たまに更新するかも・・・


by tukitodoraneko
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリ:祭と歳事( 80 )

江戸の十月

もう10月ですもの! 早いですね~・・・
あと一月しかないので 頑張っていきましょう
10月に行く前に 9月の祭りに「おわら風の盆」ぬけてますので
ちょっと調べておいてくださいね 元禄から続く祭りですので 気になります

f0122653_13485599.jpg十月と言えば 玄猪(げんちょ)があります
もっぱら 武士の祝儀ですが 民間でもこれにならってぼた餅などこしらえました
炉開き 紅葉狩りなどもありますが 
主に隠居や文人のなすところ
あまり 一般庶民には 関係なかったかもしれませんね
それよりも 庶民が群集したのは 
2日の「東叡山開山忌」
寛永寺を立てた天海=慈眼大師の忌日
この日は早朝から 両大師の御影を供奉し 法親王は輿に乗り 十六坊の院主
勤仕の侍の行列(お練りという)美麗を極め
この日参詣の老若男女 蟻の群がるが如し と 遊歴雑記にあります
そして6日から15日まで いわゆる
「お十夜」です
これは浄土宗の法要ですので 
各寺でも行い 参詣も多かったのですが
将軍家の祈願所 増上寺では わけても善男善女が 群集しました
13日の「御命講」=御会式は 日蓮上人忌日ですので
諸寺でありますが やはり池上本門寺ですね(上の絵です)
神社の祭礼は 10日に湯島天満宮 当社勧請の日で 砥餅が名物
15日 小柄(塚)原 熊野権現祭礼 

19日のべったら市 20日のえびす講 

以上に挙げたものは 確実に調べておきましょう
もう ばっちり!という方 絶対 今年は合格ですよ^^v
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-10-02 14:06 | 祭と歳事

江戸の小芝居

f0122653_14221629.gif

さて 江戸の小芝居 これこそ論文的な史料ばかりで 調べにくいですが
いかがでしょう? お勉強すすんでいますでしょうか?
私も検索したら 自分のブログにぶちあたりました
2011年 5月20日 「三十分の一で通し狂言」
その当時 知っていた事は ここに書いてあります ぜひ 目を通してください
さて それ以外の事 書いておきましょう
官許の三座以外で 歌舞伎狂言を見せた小屋を 小芝居といいましたね
そのうち寺社の境内で興行するものを宮地芝居
両国広小路など盛り場でするものを 小芝居・おででこ芝居とも呼びました
どちらも小屋掛けで 官許の櫓もなく 引き幕や花道が禁じられた
いわゆる緞帳芝居です
宮地三座と呼ばれたのは 市谷(亀岡)八幡宮 湯島天神 芝神明
この辺りの事を「遊歴雑記」から引いてみましょう
「当社内(市谷)の芝居は 延宝年間(1670年代)御免ありて 座元名代を
 斉藤八尾八(やおはち)と号し 芝居となりて 歌舞伎の狂言 絶えたることなし」
表向きは 晴天百日と言いながら 一応許可を取り 絶えず興行していたという事ですね
上の「江戸名所図会」でも 赤い四角 芝居と書いてありますし
その左側の茶屋は 芝居茶屋として 繁盛したようです
この辺の事情は 富くじとまったく同じ
高い三富より 影富が流行ったように セレブしか行けない三座より
安くて 気軽な 小芝居がとても繁盛したというわけですね
市谷より早く 芝神明は 寛文の末(1670年頃)御免有り 座元は江戸喜太郎
湯島天神は 一番遅く寛延年間(1740年代) 座元名は空欄となっていますが
たぶん中島某と思われます
幕末の湯島天神芝居は 中島勘三郎という記述があり
明治以降 蛎殻町に中島座を出したのがこの人です
この三座は 少なくとも文化文政の頃には 道具・仕掛け・回り舞台・せり上げ
など 「大芝居にかわらず」 芸においても 「大芝居の俳優におさおさ劣らぬ上手もありて」
・・・と 十方庵は 書いていますよ
「真佐喜のかつら」によれば やはり化政期に 尾上梅幸らが
湯島の宮地芝居を見物し ここの人気役者 乙蔵と芝居茶屋で
酒宴を開いた・・・とあります
「乙蔵は田舎役者 我々は檜舞台の者なりとも 芸道に変わりなし
 上手を愛し見物するに 何ぞはばかることあるべしとも思わず」
梅幸は これを非難した他の大芝居の役者に そう言い返したってことですよ
かっこいいですね   では 今日はこの辺で 


