天璋院 最後の熱海旅行 -ご愛顧に感謝して |
2008年 12月 16日 |
昨日は よんどころない事情で 一日書けませんでしたが
その間に アクセスは増え続け 600を超えていました
通算では 35,000もはるかに超えています
こんなにたくさんの方に来ていただいて 心より感謝です
「感謝セール」ということで 今日は「天璋院」晩年の熱海・箱根旅行のことを
書いて 一年間の「篤姫」シリーズに幕を下ろしたいと思います
←ここは 箱根・塔ノ沢に今も建つ「観翠楼」
和宮さまは ここでご逝去になりました
当時は「元湯」といったそうです
現在の建物は 大正8年のもの
しかし時間が止まっているかのような
閑静なたたずまいです
明治10年 和宮は侍女が「脚気」で亡くなった後ご自分も発病され
伊藤博文の紹介で この旅館に湯治に訪れました
そして 一月も立たないうちに「衝心」のため 命を落とされます
通夜と密葬が行われたのは
←この「阿弥陀寺」 あじさい寺とも呼ばれます
和宮は天皇家の生まれであったため 葬儀を 神式か 徳川代々の仏式にするかで 論議を呼び
とりあえず 塔ノ沢のこのお寺で
密葬にされたのです
結局は「家茂さまのおそばに」という 和宮の意思が尊重され
今は増上寺にお墓があります
阿弥陀寺では このときのご縁で 七回忌や
最近では100回忌も とり行っていますよ
天璋院がここを訪ねたのは 死の3年前
明治13年(1880)の頃です
この年の 9月 天璋院は初めての長期旅行にでかけました
鹿児島を出る時以来の ご旅行だったでしょう
新橋駅から 横浜まで できたばかりの鉄道にも乗っています
そして 江ノ島に一泊 小田原に一泊したあと
熱海で 約一月を過ごしました
それから 箱根・宮ノ下で二泊し 帰りに塔ノ沢の観翠楼に立ち寄っています
君が齢(よわい) とどめかねたる早川の
水の流れも うらめしきかな
この時に 詠まれた「静観院追悼の句」です
当日の日記にも
「むねふさがり 懐旧のなみだ 袖をしぼりぬ」
と 書かれています
この旅行の間に 千駄ヶ谷邸の本寿院からは
「さみしいから 早く帰ってきてね」と 手紙がきています
最後まで みんなに頼られていたんですねー
最後に 勝海舟が天璋院の七回忌に詠んだ句で 終わりにしましょう
ななとせは 夢とすぎけり 夢ならぬ
たもとしたう むら時雨(しぐれ)かな
一年間 ご愛読 ありがとうございました
その間に アクセスは増え続け 600を超えていました
通算では 35,000もはるかに超えています
こんなにたくさんの方に来ていただいて 心より感謝です
「感謝セール」ということで 今日は「天璋院」晩年の熱海・箱根旅行のことを
書いて 一年間の「篤姫」シリーズに幕を下ろしたいと思います
←ここは 箱根・塔ノ沢に今も建つ「観翠楼」和宮さまは ここでご逝去になりました
当時は「元湯」といったそうです
現在の建物は 大正8年のもの
しかし時間が止まっているかのような
閑静なたたずまいです
明治10年 和宮は侍女が「脚気」で亡くなった後ご自分も発病され
伊藤博文の紹介で この旅館に湯治に訪れました
そして 一月も立たないうちに「衝心」のため 命を落とされます通夜と密葬が行われたのは
←この「阿弥陀寺」 あじさい寺とも呼ばれます
和宮は天皇家の生まれであったため 葬儀を 神式か 徳川代々の仏式にするかで 論議を呼び
とりあえず 塔ノ沢のこのお寺で
密葬にされたのです
結局は「家茂さまのおそばに」という 和宮の意思が尊重され
今は増上寺にお墓があります
阿弥陀寺では このときのご縁で 七回忌や
最近では100回忌も とり行っていますよ
天璋院がここを訪ねたのは 死の3年前
明治13年(1880)の頃です
この年の 9月 天璋院は初めての長期旅行にでかけました
鹿児島を出る時以来の ご旅行だったでしょう
新橋駅から 横浜まで できたばかりの鉄道にも乗っています
そして 江ノ島に一泊 小田原に一泊したあと
熱海で 約一月を過ごしました
それから 箱根・宮ノ下で二泊し 帰りに塔ノ沢の観翠楼に立ち寄っています
君が齢(よわい) とどめかねたる早川の
水の流れも うらめしきかな
この時に 詠まれた「静観院追悼の句」です
当日の日記にも
「むねふさがり 懐旧のなみだ 袖をしぼりぬ」
と 書かれています
この旅行の間に 千駄ヶ谷邸の本寿院からは
「さみしいから 早く帰ってきてね」と 手紙がきています
最後まで みんなに頼られていたんですねー
最後に 勝海舟が天璋院の七回忌に詠んだ句で 終わりにしましょう
ななとせは 夢とすぎけり 夢ならぬ
たもとしたう むら時雨(しぐれ)かな
一年間 ご愛読 ありがとうございました
by tukitodoraneko | 2008-12-16 08:40 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(7)
