌なので 早めに終わります^^:
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by tukitodoraneko | 2015-07-13 13:43 | 祭と歳事

赤坂氷川明神

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上は 文政6年の赤坂氷川明神の山車番付です
これも ネット検索で見れますよ
全部で 16番まで山車があり この他にも地走り・踊り屋台も出ています
江戸時代には 隔年催行の神田と山王祭
その山王祭が お休みの年には 6月15日氷川明神の祭礼が行われました
近くに 麻布氷川 白金氷川など 氷川社はたくさんありましたが
f0122653_1244317.jpg今も赤坂の同じ場所にあるのが 当社です →
(右手に溜池があります)
HPで「由緒」が見れますので チェックしてみて
ください 詳しくまとめられています
ここは もと一ツ木にあった氷川社の御旅所だった
そうですが 八代吉宗が 将軍になった時 その
産土神として 社殿を建て直し 遷座してきました
紀州藩邸があった赤坂の総鎮守ということですかね
「神田・山王に次ぐ大祭であった」と「東都歳事記」にもあります
この場所は 元 備後三次(みよし)藩浅野家の屋敷があった所
そう浅野内匠守の夫人・遙泉院の実家ですね
地図の明神の上には「勝麟太郎」の文字が・・・あの勝海舟のお家ですねー
海舟は この赤坂界隈で何度か転宅してます
江戸散歩で人気のコースですね
江戸時代は 境内が5千坪近くあった「氷川明神」
ぜひ 覚えておいてくださいね
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by tukitodoraneko | 2015-07-12 13:13 | 祭と歳事

日吉(ひえ)山王祭

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6月の天下祭「山王祭」に 行ってみましょう
陰暦の6月は 盛夏です 
だいたい今の7月終わりから 8月の初めに催行されました
今日のような 暑い晴天の祭りだったのですね
天下祭に関しては 祭礼の図や絵巻 番付表など たくさん残っていますので
詳しいことは 書きません ネットでも山ほど見られますのでね
ポイントだけ書くことにしましょう
まず山王祭 正しくは「永田馬場日吉山王権現御祭礼」
川越の仙波にあったものを 太田道灌が江戸城内に勧請
家康が 一時 貝塚に移し 元和元年(1615)山車・練り物(神輿)が
江戸城内に入る・・・とありますが これがどの程度の規模だったのか
詳しい記述は無いのでわかりません
たった二年前の 天王祭が 催行人員30名だった事を考えれば
それほどではなかったように思います
寛永江戸図に 浅草三社祭の様子が描かれていますが
あれの20年前ですからねー
「東都歳時記」では 寛永11年(1634)から「大祭となった」とあります
山車の一番(猿=南伝馬町)と 二番(鶏=大伝馬町)の順番が入れ替わったのが
元和の頃 とあるのでこの二つの山車は少なくともあったのでしょう
しかし「守貞漫稿」にいう「五十七輌の山車」というのは
江戸祭礼の最盛期 天保の改革以前の文化・文政の頃のことです
江戸時代長いですからね 170年後が最も盛大だったわけです
この頃の特徴は 山車の他に 踊り屋台や 地走り(歩行して踊る)
花籠(はなかご・着飾った稚児を乗せた花屋台)も出ました
大店では一軒持ちでこれを出したり 幕命で一町から出したり
とにかく「女房を質においても祭に出る」のが 当時の江戸っ子堅気
こういうのを附け祭と言ったのですが 天保以降は
三町に限って これを許し「年番」制になりました

とりあえずこんなところでしょうか
あ、それと また読み方ね
日吉を「ひよし」と読むのは 戦後からです
それ以前 もちろん江戸時代には 日吉山王=「ひえ」山王です
これ 結構 他のブログでも気になりましたので 「ひえ」で覚えてください 

 
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by tukitodoraneko | 2015-07-11 16:38 | 祭と歳事