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by tukitodoraneko
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江戸の小芝居

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さて 江戸の小芝居 これこそ論文的な史料ばかりで 調べにくいですが
いかがでしょう? お勉強すすんでいますでしょうか?
私も検索したら 自分のブログにぶちあたりました
2011年 5月20日 「三十分の一で通し狂言」
その当時 知っていた事は ここに書いてあります ぜひ 目を通してください
さて それ以外の事 書いておきましょう
官許の三座以外で 歌舞伎狂言を見せた小屋を 小芝居といいましたね
そのうち寺社の境内で興行するものを宮地芝居
両国広小路など盛り場でするものを 小芝居・おででこ芝居とも呼びました
どちらも小屋掛けで 官許の櫓もなく 引き幕や花道が禁じられた
いわゆる緞帳芝居です
宮地三座と呼ばれたのは 市谷(亀岡)八幡宮 湯島天神 芝神明
この辺りの事を「遊歴雑記」から引いてみましょう
「当社内(市谷)の芝居は 延宝年間(1670年代)御免ありて 座元名代を
 斉藤八尾八(やおはち)と号し 芝居となりて 歌舞伎の狂言 絶えたることなし」
表向きは 晴天百日と言いながら 一応許可を取り 絶えず興行していたという事ですね
上の「江戸名所図会」でも 赤い四角 芝居と書いてありますし
その左側の茶屋は 芝居茶屋として 繁盛したようです
この辺の事情は 富くじとまったく同じ
高い三富より 影富が流行ったように セレブしか行けない三座より
安くて 気軽な 小芝居がとても繁盛したというわけですね
市谷より早く 芝神明は 寛文の末(1670年頃)御免有り 座元は江戸喜太郎
湯島天神は 一番遅く寛延年間(1740年代) 座元名は空欄となっていますが
たぶん中島某と思われます
幕末の湯島天神芝居は 中島勘三郎という記述があり
明治以降 蛎殻町に中島座を出したのがこの人です
この三座は 少なくとも文化文政の頃には 道具・仕掛け・回り舞台・せり上げ
など 「大芝居にかわらず」 芸においても 「大芝居の俳優におさおさ劣らぬ上手もありて」
・・・と 十方庵は 書いていますよ
「真佐喜のかつら」によれば やはり化政期に 尾上梅幸らが
湯島の宮地芝居を見物し ここの人気役者 乙蔵と芝居茶屋で
酒宴を開いた・・・とあります
「乙蔵は田舎役者 我々は檜舞台の者なりとも 芸道に変わりなし
 上手を愛し見物するに 何ぞはばかることあるべしとも思わず」
梅幸は これを非難した他の大芝居の役者に そう言い返したってことですよ
かっこいいですね   では 今日はこの辺で 


 
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by tukitodoraneko | 2015-10-01 15:27 | 祭と歳事