 
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-10-01 15:27 | 祭と歳事

江戸の相撲

f0122653_10473668.jpg

上の相撲絵 たぶん「古今相撲大全」を 元として書かれたものでしょう
近代ライブラリーで読めるのは「新相撲大全」で 明治以降のことしか書かれていません
今「古今・・・」の方は 国会図書館とか大学の図書館の
フィルム版で 見れるだけですね
これは 「内容があてにならない」と 江戸時代から言われているものですが
まあ基本中の基本・・・それが読めないなら 代わりの相撲解説書読むしかないのですが
「大相撲人物大辞典」これも お高くてねー
「侠客と角力」 三田村鳶魚 これなら文庫もあります
私のおすすめは「謎解き江戸のススメ」TV番組はご存知でしょう 
あれが本になってて「相撲」に関しても載っています 
この本は 竹内誠先生の監修なので 信用度高いな!と 思えます
相撲関係は どうも講談ネタが多くて 玉石混交になってしまいますね
講談って 全ての始まりを「寛永」に持っていこうとする傾向があるんですよねー
「白髪三千丈」方式だし・・・
寺社系のHPも いいのですが やはり自分のところに肩入れが強いしね
「嬉遊笑覧」や「武江年表」から 四股名を抜き出し
地道に検索していくのが かえって近道だろうかと思えます

ネットだと「四股名」で検索すると いっぱいでてきます
すごく変わったのが いっぱい出てて これTVのクイズ問題にもなっていました
それと「相撲絵」も 検索して見てください 役に立ちます

以降は 調べとくといいかな?

野見宿禰神社は どことどこ?
江戸時代の土俵について いつから? 大きさは?
「徳俵」の役割は?
土俵の誕生により 生まれた新技って何?
江戸三男 力士の他は?
番付に用いる相撲字は 何流?
「蒙御免」以外にも番付に必ず書かれた大入りを祈願する言葉は?
晴天8日の興行は いつからいつまで?
谷風 VS 小野川 どっちが勝った?行事の名は?
ペリー来航の時 米俵を運んだ力士って?
(以上 「謎解き江戸のススメ」より)

おさんどん相撲って?
江戸時代の相撲見物(回向院) 大入りだと何人くらいはいる?
雷電為右衛門 何藩のお抱え?

以降 「武江年表」から拾った相撲取の記事

寛永   明石志賀之助
正徳   松風瀬兵衛
享保20 丸山権太左ヱ門
延享   雷鶴之助
明和7  釈迦嶽雲右衛門 雷電為右衛門
安永   谷風 小野川 釈迦嶽
天明7  釈迦嶽 真鶴崎右衛門
寛政7  谷風梶之助
文化2  水引  四っ車
   3  小野川喜三郎
      八十島富五郎
文政10 阿武松緑之助  稲妻雷五郎
天保13 不知火諾右衛門
嘉永3  生月鯨太左ヱ門  鬼若力之助
   5  剣山谷右衛門
安政6  舞鶴駒吉
文久2  小柳  不動山  殿 

こんなとこかな 抜けてないといいんだけど・・・・
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-30 13:09 | 祭と歳事

江戸の影富

f0122653_1214314.jpg今さら…と言われましょうが
「嬉遊笑覧」は お持ちでしょうか?
私のは 随筆百種の中の古ーいやつで
読みにくいったらないのですが
岩波文庫5巻で出ています
電車本・医者本(待ち時間ね)として
文庫版も買おうかな…と思っていますよ
江戸百科事典ですので どこから読んでもいいし 
持ち歩くのに便利!
もうひとつ岩波文庫で「徳川制度」が出ています
明治に朝野新聞に掲載されたものです
上・中は既刊 下巻は11月に出版ですが
中巻には 「富くじ」の事が詳しく載っています

