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カテゴリ:江戸のあれこれ  

  • 烈公VSねずみ小僧
    [ 2012-04-26 13:31 ]
  • 家康は将棋十段!?
    [ 2012-04-19 14:16 ]
  • 葵の瓦と天領・初島 そして猫
    [ 2012-02-14 10:55 ]
  • 千代田の大奥と 多満自慢
    [ 2012-02-13 13:28 ]
  • 寺カフェと寺ガール
    [ 2012-02-01 12:32 ]
  • 平清盛と 徳川実紀
    [ 2012-01-16 14:02 ]
  • 東照宮実紀と清和源氏
    [ 2012-01-13 14:42 ]
  • 初詣は 北北西に
    [ 2012-01-04 13:20 ]
  • 座したるままで食うは月猫
    [ 2012-01-03 16:34 ]
  • 閏年とトイレの屋根の関係
    [ 2012-01-02 15:24 ]

烈公VSねずみ小僧  

2012年 04月 26日
さて 今 わたしはゴールデンウィーク中のニューオータニ・ガイドに向けて 
せっせとお勉強中
常に一回くらいしか行ったことないところを案内するという ど素人ガイドなので 
事前の準備が大変です
今は 小石川と水戸藩と後楽園の話ばっかり 読んでます
結構 おもしろいですよ 今日はその中からこんな話を・・・
← はい!よく見る写真  だーれだ?
幕末の水戸藩・9代藩主 斉昭=烈公です
見るたびに「竹中直人!」と 思うんだけど・・・
似てますよねー? →
大河に出てた時は 斉昭にしか
見えませんでしたけどねー
ぜひぜひ テレビで見たいですよ
竹中直人の「水戸斉昭」
この斉昭は 8代藩主の兄・斉脩(なりのぶ)が 亡くなると
将軍家から養子を取ろう・・という江戸家老らの一派と対立し大騒動の末 藩主の座に着いた人です
ごぞんじ 時の11代将軍・家斉は子だくさん
生まれた子は 持参金つきで大家へ養子に出したので
財政逼迫の大名家では 嫡子を廃嫡してまで 養子をもらう藩もありました
そんな中 藤田東湖はじめ これに反対して大勢の水戸藩士らは
断りも無く江戸へおしかけ抗議行動 のちにこの一派は「南上派」と呼ばれ
弟・敬三郎=斉昭が 藩主について後は 重用されたので
水戸藩は 以降 何かあれば簡単に江戸へ出る=「南上する」と言うことになるんですね
さて この敬三郎がまだ部屋住みで 小石川屋敷に
いた頃
文化・文政の世を騒がせたのは 鼠小僧次郎吉です
義賊として 芝居にもなった人気っぷり
外聞を恥じて 訴える屋敷は少なかったといいますが
実は 水戸屋敷も 再三 被害にあっていたのです
やっきになって警護はしても そもそも男っ気のない
奥御殿に入り込むので どうにもなりません
若き日の烈公は 文字通り 烈火のごとく怒って
「たかがこそ泥の一匹ぐらい 多勢の武士どもの
手に余るとは何事か!」
と 自身 長柄の槍をかいこんで 
寝ずの番ならぬ「ネズミの番」
それでも 終始 ネズミにからかわれ気味で 
終わったそうです

上の絵は 三代豊国描くところの 四代目市川小団次のねずみ小僧
安政4年 正月 市村座初演の「鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)」
二代目河竹新七(黙阿弥)作 全五幕より

by tukitodoraneko | 2012-04-26 13:31 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(8)

家康は将棋十段!?  

