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今日は 煤掃きの日  

2008年 12月 13日
もし 今が江戸時代だったら 今日は一日「すす払い」で大忙しです
これは お城の習慣だったものが 武家から町家までひろまったものです
当初は12月20日にしていましたが 家光公が20日に亡くなったので
4代・家綱の時から 13日になりました

この日は 武家は一日 戸を閉めて 掃除に専念
奥女中たちも 普段は無地の白手ぬぐいしか使えないのですが
この日は 染付けの華やかなもので かぶりものをしてもいいことになっていました
この頃の 「行事」は 例え大掃除でも なにかしら お祭り気分
行楽半分 といった感じですね
12月10日くらいから 市中には 笹竹売りがやってきました
当日は まず畳を上げ 建具は一部屋にかたずけて
天井から 煤払いを始めます
当時は ガス・電気がないんですから 照明も煮炊きも暖房も
すべて 「直火」でした これが すごく煤が出るんですね
その上 舗装道路なんかなく 江戸の土ぼこりは 有名でした
通りの大店などでは 店を閉めてから 夜にかけて行うところが
多かったといいますよ 
こういう大店では 鳶の衆なども手伝いに出ます
食事は 簡単にたべられるもので あんころもち そばなどが ふるまわれました
もう一つ 「鯨汁」をこの日に食べる習慣もありました
当時 鯨は魚類とされていましたが 油が強く 寒の内には
「身体が温まる」と 重宝されました
でも 女の人たちは あまり好まなかったようですが
そして 掃除が終わると 恒例の「胴上げ」です
これは 「江戸検定」の問題にも出たことありますね

  「めでためでたの 若松さまよ 枝も栄えて 葉も茂る
   おめでたや サアーサッササッササー」

と 唄いながら だれかれかまわず胴上げしました
普段 にくまれているものは 下にドスンと落とされ
乳母や下女などは 追い掛け回して 胴上げされました
結局は 「歳神さま」を迎える儀式の性格もあったのでしょうね

   白昼に 門を叩くは 13日

   開いた口へ あんもち入れる 13日

   鯨汁 食い食い下女は くやしがり

by tukitodoraneko | 2008-12-13 13:13 | 江戸のあれこれ | Trackback | Comments(5)

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Commented by 九州の昭ちゃん at 2008-12-13 15:58 x
ありがとうございました。早速用意をします。
「煤掃きには出ようぞ」紛失物がでたときのセリフ通り大変な様子ですね。江戸っ子の心意気だー
Commented by tukitodoraneko at 2008-12-13 17:44
はあー そういう言い回しがあったんですか!
江戸っぽい雰囲気ですねー
いつもながら お勉強になります
お手紙が届くの 楽しみにしています♪ 
Commented by 昭ちゃん at 2008-12-14 01:32 x
ちょっと説明不測でしたね「紛失したときのセリフです」
東京市時代6月には一斉に大掃除がありました親は大変ですが子供たちは大喜びでしたよ。
Commented by tukitodoraneko at 2008-12-14 14:31
いえいえ よくわかりますよ
それより 6月の大掃除は なんでだったんでしょう?
その頃は 半期に一度 大掃除したのかしらん?
Commented by 昭ちゃん at 2008-12-14 18:09 x
いろいろな行事も戦争がはじまり(支那事変)なくなっていきましたね、真夏になる前の行事です。
6月の「ハエ取りデー」も区から配布される封筒にハエ叩きをもって、、、これはもう我々がき大将の世界で封筒が足りないほど取って衛生担当のテントへ、褒章は鉛筆3本でした。
どうしてこんなにとれるの?「あたりきよ、魚屋やごみ箱の前、便所に行きゃーハエだらけだー」魚屋の小父さんも取らしてくれます。
これで当時の衛生状態がお判りですね、でも現在の抗菌用品のほうが怖いバイ。「ハエ」は「ハイ取り」と発音していました。
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