さて「影富」について書きましょう
寺社奉行が認めた「御免富」 これ以外は全部「影富」なの?
・・・と いうわけではないんですね
「遊歴雑記」によると 特に有名な三富(感応寺・湯島天神・目黒不動)が売り出されると
これの当選番号をあてる いわゆる博打行為が行われたのです
買い手は 好きな番号・・・例えば「松の何番」「子の何番」とか言って
その札を買うのですね
これは 一枚数文で売られ 当たっても数倍になるだけでしたが
手軽に買える夢だったので 特に「場末」で売れたという事ですよ
湯屋や床屋でも買えましたし 当選番号はあの「お話しや」というのが
これも数文で 売って歩きました

この元方をするのは 武士では旗本など 町方にもたくさんいて
「この影富ができてからというもの身上衰廃し はなはだしきは盗心を生ぜり」
つまり なけなしの金をすっかりつぎこみ ひどいときは盗人に落ちる
なんてことが 起こったのですね

御免富の乱立と 仲売の買い占めによる札の高額化で
寺社の富くじは だんだん売れ残るようになっていきます
それに反して「影富」が 庶民のなけなしの金を吸い上げて
社会不安を増長させます
というわけで 天保13年(1842) とうとう富くじは全面禁止となるのですね

今日はこの辺で
明日は 相撲のことでも・・・
 
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-29 14:50 | 祭と歳事

江戸の富くじと陰富

f0122653_13215632.jpg

富くじに関しては あっちこっちに ちょびっとずつ書かれていて 調べにくいですね
唯一の専門書「江戸における御免富の展開」 一万円以上ですしね
私も読んでませんが「読んだ人が書いた本」をかき集め
なんとか まとめてみようかなと思います

まず江戸の17世紀末 富くじは 市中では禁じられ
牛込の宝泉寺 谷中の感応寺だけが許されていました
なぜこの二寺が・・・というと 将軍家と毘沙門天との関係でしょうか
宝泉寺は家光と関係が深く 藤原秀郷の縁で毘沙門を祀り
感応寺は 不授不施派から天台宗に変わって 綱吉が庇護し
鞍馬寺にならって 毘沙門を祀ります
鞍馬寺では 古くから富くじをやっていたから・・・という説もありますが
確認できませんでした

そして享保末 幕府は財政逼迫で 寺社の援助ができなくなってくると
仁和寺と興福寺に 江戸での富つき興業を許可します
慣れない土地でのこころみということで 結果的に この二寺の興行は失敗でしたが
これに次いで 明和から天明に渡って「寺社の格によって 回数・年数を決め」
次々と 富つき興業の許可が降りるようになりました
最初は 明和三年(1766) 芝神明です

そして文政期には 規制緩和され 最盛期 「三富」の時代に突入します
谷中・湯島・目黒不動(滝泉寺)ですね
ただ 江戸の富つきとはいえ 諸国からも興業にやってきました
出開帳ならぬ 出興業なのです
その場合 出開帳と同じく どこかの寺社に「場」を借りますね
なるべく 人の集まる 便のいいところ
こうして 多くの寺社が借りたのが椙森神社です
富塚 今もありますね
浅草寺や愛宕も 人気の興業場でした

富くじの値段は 感応寺の場合で 一枚二分
一両=四分=十六朱ですから 一両の半分ですよ
年季奉公の場合 年収三両くらいですから 月収二カ月分!?
後に 二朱(一両の八分の一)に下がりますが それでも高いですよねー

一般には 一朱(一両の十六分の一)または 銀二匁五分
(一両=銀六十匁で換算すると 一両の二十四分の一)でした

それでも庶民には手が届かず 「割札」という共同購入も流行りました

一回につき二万枚ほどの札が売られ 当選総額は千両を越えました
当選金は 全額もらえず 一割は 目的である寺社の修繕費のため主催者の寺社に納め
一割は 次回のくじを買うという形で また納め
あと一割ぐらいが諸経費という形でとられ
自分のものになるのは 当選額の七割程度でした

最盛期には 二日に一度 富つきがあったということなので
結局 この興業を請け負う専門業者ができてきます
一回につき 何百両かの請負金を 業者が寺社に支払って請け負うのですが
業者のもうけは 札の売り上げにかかってきますよね
こうなると いくら「富くじは寺社地でのみ販売せよ」とお上が言っても
札屋=販売所は 雨後の筍のように 増えていき 文政期には
一町内に 三、四か所もあったということです
↑ 上の絵が そうですね