2012年 04月 19日
つい最近の読売新聞に「家康に将棋の十段位!」という記事が載っていました
お読みになった方はいるかな?
今から400年前の慶長12年(1612)初代名人
大橋宗桂は 家康から50石の俸禄を頂戴しました
これを記念して 今年は「名人位400年」
家康に感謝の気持ちをこめて 名人戦の前夜祭で
「十段位」が 徳川宗家19代の徳川家広さんに
贈られたんですね
宗桂さんは 京都の町人の出だそうですよ
家康は 宗慶らを 駿府城に呼び 囲碁・将棋を
楽しみました
当時は 両方できるのが当たり前だったのですね
始めは「碁将棋所」といって一つの機関だったといわれています
そこを治めていたのが 本因坊算砂 →
信長・秀吉にも仕えた 日蓮宗の僧侶です
法名は日海といい京都の寂光寺の塔頭・本因坊の僧侶だったのです
このころ初代の安井算哲も 一緒に駿府で碁を打っていたんですね
本因坊では 「天地明察」に出てきた道策
そして 安政のコレラで亡くなった本因坊秀策が有名です
秀策は「ヒカルの碁」でも有名になりましたね
囲碁の話としては 本能寺の変の時 日海と信長が碁を打っていて「三劫」ができたという言い伝えがあります
劫(こう)というのは 延々と交互の取りあいが続く手詰まりなんですが これが一つの盤上に三ヶ所もできるのは めったにないことです
マージャンの国士無双 ゴルフのホールインワンみたいもんですね
これが 本能寺の夜に起こったというので
以来「三劫」は 不吉の前兆とされています
↑ 上の写真は 秀吉と家康が碁を打ったという蒔絵入りの碁盤 
京都・養源院にあります
私は 囲碁も将棋も とうとう覚えられなかったけど
亡き父は どちらも結構な腕前でした
囲碁や将棋のできる男の人って かしこそうで かっこいいですね
ピアノが弾けるのと同じくらい 女性受けがいい技能ですので 
この際 ちょっと頑張ってみてくださいねー

   
 

by tukitodoraneko | 2012-04-19 14:16 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(12)

葵の瓦と天領・初島 そして猫  

2012年 02月 14日
もう一つ新聞ネタです
こちらは土曜日の朝刊の全国版に載っていたので
ご存知の方も多いでしょう
← 熱海の沖で 葵紋の入った鬼瓦などが
多数見つかったという話題です
軒丸瓦など4種類の瓦が 数百枚ということなので
いわゆる沈没船の積荷なのでしょうね
おもしろいのは この他にいろんな種類の
すり鉢もあったとのこと
瓦の方は 時代から見て明暦の大火(1657)か
元禄地震(1703)後の 江戸城の修復のために
運んでいたのだろうと言うことですが
「すり鉢」も 同じ所で作っていたんでしょうねえ
沈んでいた位置は 初島の沖ということです →
初島は 熱海からの高速船だと25分
すぐそこに見える小島です
江戸時代は 天領だったり 一時小田原藩の領地にもなっています
この島の東岸には 江戸城に使う石の切り出し場もありました 今も見れますよ
江戸後期には41軒の家があったと記録されていますが それからずっと この軒数 変わってないんですねー
というのも やはり水源などの問題もあり
それぐらいが限度ということなんでしょうね
マップで見ても ほんとに
小さな島です
今は 会員制のエステ・ホテルなんて しゃれたものもあるので 東京から女性客もやってきます
もう一つ 名物になっているのが 猫なんですよ
この島 ご他聞にもれず ネズミ対策で猫を連れてきたのですが これが増えちゃって 一時は 島民の数を上回る180匹が 群れを作って生活していました
最近 行ってないけど どうなったかなー
近場の島ですが 伊勢えび・サザエがおいしい いい所です
葵の瓦が出たら 江戸好きダイバーも 集まるかな?

by tukitodoraneko | 2012-02-14 10:55 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(5)

千代田の大奥と 多満自慢  

2012年 02月 13日
ちょっと新聞記事から お話しますね
楊州周延(ようしゅうちかのぶ)という絵師は知ってますか?

名前は知らなくとも「千代田の大奥」というシリーズは どこかで見ているんじゃないでしょうか
1838年=天保9年生まれですが 維新後 それまで他言無用といわれ
庶民は知らなかった江戸城大奥の様子を 元御殿女中から聞いて
その知られざる実態や 行事の様子を描いたのですね
今 福生市郷土資料室で 
特別展が開かれています
市在住のコレクターの方が所蔵
していた約百点が いっぺんに見られます
調度品や着物の柄など 一点ごとにとても細かく描かれていますので 資料としてもすばらしいものですね
このコレクターの方は たぶん
石川さん・・・とありますから石川酒造の持ち主でしょう
多摩地区の方はご存知の銘酒「多満自慢(たまじまん)」
の醸造元でもあります
こちらの石川酒造さん 拝島からすぐのところで
見学もできます 蔵を使ったお店などもあり こちらも楽しいですよ
もちろん「多満自慢」も 買えます

