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ちゃんこ一の谷

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ちゃんこ一の谷_f0122653_16372249.jpg昨日は あの霧雨の中 江戸検の「伴四郎会」があり 
明神下「一の谷」で ちゃんこを頂いてきました
ここは 代々「一の谷」の名を継ぐ相撲取りだった
御主人が作る鯛のつみれがたっぷり入った
ちゃんこ鍋が とにかくあっさり上品でおいしいんです
江戸検定協会イチオシのちゃんこ鍋ですよ
しかしねー 毎回 おいしいばかりじゃない難問が
矢島先生から 出題されるんですよー
今回は ちゃんこですからね
もちろん問題は「相撲」ですねー
では 私の担当だった三問 書いてみましょうか

『続日本紀』には奈良時代初期の元正天皇の時代に
初めて「抜出司」(ぬきでのつかさ)を置いたとあり
これは相撲人(すまいびと:力士)を選抜する官職の設置であると解釈されています。
のちの天皇は諸国の郡司に対して、相撲人を差し出すよう勅令を出し
違反するものには厳罰を与えるとしています。
そして野見宿禰と當麻蹶速が戦ったという日に合わせて天皇が相撲を観覧しています。
その日は朝廷のある祭事の日でもあり、以後はこの祭事の余興とし天覧相撲が恒例となりました。 

平安時代に入ると天覧相撲は盛大になり、弘仁年間には、
「相撲節会」(すまいのせちえ)という独立した儀式になりました。
唐の制度をまねて諸儀式を整備するなかで、弥生時代から
農民の間で年中行事化していた神事相撲が、宮廷において
国々から相撲人を召し集め、相撲をとらせるという大規模な国家的年占いに発展したのです。 

醍醐天皇の時代になると、弓術の技を競う射礼(じゃらい)、流鏑馬のもととなった騎射とともに
三度節の一つとして相撲節会は重要な儀式に位置付けられ、豪華絢爛たる王朝絵巻を
繰り広げることになります。『江家次第』
王朝相撲の繁栄が長期間続いたことによって実技においても洗練され
今日の相撲とほぼ同一の内容が形成されたとされます。
ただし、当時は土俵がありませんから、現在のように外へ相手を出す技はなく、
またすべて官吏によって運営されていたのが現在の相撲と大きく異なるところです。

問1 初めのうち、天覧相撲・相撲節会は野見宿禰と當麻蹴速が対戦したという日に行われ
ある重要な行事の余興でした。
   下記の選択肢からその日付と行事の組み合わせをお答え下さい。

   3月3日の上巳  5月5日の端午節会  7月7日の乞巧奠   9月9日の重陽

問2 本文に記したように、諸国の郡司に相撲人を差し出すよう勅令を出し
自らも観戦した天皇を下記の選択肢からお答え下さい。

聖武天皇    孝謙天皇     淳仁天皇     光仁天皇

問3 もとは天皇の私的な空間である内裏の建物の一つでしたが、平安中期以降には
その建物で大嘗祭や相撲節会などの重要行事が行われるようになりました。
この建物名を下記の選択肢からお答え下さい。

紫宸殿    清涼殿    大極殿      朝堂院

答えは必要ですか?
まあ 一日 調べてみてください

ちゃんこ一の谷_f0122653_17334292.jpg私たちが こんな勉強をしていると知ったこのお二人から 私は 質問攻めにされました
こんな浅学の答えでは 役に立たないかも・・・
右が 元 一の谷関で御主人です
奥さまは にこにこしながら逃げてしまいましたが 店内にある山ほどの古い調理器具やら家具など 全部 説明してくださいました
こちらの方が お勉強になりました
ありがとう・・・ではなく
ごっつあんでした!

by tukitodoraneko | 2015-09-26 17:45 | 祭と歳事

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