一攫千金を夢見るのは 今も江戸も変わりません
富くじ人気が高まると 「仲売」ということが行われました
これは 元方と通じ 富札を買い占めて 高値で売りつけるのですね
一分のものなら一両・二両で売りつけるのですから
四倍から八倍・・・濡れ手に粟です

こうして ますます富くじは 庶民の手を離れていき
これが「陰富」を 生みだす一要因ともなったのでした

長くなったので 続きは明日



  


 
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-28 15:02 | 祭と歳事

江戸検参考図書 追加

f0122653_13204742.jpgちょっと参考図書を 追加していきます
例えば「江戸の夕栄」鹿島萬兵衛
過去 江戸検の出題も ここからのものが
ありました
みなさんの内 ベテランさんは 必ず読んでいるでしょうが まだの方 とにかく読んどいて!
文庫だから 簡単に読めます
「世事見聞録」武陽陰士 これも文庫であります
そして 余裕があれば 東洋文庫の
「江戸繁盛記」寺門静軒
長いですが とにかく分かりやすく幅広いのは「遊歴雑記」十方庵敬順
これは近代ライブラリーで(ただで!)読めます
たしか「江戸叢書」に入っていると思います
目次がありますので 知りたい部分だけ読めますから 便利です
もちろん東洋文庫でも出ています
あと 私は今「武江年表」最初から読みなおしています
文庫本3冊ですから 簡単でしょう

よく「江戸検1級の合格法」というのを 聞かれたり また「勉強法」を聞かれたりします
それぞれ答えはあるでしょうが 実を言うと 心の中では「読書」のみ!と 思っています
一級の問題には 「知っているか いないか」で 決まる問題がありますね
その数点で 長い間 悔しい思いをしている方が多いでしょう
つまり「知識量の差」なんですね
私と同年度に 合格された方々と 私では膨大な知識量の差がありました
その差を埋めるには とにかく知識を取り入れる事 それも短時間で
それが 「読書」なんです
今「よく本を読んでますね」と 同年度の方々から おほめにあずかりますが
何のことは無い 皆さんが当然読んでいる本を 追いかけているだけです

あ、あと一冊追加です
「娯楽都市江戸の誘惑」安藤優一郎
先週 本棚の後ろの方から掘り出した新書本です
読んでる方 多いかな?
上に書いた本 読む暇ないよ!という方 これにまとまってます
明日は ここから江戸の富くじのこと 書いてみましょう
ではまた!
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-27 14:02 | 祭と歳事

ちゃんこ一の谷

f0122653_16262861.jpgf0122653_16265967.jpg









f0122653_16372249.jpg昨日は あの霧雨の中 江戸検の「伴四郎会」があり 
明神下「一の谷」で ちゃんこを頂いてきました
ここは 代々「一の谷」の名を継ぐ相撲取りだった
御主人が作る鯛のつみれがたっぷり入った
ちゃんこ鍋が とにかくあっさり上品でおいしいんです
江戸検定協会イチオシのちゃんこ鍋ですよ
しかしねー 毎回 おいしいばかりじゃない難問が
矢島先生から 出題されるんですよー
今回は ちゃんこですからね
もちろん問題は「相撲」ですねー
では 私の担当だった三問 書いてみましょうか

『続日本紀』には奈良時代初期の元正天皇の時代に
初めて「抜出司」(ぬきでのつかさ)を置いたとあり
これは相撲人(すまいびと:力士)を選抜する官職の設置であると解釈されています。
のちの天皇は諸国の郡司に対して、相撲人を差し出すよう勅令を出し
違反するものには厳罰を与えるとしています。
そして野見宿禰と當麻蹶速が戦ったという日に合わせて天皇が相撲を観覧しています。
その日は朝廷のある祭事の日でもあり、以後はこの祭事の余興とし天覧相撲が恒例となりました。 

