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by tukitodoraneko
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日吉(ひえ)山王祭

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6月の天下祭「山王祭」に 行ってみましょう
陰暦の6月は 盛夏です 
だいたい今の7月終わりから 8月の初めに催行されました
今日のような 暑い晴天の祭りだったのですね
天下祭に関しては 祭礼の図や絵巻 番付表など たくさん残っていますので
詳しいことは 書きません ネットでも山ほど見られますのでね
ポイントだけ書くことにしましょう
まず山王祭 正しくは「永田馬場日吉山王権現御祭礼」
川越の仙波にあったものを 太田道灌が江戸城内に勧請
家康が 一時 貝塚に移し 元和元年(1615)山車・練り物(神輿)が
江戸城内に入る・・・とありますが これがどの程度の規模だったのか
詳しい記述は無いのでわかりません
たった二年前の 天王祭が 催行人員30名だった事を考えれば
それほどではなかったように思います
寛永江戸図に 浅草三社祭の様子が描かれていますが
あれの20年前ですからねー
「東都歳時記」では 寛永11年(1634)から「大祭となった」とあります
山車の一番(猿=南伝馬町)と 二番(鶏=大伝馬町)の順番が入れ替わったのが
元和の頃 とあるのでこの二つの山車は少なくともあったのでしょう
しかし「守貞漫稿」にいう「五十七輌の山車」というのは
江戸祭礼の最盛期 天保の改革以前の文化・文政の頃のことです
江戸時代長いですからね 170年後が最も盛大だったわけです
この頃の特徴は 山車の他に 踊り屋台や 地走り(歩行して踊る)
花籠(はなかご・着飾った稚児を乗せた花屋台)も出ました
大店では一軒持ちでこれを出したり 幕命で一町から出したり
とにかく「女房を質においても祭に出る」のが 当時の江戸っ子堅気
こういうのを附け祭と言ったのですが 天保以降は
三町に限って これを許し「年番」制になりました

とりあえずこんなところでしょうか
あ、それと また読み方ね
日吉を「ひよし」と読むのは 戦後からです
それ以前 もちろん江戸時代には 日吉山王=「ひえ」山王です
これ 結構 他のブログでも気になりましたので 「ひえ」で覚えてください 

 
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by tukitodoraneko | 2015-07-11 16:38 | 祭と歳事