こちらこそ色々楽しいお話をありがとうございました。
『歴史的にはテレビドラマほど活躍した人ではなかった』と
いろいろな所で見かけますが
それでも一人の人として見た時、何とめまぐるしい人生だった事でしょう。
我が強いお方だったとの事ですがそうでなければ
とても耐えられるものではなかったでしょう。
こちらでいろいろなお話を伺えて、より人間として
天璋院さまを感じる事ができました。
本当にありがとうございました。
あ、でもこれからも拝見させていただきますので
よろしくお願いいたします。
『歴史的にはテレビドラマほど活躍した人ではなかった』と
いろいろな所で見かけますが
それでも一人の人として見た時、何とめまぐるしい人生だった事でしょう。
我が強いお方だったとの事ですがそうでなければ
とても耐えられるものではなかったでしょう。
こちらでいろいろなお話を伺えて、より人間として
天璋院さまを感じる事ができました。
本当にありがとうございました。
あ、でもこれからも拝見させていただきますので
よろしくお願いいたします。
楽しませて頂きました。
歴史の流れに乗った人流された人いつの時代でも同じで大きな山門しか記憶にない増上寺ですが全部ついこの間の出来事ですね。
今は壊されましたが上野にあった彰義隊慰霊碑にはいまだに幕臣〇〇・幕臣〇〇でした。(明治100年奉納額)
歴史の流れに乗った人流された人いつの時代でも同じで大きな山門しか記憶にない増上寺ですが全部ついこの間の出来事ですね。
今は壊されましたが上野にあった彰義隊慰霊碑にはいまだに幕臣〇〇・幕臣〇〇でした。(明治100年奉納額)
りばさん
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします
私たちはつい 現在の感覚で考えてしまいますが
篤姫様にしたら 今の私達が 見知らぬ外国へ
一人で嫁に行くのと同じ 大変な環境の変化だったでしょうね
私は 時々 皇太子妃の雅子さまのことも
お気の毒だな・・・と思ってしまいます
やはり 篤姫様は 「一本道」の方だったんですね
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします
私たちはつい 現在の感覚で考えてしまいますが
篤姫様にしたら 今の私達が 見知らぬ外国へ
一人で嫁に行くのと同じ 大変な環境の変化だったでしょうね
私は 時々 皇太子妃の雅子さまのことも
お気の毒だな・・・と思ってしまいます
やはり 篤姫様は 「一本道」の方だったんですね
昭ちゃんへ
増上寺は 東京タワーの上から眺めたことしかないので
いずれお散歩に行ってみたいです
父と「芝ゴルフ」にはよく行ったんですがねー
増上寺は 東京タワーの上から眺めたことしかないので
いずれお散歩に行ってみたいです
父と「芝ゴルフ」にはよく行ったんですがねー
私も「天璋院篤姫」全部見ました。ここ5、6年ドラマを見る事がなかったのですが、宮尾登美子さんの篤姫を以前に読んでいたので、興味があり見ました。宮尾さんが篤姫を書いた頃は、現在ほど江戸時代の資料が豊富ではなく、明治政府の作り上げた江戸時代の部分が多かったと聞きました。今回のドラマは、歴史的な逸話も交えながら早いテンポで進んだので楽しんでみることが出来ました。徳川家の方々の篤姫像はそれなりに立派な方だったと捉えられているようですね。
歴史は、後世の人の捉え方で様々な推理できるので、面白い分野だと感じます。
歴史は、後世の人の捉え方で様々な推理できるので、面白い分野だと感じます。
静観院 → 静「寛」院 でしたかと・・・・
私、家定様以降しか見ていないので(^^;)
今から総集編が楽しみです。
ヒナさま、
宮尾登美子さん、飯坂温泉での講演会で
「私、(源)頼朝なんてだいっきらい!」って
おっしゃったお姿がとても可愛らしかったです。
(大河ドラマ「義経」にちなんでの講演会でした)
私、家定様以降しか見ていないので(^^;)
今から総集編が楽しみです。
ヒナさま、
宮尾登美子さん、飯坂温泉での講演会で
「私、(源)頼朝なんてだいっきらい!」って
おっしゃったお姿がとても可愛らしかったです。
(大河ドラマ「義経」にちなんでの講演会でした)
sakura-3rdさん今夏江戸博で宮尾さんの講演がある予定でしたが、体調不良で直前に取りやめになり、残念ながらお話聞くことが出来ませんでした。宮尾さんの東福門院和子も面白い小説でした。
和子は、秀忠とお江与の末娘と考えて、月猫さんご推奨の漫画の大奥を今読んでいて、お江与と春日局が対立していたのは、信長の姪と明智光秀の腹心の娘の対立と思い当たって根深いものがあるのだと朝からまたまた納得してしまいました。
和子は、秀忠とお江与の末娘と考えて、月猫さんご推奨の漫画の大奥を今読んでいて、お江与と春日局が対立していたのは、信長の姪と明智光秀の腹心の娘の対立と思い当たって根深いものがあるのだと朝からまたまた納得してしまいました。