平安時代に入ると天覧相撲は盛大になり、弘仁年間には、
「相撲節会」(すまいのせちえ)という独立した儀式になりました。
唐の制度をまねて諸儀式を整備するなかで、弥生時代から
農民の間で年中行事化していた神事相撲が、宮廷において
国々から相撲人を召し集め、相撲をとらせるという大規模な国家的年占いに発展したのです。 

醍醐天皇の時代になると、弓術の技を競う射礼(じゃらい)、流鏑馬のもととなった騎射とともに
三度節の一つとして相撲節会は重要な儀式に位置付けられ、豪華絢爛たる王朝絵巻を
繰り広げることになります。『江家次第』
王朝相撲の繁栄が長期間続いたことによって実技においても洗練され
今日の相撲とほぼ同一の内容が形成されたとされます。
ただし、当時は土俵がありませんから、現在のように外へ相手を出す技はなく、
またすべて官吏によって運営されていたのが現在の相撲と大きく異なるところです。

問1 初めのうち、天覧相撲・相撲節会は野見宿禰と當麻蹴速が対戦したという日に行われ
ある重要な行事の余興でした。
   下記の選択肢からその日付と行事の組み合わせをお答え下さい。

   3月3日の上巳  5月5日の端午節会  7月7日の乞巧奠   9月9日の重陽

問2 本文に記したように、諸国の郡司に相撲人を差し出すよう勅令を出し
自らも観戦した天皇を下記の選択肢からお答え下さい。

聖武天皇    孝謙天皇     淳仁天皇     光仁天皇

問3 もとは天皇の私的な空間である内裏の建物の一つでしたが、平安中期以降には
その建物で大嘗祭や相撲節会などの重要行事が行われるようになりました。
この建物名を下記の選択肢からお答え下さい。

紫宸殿    清涼殿    大極殿      朝堂院

答えは必要ですか?
まあ 一日 調べてみてください

f0122653_17334292.jpg私たちが こんな勉強をしていると知ったこのお二人から 私は 質問攻めにされました
こんな浅学の答えでは 役に立たないかも・・・
右が 元 一の谷関で御主人です
奥さまは にこにこしながら逃げてしまいましたが 店内にある山ほどの古い調理器具やら家具など 全部 説明してくださいました
こちらの方が お勉強になりました
ありがとう・・・ではなく
ごっつあんでした!
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-26 17:45 | 祭と歳事

江戸の出開帳

f0122653_14402482.jpg

小さな絵ばかりだったので 仕方なくこれにしました
明治4年に描かれた回向院での「相州小田原 道了菩薩出開帳」の図です
両国橋が大変なことになっていますね

ご覧のように 江戸後期には 諸国の寺からの出開帳が一大ブームとなります
中でも 地の利のいい回向院での出開帳は
延宝4年(1676)の近江 石山寺の観音の出開帳をはじめとして
幕末までに 166回を数えました

出開帳の四天王は 信濃・善光寺の阿弥陀如来 嵯峨・清涼寺の釈迦如来
身延山久遠寺の日蓮祖師像 そして成田山新勝寺の不動尊
です
その内 善光寺と清涼寺は ほとんど回向院で開帳しましたが
久遠寺は 同じ日蓮宗の 深川・浄心寺で
成田山新勝寺は 深川の永代寺で 開帳することが多かったようです

最も話題となった出開帳をいくつか挙げておきましょう 
明和7年(1770)嵯峨清涼寺の出開帳
「明和誌」「燕石雑志」にも載る通り 普通は30日の期間が
六月十九日から 八月中旬まで 二カ月に及んだ繁盛ぶり

そして安永6年(1777)には 例の「とんだ霊宝」まで登場し
いかさま見世物が 全盛となっていくのですねー

翌7年の善光寺出開帳には 平賀源内と烏亭焉馬(うていえんば)
二人して 背中に「南無阿弥陀仏」の六字名号の浮き出た「名号牛」を
見世物に持ち込むほどの大流行となります

文政元年(1818)の紀州・道成寺観世音開帳(回向院)では
寺側でも「清姫が鬼女になった時の角」を霊宝として公開します
これも とんだ霊宝みたい感じがしますねー
もう 見世物と五十歩百歩?