↑ 上の絵は「猿若狂言」という題がついていますが
文楽のように人形を使っていますね
一枚目は 「歌合せ」というものです
こんな風に 一枚ずつ見ていくと いろんなことがわかって おもしろいですよ
JR青梅線の「牛浜」駅から すぐです
4月15日まで やっていますので お近くの方はぜひどうぞ
浮世絵に関する講演会もやっていますよ

by tukitodoraneko | 2012-02-13 13:28 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(2)

寺カフェと寺ガール  

2012年 02月 01日
今 期間限定で
2月6日まで 
東京丸ビルの1Fに寺カフェが あるの知ってます?
浄土真宗本願寺派ですよ
今「寺ガール」っていうのが流行りで 若い女性方が お寺におしかけて
いるそうですね
ここでは 読経あり 写経あり「法然と親鸞の一人芝居」あり
女性僧侶のアカペラオペラまで あるんだそうですよ
食事はもちろん 精進料理 「極楽グラタン」「念仏サラダ」
「満願ピクルス」なんて おいしそうですね
以前からある このブログでも書いた四谷の「坊主バー」は
最近では 若い女子で いっぱいだそうです
不思議な流行ですね
さて もう一つご紹介するのは
江戸期の寺社彫刻を集めた写真集のこと
一月に出版されたばかりで フリーカメラマンの若林純さんが 全国111ヶ所 700点の写真を撮りました
← これは一昨年修復を終えた埼玉・妻沼(つぬま)聖天山の奥殿彫刻
昨年6月に一般公開されると 半年で6万人の拝観者が
あったそうです
寺社彫刻は 安土桃山から江戸中期に隆盛を迎え
特に日光東照宮の影響が 大きかったと言います

こちらは→
埼玉・氷川神社の本殿にある龍をかたどった梁
です しぶくて これもステキ
「寺社の装飾彫刻」というタイトルで
日貿出版から出ていますので 本屋さんで
手にとって見てくださいね
ハカマオー 「寺ガール」の次は
「墓ガール」が 来るかも!
もうすぐ あなたの時代よっ!

by tukitodoraneko | 2012-02-01 12:32 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(5)

平清盛と 徳川実紀  

2012年 01月 16日
はい ちゃんと見ていただけたかな?
新しい登場人物もいたので ちょっと説明しながら また「実紀」に戻りましょう
「坂の上の雲」の広瀬中尉 伊藤(藤原)忠清役で 出てましたね
元服の時 平太をヒョイと担いだ人です
12才の役とはいえ松山ケンイチくんは 180cmを越す長身
それを担いだ忠清は やはり183cmの長身
元オリンピックの競泳選手・藤本隆宏さん
伊藤忠清は 平氏の侍大将として 最後まで戦い続ける重要な役柄
のち 清盛の子・重盛の後見も 勤めます
親子二代 世話になるんですね
同時に 重要なキーマン この二人→
も 登場しましたよ
右 藤原家成は 鳥羽上皇の近臣で
忠盛とも親しく 清盛は14,5才の頃
よくこの家成の屋敷に出入りしました
藤原頼長の日記「台記」の中には
この家成のことを「数国の国司を経て
巨万の富を築いた人物」と 書いてあります
やがて 清盛の息子・重盛は この家成の娘を
めとることになるのですね
そして もう一人 安部サダヲさん演じる藤原(高階)通憲
みちのり と読みますが この人は のちの「信西」です
藤原氏の傍系で もともと朝廷の学者の職をつとめる家系
鳥羽法皇の第一の近臣となって やがて平治の乱の引き金となりますね

と、ここまでにしといて「実紀」の続きも勉強していきましょうね
前回は 南北朝以降 松平村の富豪の家に入った親氏まで書きました
この人の子(一説には弟)が 泰親です
この人の時に 戦乱の続く京をのがれ 洞院中納言実煕という貴族が
三河に やってきます
泰親は この人を保護し そのお礼として やがて都に帰ったこの貴族のとりなしで
三河の国の「目代」(国司の代わりに派遣される地方長官)の地位をもらい
ここで 初めて「三河守」をなのるのですね
そして 岩津と岡崎に 二つの城を築きます
長男・信廣には 松平郷を譲り 太郎左衛門をなのらせ
次男・信光を嫡子としました
この信光は 48人の子だくさん!
「実紀」には 11人の名前が載っていますが あとは不明です
この子達が 「十八松平」とも言われる多くの家系の祖となっています
竹谷・形原・大草・御油・深溝・能見・長澤などですね
そして この時に 畠山加賀守某が 安祥の城を攻め落とし
これによって ついに三河国の三分の一を領するようになりました
続きは 明日





by tukitodoraneko | 2012-01-16 14:02 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(7)

東照宮実紀と清和源氏  

2012年 01月 13日
さて 平氏のことばかり書きましたが 今度は
清和源氏のことも書かないとね
なんと言っても こちらは徳川家の祖・・・ということになっています
ですから俗に言う「徳川実紀」の← 家康の項 
「東照宮実紀」の最初は この清和天皇のことから始まります
今年の江戸検定のお題は「徳川十五代将軍」ですから できるだけ この「実紀」を読んでいこうと 思いますよ
「かけまくもかしこき 東照宮のよって出でさせ給ふ その源を考え奉れば」
実紀は こんな風に始まっています
清和天皇(56代)は 文徳天皇(55代)の第四皇子
母は太政大臣・藤原良房の娘・明子(染殿后)です
この天皇の第六子が貞純親王(桃園親王と号す)
その子 経基は 清和天皇の孫で 第六の親王の子なので「六孫王」と称され
初めて「源」の姓を 賜ります
その子は八人いて 長子は満仲
この満仲にも六子がいて その第四子が 頼信
その子・頼義が奥州征討した人 →
安倍貞任を 従えた人ですね
その子が 義家 義綱 義光
←やっと「八幡太郎義家」にたどり着きました
「石清水」の宝殿 で元服したので「八幡太郎」と称したのですね
義家の子は六人 その第三子・義国は「ゆえあって」都を出
下野国・足利の別荘に住み 剃髪して「荒加賀入道」と称します
何か 問題起こしちゃったのかな?
この人は 長男・義重に「新田の荘」を譲り
次男・義康に「足利の荘」を譲りました
清和源氏が 新田・足利の両派に分かれたのは
ここが 根源だったのですね
長男・義重は「新田太郎」を名乗り 後に入道して「上西」と号して 
新田郡寺尾の城に住みました
ちょうどこの頃 都では「平相国浄海入道=清盛」が没し
さしもの平氏にもかげりが見え 代わって源氏が各地で 蜂起し始めるのですね
ここまでで 近代デジタルライブラリー版の「実紀」では たった1ページちょっとです
先が 長ーーい「実紀」ですが 一年かけて 少しずつ読んでいきましょうね
今回 使った絵は すべて「矢先稲荷神社」の天井絵です

by tukitodoraneko | 2012-01-13 14:42 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(1)

初詣は 北北西に  

2012年 01月 04日
みなさん 初仕事でしょうか
今年も お仕事(も)頑張ってくださいね
さて 「恵方」というのを ご存知でしょうか
節分に食べる海苔巻 あれを「恵方巻」といいますね
でも あれは関西の風習かしら?
東京では あまり聞きません
江戸時代は 毎年 陰陽道で決められる
縁起のいい方向を 恵方といいました
「兄方」「吉方」「得方」とも書いて「えほう」です
これは今でも発行されている神宮館の暦にも
載っていますね
正月神=歳徳神の来る方向で「明きの方」とも呼ばれます
これは毎年変わるので 神棚なども 今のように固定せず 明きの方に向けて 設けたのですね
今年は 壬(みずのえ)辰の年なので
北北西が 恵方です
江戸時代には 暦が来るとすぐこの「恵方」を
確かめて 初詣は 自分の家から 恵方に当たる
方角の神社仏閣へ行きました
江戸人の縁起をかつぐこと 並々ならぬものが
あったのですね
平安くらいの物語では よく「方違え(かたたがえ)」という風習が出てきます
これは 良くない方角に行かなければならない時
一度 違う方向に行って 方向を変えてから
目的地に向かうというものです
これは 江戸にも踏襲され 例えば秀忠の娘
千姫が大坂に嫁に行くとき 江もいっしょに 
この「方違え」をしています
← この絵は 広重で 東都名所年中行事
「正月 亀戸初詣」
きっと この二人の女性も 恵方を調べて ここに来たんでしょう
江戸の初詣 ちゃんと決まりがあったんですね

by tukitodoraneko | 2012-01-04 13:20 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(0)