この他 例の佐久間家の下女=お竹大日如来の開帳は
安永6年(1777) 愛宕山円福寺で行われ 出羽湯殿山からの出開帳で話題になりました

その他 浮世絵に残っているものは 天保6年 芝神明での六波羅観世音開帳
文政2年の永代寺での 金亀山江ノ島弁財天の開帳 などがあります
江ノ島も出開帳したんですねー

最後に 開帳に関する川柳 挙げておきましょう

  開帳に 橋をゆりこむ 京 しなの (善光寺と清涼寺ですね)

  開帳は 井戸がえという すがたあり (善の綱にすがる格好です)

  開帳の 本寺へ御紋 みやげにし (善光寺の紋は立ち葵で 回向院は葵)

  金龍と金亀 武相の居開帳 (これはわかるでしょ?)

今日は こんなところで・・・・ 


 
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-24 16:11 | 祭と歳事

江戸の水天宮

f0122653_133384.jpg水天宮の縁日は
毎月五日
江戸時代には 有馬家上屋敷内
現在 大江戸線
「赤羽橋」駅の南に
ありました
通称「尼御前」
これは平家の安察使局
(あぜちのつぼね)が
安徳帝の御霊を祀った
のが始まりだから


・・・なんてことは もうお勉強済みかと思います
この水天宮のお祭りは 4月 5日
毎月の五日にも増して 群集したということです
f0122653_132155100.jpg
元々 赤羽橋の近辺は 旅人が多く
送り迎えの人で 繁盛していました
そういう人たちのための茶屋・酒飯の店も多かったのですね
そのうえ 水天宮は 安産だけでなく
水難よけのお守りで有名
旅立つ人には 有難がられたことでしょう
左上には 増上寺の五重塔が見えています
武家屋敷なので 右手の屋敷は
描かれていませんが 本当は江戸で一番高い火の見櫓が あったはず

f0122653_13462757.gif







この水天宮の社紋は 椿でしたので
当時の絵馬には水難の錨(いかり)と共に 椿の花も描かれていました

社紋についても 有名なところは 押さえておいてください
絵馬に関しても ついでに見ておくといいかもしれませんよ
例えば 鬼子母神の絵馬には 何が描かれているかな?
なーんてことをね
ではまた明日
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-23 13:54 | 祭と歳事

江戸の縁日

f0122653_11594784.jpg

現在は 縁日というと焼きそば・たこやき・りんごあめ など
屋台の出る日と 思われているのかな?
金魚すくいや 射的なんかもあって ちょっとテーマパーク風?
江戸時代の縁日というのは 神様と縁を結ぶ日
「結縁」の日だったのですね
この結縁 たいていの本には「けちえん」と 読み仮名がついています
これは サザエさんの 螺を「さざい」というのと同じ 江戸の言い癖なんでしょうか
待乳山を「まっちやま」 駒形堂を「こまんどう」って言うのと同じなのかな?
「こまがたどうはどちらで?」なんて 聞こうものなら
「てめえは どっからわいて出た田舎もんでえ!」って 怒られたのかしら?
怖いから「けちえん」と 読んでおきましょうね
この結縁の日=縁日は 一つは日にちで決まっていました
毎月 一日・十五日は 妙見さまの縁日 
薬師の縁日は 八日と十二日 というようにね
これだと月に二度は 参詣客を見込めるわけですね
今でいう屋台は 江戸の繁華街には いつもあったものです
江戸という町は 基本男性の単身赴任者の多い町だったからです
↑ 上の絵でも 団子・しるこ・すし・天ぷら などの食い物屋台が多いですね 

この他 十二支に結び付けて 縁日にしている場合もあります
子の日(特に甲子)は大黒 寅は毘沙門 
卯の日は 亀戸妙義山  
聖天宮は 卯・酉の日が縁日
己巳(つちのとみ)は 弁天さま 午は稲荷 申(さる)は 山王権現ですね
亥は 摩利支天の縁日 
この神様は金剛猪に乗っていらっしゃるからです
上野大徳寺 雑司ヶ谷などが 有名でした

屋台の食べ物でB級グルメを楽しむのもいいけど
縁日では ちゃんと神様と結縁もしてくださいね
あ、けちえん ね!



 
[PR]
by tukitodoraneko | 2015-09-22 13:02 | 祭と歳事