座したるままで食うは月猫  

2012年 01月 03日
箱根駅伝が 終わると「正月」も 終わりって感じですねー
明日からまた お仕事も始まります
今年こそ ダイエットしようと お餅バクバク食べながら 決意したんですが
たぶん 無理でしょうね
私 今 くしゃみが30回くらい出たんですが 誰か噂してます?
気のせいかな?
さて おもしろい絵があったので
出してみましたよ
「道外武者(どうけむしゃ) 御代の若餅」
歌川芳虎の作です
餅をついてるのは 織田信長
左が 明智光秀 紋所で わかりますね
こねている猿顔の男は しっぽまであります
これが 秀吉ですねー
そして もちろん座して食べているのは大御所 家康です
「織田がつき 豊臣こねし天下餅
 座したるままに食うは家康」

っていう 狂歌もありましたよね
これは その歌をほとんどそのまま
絵にしたものなんですが
どういうわけか 浮世絵の改め役の名主が
見過ごしてしまい 売り出したところ
噂が立って あっという間に 差し止め
芳虎は手鎖50日 版木も焼き捨てられました
天保ごろのことで 「藤岡屋日記」にも 書いてありますよ
芳虎は 一勇斎国芳の門人で 一猛斎と号し 「豪放不羈の性質なり」と
書いてあるものもあります
それにしても これ 一目でわかるでしょうに・・・
けっこう うかつだったのか わざと知らぬ振りをしたのか
おもしろいですね
今年は できるだけ 浮世絵を使い ブログを書いていこうかな
と 思っています
浮世絵 川柳は やはり江戸の真骨頂
あ、でも 皆さんのお好きな「お墓」もちょこっと・・・・
今年も よろしく お願い申し上げます

by tukitodoraneko | 2012-01-03 16:34 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(2)

閏年とトイレの屋根の関係  

2012年 01月 02日
← またこれに釘付けの正月です
いやー 2位との5分差
明日はどうなるんでしょうねー
東洋大 柏原くん 区間新で
最後を飾りました
去年まで「山ノ神」だったのが
今年は「箱根の龍神」て言われてました
もう 見られなくなるのがさびしいなー
・・・と 関係ないことばっかり書いてると
「江戸のこと書けよ!」と 怒られるので
話題 変えましょうねー
今年は 閏年(うるうどし)ですねー
4年ぶりに 2月29日があります
この日がお誕生日だったら わたしも まだ10代!?
これは 太陽歴になってからの帳尻の合わせ方
太陰暦を使っていた江戸時代は 月の満ち欠けで
日付を計りましたので 約29,5日が一月でした
だから 大の月を30日 小の月を29日としていたのですね
しかし この方法だと 29,5×12月で 一年は354日になってしまいます
このズレをあわせるために だいたい33ヶ月に一度
もう少し詳しく言うと5年に2度くらい 
もっと詳しく言うと19年に7回 閏月として「一月」
増やす方法をとっていました
これを「十九年七閏の法」といいます
そして この閏月のある年は「出産」が多いと
言われていました
単純に考えて 一月多いんだから
出産も増えて当たり前な気もするんですが
「閏年には 猫も杓子もはらむ」とか
「閏年には 小槌を見てもはらむ」なんて 言われていました
川柳では  戌の日に さらしの売れる閏年 
なんていいます この「さらし」は腹帯ですね
もう一つ  釈迦でさえ 今年ゃ閏で 二度生まれ
これは 4月が2回あって お釈迦様の誕生日の4月8日も 2度あったんですね
じゃあ これは 分かるかな?
   閏月 雪隠(せっちん=トイレ)の屋根 箸だらけ
わかんないですよねー
実は この閏月に生まれた子は 7日目に 雪隠に連れて行って
その天井に下から 箸(はし)をさす風習があったそうなんです
一体何のためなのやら・・・・
  七日目に 雪隠の屋根 ぶっすぶす
こんなのもありますので わりとポピュラーな風習だったのでしょうか
わけを知ってる方 それ聞いたことある!って方は 月猫に教えてね
「ウンの月」とか そういう駄じゃれはなしね

by tukitodoraneko | 2012-01-02 15:24 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(4)